TOPへ
『新美辭學』のトップ
back

  第二章 詞藻論

第七節 譬喩法

第十項 類喩法

 類喩法とは、一事物と類を同じうする事柄のみを選出して、一段の文を成すの謂ひなり。全文の裏面に同類の事物といふ影を添ふるの修飾法なり、復言すれば月に緣ある事を叙するにあたりては月に關係せる名詞動詞等を撰り用ひて文を成し橋に緣ある事には橋と關係せる語句のみを用ひて文を成すたぐひなり。近松等の好み用ひたる貝づくし、橋づくし、碁づくし、鎧づくし、花づくしなどの文はすべて此の種の詞藻に屬す。左に其の文例を示すべし。
呉三桂輿に乘じ、なう〳〵老人に物申さん、市中をはなれし座隱の遊び面白し去りながら琴詩酒の三つの友をはなれ碁を打つて勝負を爭ひ給ふこと別に樂む所ばし候か。翁さして答なく、碁盤と見れば碁盤にて碁石と見る目は碁石なり、大地世界を以て一面の碁盤となすといへる本文あり、心上の須彌山是にあり、大明一國の山河草木今茲より見るになどか曇らん、一角九十目、四方に四季の九十目、合せて三百六十目、一目に一日を送ると知らぬ愚さよ。面白し〳〵天地一體の樂に二人對すは何事ぞ。陰陽二つあらざれば萬物調ふ事むなし。勝負はさていかに。人間の吉凶は勝の運にあらずや。さて白黑は。夜畫。手段はいかに、軍の法、切つて押さへて跳ねかけて、軍は花の亂れ碁や、飛かふ鳥群れ居る鷺と譬へしも、白き黒きに夜畫も分かで昔の斧の柄もおのづからとは朽ちぬべし云々(近松作『國性爺合戦』)
 此は類喩の下層にあるものにて、一題目を捉らへ來たり、其の道の諸事諸譯を一々列擧し講繹するに止まるの法なり。この文例につきて言はゞ、圍碁道の講繹必ずしも『國性爺』の本文と至要の關係あるにあらざれど、其の場面を飾り賑はさんために圍碁といへる一題目に因みて、種々の類語を駢列するものといふべし。次に物の名づくしにて一文を成すことあり、類喩法のやゝ進めるものなり。例へば
數々めぐる盃の影にうつろふ燈籠の、色をかへ品をかへ、切子太鼓の鳴りもよし、籠に入れたる作り花、桔梗蓮葉、藤の花、風に揉まれて百合の花、あの奥山の一もとすゝき、いつ穂に出でゝみだれ葵の花あやめ、我れが想は深み草、誰れか哀れと白菊や、紫苑がんぴに罌粟しもつけの花桶に、しだれ櫻や糸柳、水なき空の釣舟も、焦るゝ色の紅椿、手つまり山吹かきつばた、歌仙の姿おきあげに文字を透しおのすし燈籠、手際やさしき花かづら、振分髪をくらべ來し、井筒燈籠戸やかた、はひまつはるゝ朝顔の、花のうでなの輪々ごとに、ともす燈火きら〳〵とさながら秋の螢飛びかふ宇治川の、網代燈籠文字燈籠、すはま團扇唐うちわ、扇車に水車、油煙につれてくる〳〵、と、廻り燈籠影燈籠、月もふけ行く夜嵐に、まはれ〳〵品よく廻れ風車、をぐるまの花見車に忍びの車、あゝ〳〵百夜の車、よそに主ある袖ひくな、袖袖ひくな女郎花、戀をすみれか美人草、四季に色ある作り花、手を盡くしてぞ飾りける云々(近松作『媼山姥』)
の如し。此等は花づくし燈籠づくし團扇づくしともいふべきものなり。次に
それのみならず呉服屋の手代半兵衞はかの池田屋の小菊にたんと金入れなれば心どんすな者でもないに、身のしゆすこすに氣はちりめんの、見世の帳面皆ぬめりんす羅紗もないこと云はしやりんすのはや人魂も飛びさや拔いて、共に刄の諸羽ぶたへの、をなじ枕にふしつむぎ、重ね井筒の戀の水むすび汲む手は多けれど色はさまざま紺屋染め、胸はもえぎに紅ひはだ、ざやけや色は此れぞ此の、とくさに染めてさしもげに、心中みがくゆかりかや、花紫に薄淺黃、桔梗花色ぢしめがた紺屋ののりの道ひろく、到り先きだつ此の人々を今身の上に、智識ぞと云々(近松作『心中刄は氷の朔日』)
 此はたゞ〳〵呉服に緣ある語を驢列するのみの呉服づくしにあらずして、本文に必要なる事柄を陳ぶる傍類喩法によりたるもの、隨うて類喩として一層妙なるものなり。されど其の類語は多くみな本文の句尾を強いて呉服に緣ある語にいひかけたるものにして、地口の境を去ること遠からず、未だ以て類喩法の上乘なるものといふべからず。例へば「見世の帳面皆ぬめりんす」「おなじ枕にふしつむぎ」等の如き「見世の帳面皆ぬめり」又は「同じ枕に臥し」といはゞ足るべきを類語を用ひんためのみにわざ〳〵「ぬめりんず」「ふしつむぎ」などと言ひ長めたるものにて「ぬめりんず」「ふしつむぎ」はたゝ綸子の名紬の名たる外には何の意味なし。更に同じ『心中刄は氷の朔日』の發端
さりとても戀は曲者みな人の、地金をへらす燒け釘はたゝき直して、意見して、燒き直いても惡性の酒と色とのかずがひや煮ても燒いても噉まれぬは鐵橋あぶりこかな火箸其のくせ細工は器用にて、精さへ出せば、釘ぬきぬいてく讀み書きかな文かなばさみ、兎角萬能一れん物、鐵槌こたへぬ糠釘で後は吹きあけ韛吹く、鍛冶屋のてこの衆てつからりころり、てん〳〵からり、ちんがらり、ちん〳〵からりと打ちあけて帳面ばかり合ひに合ひ槌、いかな打出の小槌なりとも、績くべきやうなかりけり云々
の如きは復雜なる隱喩とも見らるべきものにして類喩法の上乘なるものなり。「地金をへらす」といひ「たゝき直す」といひ「煮ても燒いても」といふ。此等すべて一面には本文なる主人公の來歴を叙するの文句たると共に他面には一々鍛冶道の術語即ち類喩法たり。
 類喩法と掛詞及び隱喩法換喩法等とは密接せり。類喩法とは全段の文につきていふものなれば其が一語〳〵の上には掛詞もあるべく、隱喩法換喩法もあるべく、彼れ此れ目的を異にして同在するを得べし。「先づ鉢植の作り松ずんど流しの一枝は太夫の威勢備はりて、悋氣の嵐手くだの雨、無理な口説の霜雪も騒がず痛まず彌增しに情の緣はびこりて、松の位と譬へられしも憎からす」といふときに全文松に緣ある語を用ひたる點にて類喩法といふべく「恪氣の嵐」「手管の雨」等句々比喩の語を以て遊女の事を叙せゐ點にて隱喩法といふべきたぐひなり。
TOPへ
『新美辭學』のトップ
次へ