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  第二章 詞藻論

第十節 表出法

第三項 設疑法

 設凝とはわざと疑問を提起して答を讀者の心に求むるの謂ひなり。而して其の疑問を提起するの意は、固より我れの解し得ざるものに就きて敎を受けんとするにあらず、我れの豫め期したる解を讀者の心におのづと生ぜしめんとするにあり。按ずるに設疑法の詞藻として妙なるを得るは、之れによりて特別の注意を惹くに由る。即ち先づ問を設くるときは之れを聽くものおのづから解答を求めらるゝが如き心地して空に聞き流すを得ず、注意して之れに對するに至るべし。設疑法の基づく所此にあり。又一には我より云云なりと説明せず、たゞ聽者に説明の材料を與へ、聽者をしてみづから之れが解を作らしめ、以て其の感を一段深切ならしむるの效あり。其の他眞に不明晰なる事柄を半信半疑のまゝ掲示する場合に設疑句法を用ふることあり。此は固より立言の主旨に於て多少上の設疑法と異なる所あれど、兎に角其の一種と見て可なるべし。例へば などいへるも、全く不審なるが故に疑を揭げて知者の解を待つといふ數學問題等と同性質なるにあらずして、只設疑法によりて語尾に餘韻を籠めたるものゝみ。
 設疑の文例
 設疑法は後に擧ぐる婉曲法と相接す。蓋し設疑法の他の一利は、之れによりて自家の疑を表するため、我が臆斷を人に張ゐずといふ謙遜の意を寓し得ておのづから言辭を緩和すればなり。またわが國の語法にては設疑法と咏嘆法とも其の形相似たる點ありて混じ易し。例へば「舜何人ぞや我れ何人ぞや」といふは設疑法なれど「我れ豈舜の何人たるを知らざらんや」といふときは咏嘆法なり。二句共に「や」の字を以て終れども、前の「や」は疑問詞にして後の「や」は反撥して直接に感嘆を意味する詞なるの差別あり。勿論西洋語にも感嘆の意を見すため語の按排を轉倒して疑問のときと同じくするものなきにあらねど、我が國の場合とひとしなみに見るべからず。
 設疑法は極めて自然なる詞藻の一にして、我々が日常の談話にも、少しく力を籠めたる箇所には知らず識らず用ふるを例とす。「斯く〳〵の道理ならすや()にあらずや」などいふ語法は人の善く談話中に挾む所にしてみな設疑の法則にかなへるものなり。
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