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  第二章 詞藻論

第九節 布置法

第一項 對偶法

  對偶法とは、二事を相封せしめて布置するの法にして、其の二事は成るべく正反對のものを對照するを妙とすれども、必すしも然らざるものあるを得るなり。「熱するときは火の如く。冷なるときは水の如し」などいふは對照なれども、「櫻の色に梅の香」といふときは、聯偶を主とするの味はひなり。  此等は對偶文の絶頂にして此の時代(應仁)の前後のなべての文脈は夫の支那に於ける六朝文とおなじく動々もすれば駢儷浮華に流れ易かりしなり。されば是の胡蝶の夢と蝸牛の角と、又は武藏野の草のゆかりと高砂の松の知る人との如きは、陳腐なるにせよ絶好の對偶にして、しかも隱喩法引喩法等をさへ言ひ籠めて、詞姿の優なるところ以て此の種の文の模範とするに足れり。其の他傍織を附せる箇所すべて複雑なる封偶をなせるを見る、若し此の文より對偶を引き去らば文なきに至らん。
 對偶法は文章中最も多く用ひらるゝ修字法の一にして、初心者に取りては、最もまなび易きものゝ一なり。されば繊巧浮靡の文多くは對偶法濫用の病に坐せるものにあらざるはなし。對句駢儷は學び易くして而も多きに過ぐれば人の厭悪を惹くを常とす。名家の文といへど此の弊をば脱し得ざるものは尠からず。對偶法を巧に用ひて文の趣味を損せざるを得るに至りて、始めて作文の門牆を窺へるものといふべし。
 是れは六朝文の標本ともいふべき文體にして、今日より見れば煩瑣厭ふべし。而して其の弊の來たる所は言ふまでもなく對偶法の濫用に由れるなり。同じく對偶をしば〳〵用ひたるものにも蘇東坡が『前赤壁賦』中  といへるが如きは讀むものをしてさうまでうるさしと感ぜしめず、蓋し文の至れるものなればなるべし。
 また對偶法は諺、警句などに最も廣く用ひらる。殊に警語といはるべきほどのものは凡て對偶法より成れりといふも不可なきさまなり。
 此等みな警句格言と見ゆる所は對偶に成れるを見る。其の他「帶に短し襟に長し」「魚心に水心」「借る時の蛭子顔濟す時の閻魔顏」等すべて對偶法によりて妙味をたもてるものにあらざるはなし。
 蓋し對偶法の情趣に基くところは、其の想念排列の方式が對照といひ竝行といふが如き形式等の原理にかなへるためにして、斯くの如き排列方式は、その方式みづからが種種の情味を帶着し來たるなり。其の理は次編に明かなるべし。
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