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  第二章 詞藻論

第九節 布置法

第三項 反覆法

 反覆法とは文意を強め讀者をして一處に滯りて深く之れに注意せしめんため同義の語を繰り返すの法なり。たとへは「觚不觚觚哉觚哉」「松島やあゝ松島や〳〵」などの如し。
 反覆法には、異語によりて同一義を繰りかへすものと、同一語によりて同一義を繰りかへすものとあり。「うれしや喜ばしや」といふは、異語にて同義を反覆するなり。「恐るべし〳〵」といふは、同語によりて同義を反覆するなり。
 反覆法の文例
 反覆は詠嘆の意をあらはすに適當なる語法にして、東西洋ともに情を抒ぶるを主とする詩歌には之れを用ふること多し、和歌にては『古今』以下よりも上代の長短歌に其の例あまた見えたり。「八雲たつ出雲八重垣妻ごめに八重垣つくるその八重垣を」のたぐひを始とし
 『出雲風士紀』に といへるが如き又は
などの催馬樂歌の如き是れなり。近世の俗歌には 等あり。漢詩にては三百篇中の
反覆法と疊音法とは密に相似たり。
の如きは強ち同一義を異語によりて反覆せるものにあらねば、全く同一語句を繰りかへせるものにもあらず、一語中の幾分を變じて句の調子のみを存し、之れを重ねたるもの、則ち句拍子などいふものなり。さらに
 の如きにいたりては、語こそさま〴〵なれど、意は一に歸して、反覆たるの條件を具へたり。其の他「大抵大概なみや通例の氣くばり氣兼あつかひであらうか」「ほんに〳〵凡夫凡人文珠でも叶はぬこと」などいへるは純然たる反覆なれど「子は子なりけりうつばりの契をかへすつばくらめ、歸るや嵐戻るや時雨亂れ〳〵て行く空の云々」「さはらで通る弓矢の情、助くるも道、殺すも道、さもあらばあれ還れ有王、お暇申すと禮義は身の上、殘る恨は主君の上、拳を握の牙を嚙み、しどろ足にてかへる波、内には義理を立波の、音に聞こえし能登殿の弓ぜい磨力、學ばずして學問力も有王丸、ひかれて名をこそ傳へけれ」の如きは皆句拍子なり。総じて聲音法は口調の上の反覆ともいふべし。
 又我が國には盤字とも名つくべき漢語傳來の一種の熟語法あり「堂々」「冥々」「赫々」等の如き是れなり。和語にては「あら〳〵しく」「なが〳〵」「おひ〳〵」など皆同句活たり、短き反覆ともいふべし。