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  第二章 詞藻論

第九節 布置法

第一項 對偶法

  對偶法とは、二事を相封せしめて布置するの法にして、其の二事は成るべく正反對のものを對照するを妙とすれども、必すしも然らざるものあるを得るなり。「熱するときは火の如く。冷なるときは水の如し」などいふは對照なれども、「櫻の色に梅の香」といふときは、聯偶を主とするの味はひなり。
胡蝶の夢の中に百年の樂みを貪り蝸牛の角の上に二國の評ひを論ずよしといひあしといひたゞかりそめの事ぞかし、とに付けかくに付けてひとつ心をなやますこそおろかなれ、應仁の始め世の亂れしより此の方、花の都の故郷をばあらぬ空の月目のゆきめぐる思ひをなしならの葉の名におふ宿のにしても六がへりの春秋を逸り迎へつゝ憂きふし繁き呉竹のはしにもなりぬる身を愁へ、こひぢに牛ふるあやめ草のねをのみ添ふる比にもなりぬれば、山の東美濃の國に武藏野の草のゆかりをかこつべきゆゑあるのみならず、高砂の松の知る人なきにしもあらざれば、さみだれ髪のかきくもらぬ先にとのみ、しろ衣思の立つ事〓けり云々(一條禪閤の『關藤河の記』の一節、關根氏の『歴代文學』より拔萃す)
 此等は對偶文の絶頂にして此の時代(應仁)の前後のなべての文脈は夫の支那に於ける六朝文とおなじく動々もすれば駢儷浮華に流れ易かりしなり。されば是の胡蝶の夢と蝸牛の角と、又は武藏野の草のゆかりと高砂の松の知る人との如きは、陳腐なるにせよ絶好の對偶にして、しかも隱喩法引喩法等をさへ言ひ籠めて、詞姿の優なるところ以て此の種の文の模範とするに足れり。其の他傍織を附せる箇所すべて複雑なる封偶をなせるを見る、若し此の文より對偶を引き去らば文なきに至らん。
東に三十餘丈にしろがねの山を築かせてはこがねの日輪を出だされたり西に三十餘丈のこがねの山を築かせてはしろがねの月輪を出だされたり、譬えばこれは長生殿の内には春秋をとゞめたり不老門の前には日月遲しと云ふ心をまなばれたり云々(謡曲『邯鄲』)
三代の榮耀一睡の中にして大内の跡は一里こなたにあり、秀衡が跡は田野になりて金雞山のみ形を殘す、先高館にのぽれば北上川は南部より流るゝ大河なり、衣川は泉が城をめぐりて高館の下にて大川に落入、康衡が奮跡は衣が關を隔て、南部口をさしかため夷をふせぐと見ゑたり、扨も義臣すぐつて此の城にこもり功名一時の叢となる國破れては山河あり城春にしては草靑みたりと、笠打ち舖きて時うつるまで涙を落し侍りぬ、「夏草や兵どものゆめのあと」(芭蕉の『弔古戰場文』)
悲しきかなや無常の春の風忽に花の御姿を散らしいたましきかなぶんたんの荒き浪玉體を沈め奉る殿をは長生と名づけて長きすみかと定め門をば不老と號して老いせぬ關とは書きたれども、未十歳のうちにして底の水屑とならせおはします、十善帝位の御果報申すも中々愚なり、雲上の龍下りて海底の魚となり給ふ大梵高皇の臺の上、しやくだい喜見の宮の中、古は槐門棘路の間にきうそくをなびかし今は船の内波の下にて御身一時に亡ぼし給ふこそ悲しけれ(『平家物語』)
夫れ隱れたるを求め怪しきを述べ作る小説野乘の果敢なきもの其の大筆に至りては必作者の隱微あり、是を弄ぶ者は甚多く是れを悟る者の得易からぬは昔も今も同じかるべし、この故に吾常にいふ達者の戯墨を評するに五禁あり所謂假をもて眞となして備らんこと求むる事、評者只其の理論をもて好む所へ引つくる事、作者の深意を生索(なまたずね)にして只其年紀などの合はざるを見出さまくほりするは()に云ふ穴捜の類なる事、前に約束ある事の久しくなるまで結び出ださゞるを待ちかねて催促しぬる事、神異妖怪は始ありて終なく出沒不可思議なる者也、さるを其の出處來歷を詳にせまほりし、其の消滅して終る所の定かならん事を求むるは惑のみ、作者の本意にあらざる事、大凡此の五禁を知りてよく吾戯墨を評するものあらば其は眞實の知音なるべし云々(馬琴が『八犬傳』の附言中の一節)
 對偶法は文章中最も多く用ひらるゝ修字法の一にして、初心者に取りては、最もまなび易きものゝ一なり。されば繊巧浮靡の文多くは對偶法濫用の病に坐せるものにあらざるはなし。對句駢儷は學び易くして而も多きに過ぐれば人の厭悪を惹くを常とす。名家の文といへど此の弊をば脱し得ざるものは尠からず。對偶法を巧に用ひて文の趣味を損せざるを得るに至りて、始めて作文の門牆を窺へるものといふべし。
夫れ人陽の時に在れば則ち(やす)く陰の時に在らが則ち(うれ)ふ此れ天に牽かれたるものなり沃土に處れば即ち(やす)く瘠土に處れば則ち勞す此れ地に繋かれるものなり慘ふれば即ち歡尠く勞すれば則ち惠(すくな)し能く之れに違ふ者は寡し小も必之れあり大も亦然かるへし故に帝者は天地に因りて以て化を致し兆民は上の敎を承けて以て俗を化す俗を化するの本は與に推し移るにあり何を以てか諸れを(こゝろ)む秦は雍に據りて而して強く周は豫に即きて而して弱し高祖西に都して而して泰く光武東に處りて而して(せは)し云々(張衡が『西京賦』)
 是れは六朝文の標本ともいふべき文體にして、今日より見れば煩瑣厭ふべし。而して其の弊の來たる所は言ふまでもなく對偶法の濫用に由れるなり。同じく對偶をしば〳〵用ひたるものにも蘇東坡が『前赤壁賦』中
況吾與子漁樵於江渚之上、侶魚鰕而友麋鹿、駕一葉之扁舟、擧匏樽以相屬、寄蜉蝣於天地、渺滄之一粟、哀吾生之須臾、羨長江之無窮、挾飛仙以遨遊、抱明月而長終、知不可乎驟得、託遺響於悲風云々
 といへるが如きは讀むものをしてさうまでうるさしと感ぜしめず、蓋し文の至れるものなればなるべし。
 また對偶法は諺、警句などに最も廣く用ひらる。殊に警語といはるべきほどのものは凡て對偶法より成れりといふも不可なきさまなり。
人の短をいふ事なかれ己が長をとく事なかれ、銘に云くものいへばくちびる寒し秋の風(芭蕉の『座右銘』)
是を是とするは謟へるにちかし非を非とするは謗るに近し云々(森川許六の『是非齋銘』)
小節を(はか)るものは榮名をなすことなく、少き耻をにくむものは大功を立つるこどみたはすといへり云々(近松作『本朝三國志』)
 此等みな警句格言と見ゆる所は對偶に成れるを見る。其の他「帶に短し襟に長し」「魚心に水心」「借る時の蛭子顔濟す時の閻魔顏」等すべて對偶法によりて妙味をたもてるものにあらざるはなし。
 蓋し對偶法の情趣に基くところは、其の想念排列の方式が對照といひ竝行といふが如き形式等の原理にかなへるためにして、斯くの如き排列方式は、その方式みづからが種種の情味を帶着し來たるなり。其の理は次編に明かなるべし。
(參照) 對偶法の大部分は英語のアンチセシス(Antithesis)といふものに相當す。
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