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凡例
一 此の書、全巻の結構を緖論、修辭論、美論の三編に分かち、淺く廣きものよりして、順次深奧の所に達せんと試みたり。されば緖論に於いては、論理學、心理學、言語學、語法學等、およそ基礎となるべき諸方面にわたりて、槪般の知識を備へ、且つ穩當を旨として、必ずしも新意の多きを欲せず、在來諸學者の説中、宗とするに足るものを選びて、專ら之れを援引するに力めたり。論中拔鈔の多きは此の故にして、衒耀の嫌ひを避けず、一々出所を擧示したるも、初學者をして便宜其の源に溯るを得しめんがためのみ。

一 但し基礎たるべき諸方面に關する吾人の見も、必要なる限りは、併せて提起するを怠らざりき。全軆の組織、根本の原理、分類批判の立脚地等に至りては、すべて新意に則れり。此の點に關しては、敢て大方識者の是正を得んとするものなり。

一 修辭論はむしろ趣味を重しとし、以て讀者を科學的分解の煩累と相忘れしめんとせり。文例の多きと長きとを厭はざりしは、此の意に基づく。讀者之れを以て一種の美文集と見るも可、古人を活剝して僦ふ所に資せしの罪は、みづから甘んずる所なり。

一 修辭論の材料は、大抵嘗て東京專門學校文科講義錄に掲げしものを襲用せり彼にありては、たゞ古來鷗洲の美辭學者が組織し來れる系統を折衷し硏究の材を我が文學に集めんとせるに過ぎす。本書これが組織を改むるにあたり、材の上にも全く新たなる分解説明を加へんと期せしが、意を果たさゞりしもの十の八九に及べり、漫然臚列の弊に陷れるものあるは是れが爲めなり。他日の更訂に待つの外なし。

一 美論は本書の究極に關するものなれども、別の一科とせざれば、意のある所を悉しがたし。されば其の叙するところ、吾人が今日までに於ける硏究の計畫と結論の擧けたる上に止まる。殊に美の科學的方面に關する一節と、前人の説の批評に關する一節とは、著者が外遊の期に迫られて、粗中の粗に流れたるもの、他時の補修と別書の細論とを期して、讀者の寛恕を得んとす。

一 若し夫れ美論の要旨に至りては、當時に於ける著者一家の見を本とす。補綴以外、世の敎を請ふべきものあるを信ずるなり。

一 書中用ふるところの文章は、雅文體によれり。是れ目下に於ける我が標準文體のなほこゝにあればなり。

一 修辭論上の用語、文例の出所等に關しては、坪内逍遙先生の敎を受けたるもの多し。こゝに特書して感謝の意を留む。

  明治三十五年三月

著  者  識   

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