TOPへ
『新美辭學』のトップ
back

  第二章 詞藻論

第八節 化成法

第二項 頓呼法

 頓呼法とは、平叙の文勢頓に變じて、現にあらざるものを在るが如く、生なきものを生あるが如く見立てゝ之れに呼びかけ、又は今まで話しかけたりし外のものに話頭を向けかふるの謂なり。「ながむれば濡るゝ袂に宿りけり月よ雲井の物語せよ」といふときは、上半句平叙の文體が「月よ」といふに至り、突然變じて對話の形となり、現に前に在るにあらざる月、しかも無生物なる月を呼び出だすものにて、頓呼法の條件に合へり。
 頓呼法は擬人法と同じく我れの心象極めて強くなり行き、ほと〳〵現實と想像との境を見極め得ざる場合に出で來る句法なり。換言すれば現にあらざるもの、生なきものを、我れの心にて現に在り、生ありと思ひ做し、而して此の思ひ做しを其のまゝ事物の上に被らしむるにあり。
 頓呼法はまた後に論する現在法と密に連接す。頓呼法の最要條件は、目のあたりに在らざるものを在るが如く、呼び出す點にあるが故に、現在法すなはち現になき事物をも現に在るが如く寫すの詞法と同一系に屬す。されば修辭家によりては、之れを現在法の濃くなれるものと見なすものあり。
 頓呼法の文例
人買ひ舟がうらめしや、とても賣らるゝ身じや程に 靜に漕ぎやれ船頭どの(『總まくり』)
名殘惜しさに出て見れば、庭の雪に跡あり、是れこそかたみよ雪消な〳〵、ばうのつの中のいもせは變るとも、君もかはらじ我れもかはらじ(同上)
文はやりたし我が身は書けず、ものを言へかし、白紙が〳〵(俗歌)
思ひ出ず夜は枕と語ろ、枕もの言へ焦るゝに(俗歌)
うきを語らん友さへなくて、慰めかねつわが心、あゝうつゝなや過ぎしつたへの其の水莖の黑みしあとを見るにつらさのいやます涙が離れゆゑ濡るゝあはれとも袖も訪れかし(英一蝶の『朝妻舟』)
力拔由兮氣蓋世、時不利号雛不逝、離不逝可奈何虞兮虞兮奈若何(項羽が『核下歌』)
酒當歌、人生幾何、譬如朝露、去日無多、慨當以慨、憂思難忘、何以解憂、惟有杜康靑々子衿、悠々我心、呦々鹿鳴、食野之萍云々(曹孟徳の『熊酒』)
げに〳〵村雨のふり來たつて花を散らし候ふよ、あら心なの村雨やな、春雨の降るは涙か櫻花、ちるを惜まぬ人やある云々(謡曲『熊野』)
雲より上の一聲や、又二聲や、三聲とだにも啼き捨てゝいつち行くらん、やよや待てなれよ冥土の鳥ならば死出の山路に關据えて先立つ我が子留めよかし、心覺の道程もゆんでは秩父の山おろし、松の響か磯打つ波か、畫なら三保が清見寺、鐘かう〳〵とほの聞こえ、猶も心ぞ急がるゝ、きらめく露の玉澤村、闇はあやなし梅澤村、ふた村過ぎて行き狂ふ、駒の蹴上けの鞠子川、衣紋流しのあゝ曲もなや、此の駒の道の街に行き泥み、打てどもあをれどもなど進まぬぞ、歩きぬぞ、哀一足に千里もがなと焦るゝとは思ひ知らぬか白月毛の、駒に恨の涙の鞭、うつに甲斐こそなかりけれ、云々(近松作『曾我會稽山』)
和女は藤屋の吾妻かの、與次兵衛に揉まれて色のわるさよいとしさよ、近い内には必すと、請けて樂しさよ世帶して子供まうけてふたりが連れて、おちが肩ぐま、おてゝが日傘、肩で風きる山川に、親の御恩を振り捨てゝ、和女の世話になのふりも、昔には似ぬ男山、今では人も秋篠や、外山の松よ事問はん、まつがつらいか別れが憂いか、待つも別れもせぬやうに、親の許した女房は、義理と情の二おもて、かけて思へど甲斐もなく、今は野末の亂れ駒、昨日は吾妻に戀を載せ今日は故郷の焦がれ泣き、我れから狂ふ荻の葉の、亂れて袖に置きもせず、寢もせで露のたまくも、待たるゝとも待つ身になるな親と子の、便りを凌ぐ山崎の、妻もさこそは亂れ髪、いふた詞が力ぞや云々(近松作『壽の門松』)
遠寺の鐘も埋もるゝ、雲より奥の山路の旅御いたはしや永暦帝、干戈せきよう相挾み、左輔右弼列を引く、御幸は昨日の昔にて、今は甘耀く只一人、十善萬乘の御袖に、賤の菅蓑被せまいらせ、龍の御馬の口を取り、轡の者よ心せよ皆君が代の土も木も、今世をしのぶ御身には駒にも飼はぬ若草に何を咎めて水の音、谷の流れを慕ひ來て庵の扉に御馬をとゞめ云々(近松作『國性爺後日合戰』)
東方半明大星沒 獨有太白配殘月 嗟爾殘月勿相疑 同光共影須臾期 殘月暉々太日耽々 雞三號 更五點(韓愈)
 又擬人法等の詞藻の片々たる作例は、わが國の文學、ことに抒情を旨とせる和歌に多し。これ當然の事ならん。然るにひとり頓呼法のみは擬人法などゝ同じ系脈に屬しながら、和歌中に其の文例いと尠し。蓋し頓呼法は初まづ尋常の句法にて述べ來たり、層々情激して頂點に達するとき、突然轉じて當の事物に呼びかくるを本來とするが故に、僅々二三十字の短歌には、此の句法を充分に用ふるの餘地なかりしにも由るか。されば一首の和歌中やゝ頓呼法に近き句法あるものといへども、多くは初より擬人法もしくば現在法の意にて立言せるものを、單に語句を転倒せしめたるに過ぎざるが如き觀あり。
谷川のうち出つる波も聲たてつ鶯さそへ春の山風(藤原家隆)
おもふどちそことも知らず行きくれぬ花のやどかせ野邊の鶯(同上)
此れらは猶幾分か頓呼法の性質を帯びたれど
いく年の春に心をつくしきぬあはれと思へみよし野の花(皇太后宮大夫俊成)
ちる花の忘れがたみの嶺の雲そをだにのこせ春の山風(左近中將良李)
といふに至りては既に單に擬人法の語句を倒裝せるまでにて、頓呼法といふべき牲質なし。何とならば頓に話頭を轉する所なければなり。さらに
昔おもふ草の庵のよるの雨に涙なぞへそ山ほとゝぎす(皇太后宮大夫俊成)
などいへるは純然たる擬人法に外ならずとす。
(參照) 噸呼法とは英語にてアポスツロフヰー(Apostrophe)といふに相當す。
TOPへ
『新美辭學』のトップ
次へ