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  第二章 詞藻論

第十節 表出法

第五項 反語法

 文字の上にあらはれたる意義と裡面に潜める意義と異なるが如き句法を反語法といふ。陽に譽めて陰に毀り、又は陽に説明して陰に觀説する等みな是れなり。例へば天下の治明かならざる代に處して「斯かる昇天文明の盛代に生れて百年を春臺に途り候は人の常なるに」などいふは、其のうらに全く反對の意味すなはち世を罵り武士を罵るこゝろの含まれたるものなるの類なり。
 反語を成すには、第一文辭上の意義と言者の眞意と相違ること、第二其の言ひざまの可笑味あること第三他の不條理を指摘する主とすることの三件要す、此の三者具足するときは完全なる嘲弄的反語となるべし。されど此の三要素の分量の多少によりて、往々種々の形を成すことあり。之れに由りて反語法を三類に分かつときは、第一類、上に擧げたる文辭上と腹中と意義の異なる點を主とせるもの、此は修辭家により或は反語と別と見倣す。いはゆる暗述法之れなり。「世の中に人の來るこそうるさけれとはいひながらお前ではなし」などいふときは、あながち好笑の意にあらす、また嘲笑の意のみとも見えず、其の本意はむしろ餘事にことよせて諷し勸むる方にあるべし。第二類、上の三要件中語句に滑稽的の所あるを主とせるもの、則ち譏誚、勸告等よりもむしろおもしろく可笑しきを旨とせる反語法。第三類、上の三件中の最要部たる他の不條理を指摘し嘲弄することを主とせるもの、此は反語法の本領ともいふべきものにして、之れに他の二件を具備するに及びて始めて圓滿なる反語法といふを得べし。換言すれば他の不條理を全く別なる語氣を以て可笑しく暗請するが反語の全本領なり。
 次に反語の文例を示すべし  此は第一類の反語法に屬すべきものにて齋藤實盛が當時此の言をなせしは、敵の強勢なるさまを説き示して、暗に大將軍惟盛を諷せんの意なりしものと見るべし。即ち「斯やうに申せば大將軍の御心を憶ざせ參らせんとて申すとや思し召され候はん、其の儀にては候はず」といへる所反對の意味を含みて、反語法の要件にかなへるものなり。  此れらは譏刺の意(あらは)に過ぎて反語法の上乘なるものといひ難し。但し修辭家によりては反語法を分かちて隱なるもの即ち譏刺の意の言語の表にあらはれざるものと、顯なるもの即ち明らさまに譏刺の語を挾めるものとの二となす。而して隱なる反語法にありては、其の譏刺の本意たゞ文の句調、文體等によりて又は昔聲の抑揚、説者の態度等によりて曉らるべきのみ。今若し上の文例を此の區別にしたがひて分類するときは寧ろ顯なる反語と云ふべきなり。  此の文はた、はじめに「されどこれにも考へたがる癖あり云々」の語あるため國學者輩の牽強附會なる考證癖を嘲けるの意あらはになれるもの、即ち顯なる反語といふべし。されど其の以下の本文のみに就きて言ふときは略〻完全なる反語と見るを得べく、滑稽の意もこもりて且つ文致の上に文字以外の本意すなはち譏刺の義あらはれたり。