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  第二章 詞藻論

第九節 布置法

第二項 漸層法

  漸層法とは語句の按排をして淺より深に、弱より強に、低より高に、歩一歩其の調子を高めしめ、終に聽の感を絶頂に導くの謂なり。「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」といふときは、先づ天時の戰爭に必要なる由をいひ、さて進みて更に必要なる地利を擧け、最後に最も必要なる人和を挙げ、一より二、二より三、三より四といふがごとく遞次に大なるものを捉りて小なるものに對〓せしむるに外ならず。されば漸層句法の成り立つには二個以上の事物あること及び之れに大小の分ありて相對〓し、且つ其の對〓に一定の順序あることの諸件を要す。
 また「目は耳よりも聰く口よりも善くものいふ」といふときは、目を耳又は口に對せしめて意味上の漸層を成せるのみならず、語路の上よりいふも「耳よりも聰く」と讀むと「口よりも善くものをいふ」と讀むとは、句に長短緩急の次第ありて、おのづから音聲上の漸層をなせり。「一家之れを非とするも力め行ひて惑はざるものは小し一國一州之れを非とするとするも力め行ひて惑はざるものに至りては蓋し天下一人のみ若し世を擧げて之れを非とするも力め行ひて惑はざるものに至りては、則ち千百年にして乃ち一人のみ」などいへるも同樣なり。此は後に論すべき長短法の、漸層法と相合せるに外ならず。
 漸層法の文例下の如し
萬の事はたのむべからずおろかなる人は深くものをたのむゆゑにうらみ怒ることあり勢ありとてたのむべからずこはきものまづ亡ぶ財多しとてたのむべからず時の間失ひやすし才ありとてたのむべからす孔子も時にあはず德ありとてたのむべからず顔囘も不幸なりき君の寵をもたのむべからす誅をうくること速なり奴したがへりとてたのむべからず背き走ることあり人の志をもたのむべからず必ず變ず約をもたのむべからず信あるすくなし身をも人をもたのまざれば是なる時ばよろこび非なる時は恨みす云々(吉田兼好の『徒然草』)
左右皆曰賢未可也、諸大夫皆曰賢未可也、國人皆曰賢然後察之見賢焉然後用之、左右皆曰不可聽、諸大夫皆曰不可聽、國人皆曰不可然後察之見不可焉然後去之、左右皆曰殺勿聽、諸大夫皆曰殺勿聽、國人皆曰毅然後察之見殺焉然後殺之、故曰國人殺之也云々(『孟子』)
今聖秀が年寄つて強弓ひかれず、行歩心に任せねば馬上の達者猶叶はず、何を見込に懇望せられん、是れ不審の第一、新田も數代の弓矢の家、聖秀ごときの武士は(こまさらえ)にて掃く程なるべし、事缺けがまひし賴みづかひ、是れ不審の二つ、よし又某北宮黝が勇力、孫子呉子が智謀あるにもせよ、御厚恩の鎌倉を捨て、旗大將が泰い大國がほしいなんどとて、義貞に降参し.挾間くゝりの名を取るべき安東と見られたか、左樣の腰抜義貞が味方に賴まんいはれなし、是れ又不審の三つ云々(近松作『千疋犬』)
天下の鏡となる賴光が心、おのれが知るべきか、案外なりと御諚ある、老人憚る色なく、イヽヤ弟を憎むを以て天下の鏡とは申されまじ、生まれ年こそ跡先なれ、弟も同じ親の血族、兄も弟も心にかはりはなけれども、若き時は血氣内に強く兄親の心に叶はぬがち、其のたびごとに血脈を捨てば、日本國天地人倫の消絶えはつるを、鏡にしては、受けとられず、中には賴平どのは乙の若君、御母君の御愛子之れを殺しては御母への御不幸、不幸も天下の鏡か、馬其の上一代一度の訴訟は何ごとにても叶へんと堅き御契約の方もあり武將の御身に契約を違へ給ひてこれでも鏡か、愚老が、目にはわれ鏡、これ申し、鏡の曇りは硏けば晴るゝいかな上手の鏡とぎも、破鏡はつぐにもつがれす、天下を照すは及びもないこと何處ぞ田舎の山寺の鏡鑄の奉加に入り給へと(はぐき)ばかりの大口あけけら〳〵とぞ笑ひける云々(近松作『關八州繋馬』)
楚襄王晋國を伐たんとす孫叔敖之れを諫め申して曰、園の楡の木の上に蟬の露を飲まんとするあり、後に蟷螂の犯さんとするをしらず、蟷螂また蟬をのみ守りて後に黃雀のおかさんとするを知らず、黃雀また蟷螂をのみ守りて木の下に弓を引て童子のおかさんとするをしらず、童子もまた前に深谷、後に堀株のあることをもらずして身をあやまり云々(橘成季の『古今著聞集』)
 西洋にて漸層法の變形にアンチクライマツクス(Anti-climax)と稱するものあり。漸層法の順序を轉倒して大なるもの、強きものを初に置き、層を追ひて次第に文意を弱く少くするの句法なり。例へは「天も醉へり山も醉へり客と我れとまた醉へり」などいふが如し。之れを倒にして「我れも醉ひ客も醉ひ山も天も皆醉へり」といふときは、小より大に及び低よりに高に就くの順序とゝのひて、眞の漸層となるなり。
(參照) 英語にクライマクツス(Climax)といふもの即ち漸層法なり
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