TOPへ
『新美辭學』のトップ
back

  第二章 詞藻論

第七節 譬喩法

第九項 詞喩法

 こゝに詞喩法といへるは、極めて廣き意にして、聲喩法の聲に基づきて喩を立て、字喩法の字に基づきて喩を立つると同じく、詞に基づきて喩を立つるをいふなり。「いらへもなくばかり」などいふときは、「無く」と「泣く」と單に詞の相似たるがために合して一となり「いらへも無く」かと見れば其の傍らに「泣く」といふ想念を附加し來たり「泣くばかり」かと見れば其の傍らに「無く」といふ想念を附加し來たるの類、すなはち是れ。されば詞喩法といふ中には、在來の掛詞、枕詞、地口、語路のすべてを包括す。掛詞とは同音異義の語を用ひて暗に或は明に一語に二義の通はしむる謂なり例へば
月も日も庭より出でゝ庭し人る、廓の内の武藏野や、平木の長が廣庭の、光琳風の築山を見わたす眼さへはる〴〵と谷の岩組つゝら折、筑波の山もはつかしの森と繁りし植込は、華麗を盡くす物ずきの、松の造り木造り枝、庭の松風三味線のてんじゆに通ふ細廊下、數寄屋が軒の南天に、珊瑚繋ぐ玉すだれ、萩は宮城野つつじが岡、梅や櫻の花紅葉、天より四季の仕きせして、手形の外の色ずくめ、金ずくめなる身の榮花、金のかんむり被ぬばかり。しやくは持病にありとかや云々(近松作『傾城酒呑童子」)
 此の文中「はつかし」の語は一面上の句なる「山も」に績きて「山も趾かし」といふ義を含み他面「はつかしの森」といふ名詞となれるものにて一語に兩義を兼ねたり。又「てんじゆ」の語は「三味線の天柱」と「天守に通ふ」との二義を併せ示せり。是等は掛詞の本領なり。「しやくは持病にあり」の「しやく」は癩と笏とを通はせたるものにて、地口語路などいふに近く「其のつらで髪すきどころか嚙みつきそうだ馬士唄のうしろで漉きかへしの紙すきがいゝ」などは純然たる地口なり。
 地口は語の上の戯れにして只其の場にて一見人の頥を解かしむれば足る。他の掛詞に比して償値輕少なり。
今はむかし地口好の伴頭見世に帳合をして居る、又地口ずきの按摩表を按摩針の療治というて通るを呼びこんで、コレお坊は地口ずきか、おれも地口は好きだ。今夜は療治をしながら地口が聞きたい。之れは願ふ所左樣なら御商賣の酒づくしでお前さまからおはじめ成されませ。ヲヽ其れならまづ劒びしが伊丹やす上から富士のあたりまで揉んで貰ひたい。ヲツと焼酎〳〵なんぼお前がふじ身でも、こうもんだら紙屋のきくかねへ。是れはありがた山々もつとぴんとするやうに九のあたりから七つ梅まで賴みます三洲ではない按州といへば。アイあい酒〳〵といひながら揉んで、ももつとぴんと揉めといふ故、之れはもめんやの男山だといふと、件頭むつとして。コレ錢を取りながらもめんやとはなんなの事だ。ハイ御免酒〳〵。ヤア口巧みなべらぼうめだと取つてかゝる。勝手から大勢出て滿願寺しなせゑ〳〵(焉馬の『開卷百笑』)
ハヽア角をお打ちなすつたか,飛車取らうと打つて爰へ成らうといふ腹か、ハテこれには『困つた飛車とり談合かい、イヤ斯う引いて呉れう。それでもお成のかば燒まづ香一枚有がたいと戴く。遣るさ遣つて指すッ、イヤかうしちやアどうする。かうしちやァどうすると、ハテナ取つてしまふ、ソコデ銀がうせる、桂で取る、ムヽまて〳〵飛車のござる氣つかひもなくと.先づ角をおも〳〵と元の所に御なほり候へ、と引く。ハヽア打つたなく〳〵こゝへ角を打たれやうとは存じもつかぬ、イヤ取れ〳〵。こつちも取れ〳〵。さて象棋は亂軍となつたの、と後からのぞきながら、コウ〳〵三公、此處に妙といふ手があるぜ、コレサ〳〵爰へ香を打つて何になるものか、アレ〳〵向のけつッばたへ銀を引いときねへ。ただ取られる。ムヽ成りか。ホィ〳〵助言それでよしか、たとへ成らねへも角だァ、たゞとり薩摩の守。そこに手もあれば足もあるス、コウ三公、おめへの手に何がある。香桂、あとは歩ばかり。香桂さきに立たず、サアどうする〳〵、下手の考休むに似たりだ云々(三馬作『古今百馬鹿』)
地口は啻に俗談軍話に用ひらるゝのみならす、誹諧にも是れあり、殊に夫のをかしみを主とせる檀林には最も多し。
ながむとて花にもいたし首の骨(西山宗因)
世の中や蝶々とまれ斯くもあれ(同上)
そばに居て見ぬや吉野のはなのさき(池田正式)
春たつやにほん目出たき門の松(齋藤徳元)
海裳かいやさやうにはなしの花(野口立圃)
 其の他俚諺童謠などにも地口を用ひたるもの多し。「追腹を切らう〳〵とまつだひら美濃いたむををばよくも知りてき」「世の中にかほどうるさきものはなしぶんぶというて夜も寐られす」「三度炊く飯さへ剛し柔し思ふまゝにはならぬ世の中」等は狂歌の類なり。
 地口は他人もならひ易き語法なれど其の償値少きため西洋にても之れをパンス(Puns)又はパロノマシア(Paronomsia)と稱して賤めり。
 地口の造句法は大抵上句と下句との間を同音異義の語を以てつなぐことゝ同音又は同口調の語を以て異義を言ひあらはすことゝにあれど時としては二者の間に更に他物を介し之れによりて同音調を保つものあり。例へば俗言の「七月の槍でぼんやり」といふが如きまたは北村季吟の「女郎花喩はゞあはの内侍かな」の如き之れなり。「七月」といふことゝ「ぼん」といふことゝ直接には類似せる所なきも「七月」といふより盆といふに連想し之れによりて「ぼんやり」の「ぼん」しと接績せしむ。「女郎花」といふと「阿波の内侍」と(詩歌的形容は別とし)いふとは言語上何の似たるふしもなけれど女郎花の形の粟粒に似たるより粟に連想し之れと阿波とを通はしめたり。地口の最も普通なる效果は可笑輕快の情を刺戟するにあれど、時としては他を嘲弄する意にて用ふることあり。是れはた語にをかしみを含むより來たるものには相違なけれぢ(かすか)に反語の氣味ある點にて別あり。他人に對して「恐れ入りたり」といふべきを「恐れ入り谷の鬼子母神」などいふは即ち是れにて、俗にいはゆる人を茶かすの語法なり。是等は要するに極めて眞面目に鄭重なるべき言葉の句尾を正反對なる無意味浮淺の句にて受くるを法とす。また強ち嘲弄の意にもあらねば滑稽の意にもあらす、只語呂を滑にせんため又は語を簡にせんために地口を用ふるものあり。此は既に純粹なる掛詞の部に入れるものにして、上に擧げたる「世の中や蝶々とまれかくもあれ」の句の如きは「蝶々宿()まれ」といふと「()まれ(かく)もあれ」といふことにかゝりたる掛詞、其の内に可笑味あるにも拘らず殆ど既に地口の範域を脱したるを見る。「世の中は兎まれ角もあれ」といふ超世的の觀念に「蝶々」の句を加えて「とまれ」の語を活し莊周の夢以來斯かる観念に緣深き一種の多幻めきたる感情を言ひ盡くしたるかたはら語呂を流麗ならしめたる妙句なり。
 純粹なる掛詞の文例
面白の賤が仕業や、さんろならねど吹く笛も、寢よけに見ゆる若草の花紫の藤袴紫苑りんどうわれもかう思ひの色はいは躑躅言はで焦れてやまぶきや忍びくる〳〵風車姿たえなる姫百合に、いつか添寢の床夏や名もゆかしきは美人草かほよ花こそ一しほに、色も匂もふかみ草、置く白露の玉椿身をせばめつゝ影やどす月見草こそやさしけれ云々(土佐浄瑠璃)
春も過ぎ夏もたちまち秋風に吹き替わりつゝ薄散り萩はこぼれて菊の花咲き出づる頃とぞなりにける云々(柳亭種彦作『田舎源氏』)
花を流すは芳野川、紅葉を流すは立田川、鎧の威のからくれなゐ、風に散り行く木の葉武者流すは須磨の浦浪云々(同上)
憂をば留めぬ相坂の關の清水に袖ぬれて、末は山路をうち出の濱、沖を遙に見わたせば、鹽ならぬ海にこがれゆく身を浮船の浮き沈み、駒もとゝうと踏みならす勢多の長橋うち渡り、行きかふ人にあふみ路や世のうねの野に鳴く鶴も子も思ふかと哀なり、時雨もいたく森山の木の下露に袖ぬれて、風に露散る篠原や、篠分くる道を過ぎ行けば、鏡の山はありとても、涙に曇りて見へ分かず、物を思へば、夜の間にも老蘇の森の下草に駒を止めて顧る古郷を雲や隔つらん、番馬醒が井柏原、不破の關屋は荒れ果てゝ、猶漏るものは秋の雨の、いつか我が身のをはりなる、熱田の八つるき伏し拜み,潮干に今や鳴海潟、傾く月に道見えて、明けぬ暮れぬと行く道の、末はいづくと遠江、濱名の橋の夕鹽に、引く人もなき捨小舟、沈みはてぬる身にしあれば、誰れかあはれと夕暮のいりあひ鳴れば今はとて池田の宿につき給ふ云々(『太平記』)
又も都を迷ひ出で、いつかはめぐり逢阪の關路をあとに近江路やみのをはりさへ定めなき戀し〳〵に目を泣きつぶし、物のあいろも水鳥の陸にさまよふ悲しさはいつの世いかなる報にて重ね〳〵の歎のかす憐み玉へとばかりにて聲を忍びて歎きける云々(山田案山子作『朝顔日記』)
 これらは多く物の名に言ひかけたる掛詞にして、道行の文句などにしば〴〵見る例なり。掛詞を最も巧に用ひしは近松門左衞門なるべく、彼れの淨瑠璃中には其の例極めて多し。
爰に帝の御妹栴檀皇女と申せしは、まだ御年も十六夜の月の都の宮人の胤や此の世にふる露の玉を展べたる御姿管絃の道ふみの道文字も働く口すさみ云々(近松作『國性爺合戰』)
親は他國の死目なりとも年のうちは廓の外へ一足にても踏みも通はぬ遠國波濤へ賣りて造り手や姉太郎の掟背かず勤させもが露ほども奉公に如才なく客をば振らず心にかけて、まはる紋日を一日も怠らせ申すまじ。第一には間男ぐるひ浮名はぐるに入れ根性する男あつて、勤粗末にいたすに於ては看のまゝながらの橋におろされ、又は水仕の下女にせられてかまどの火を焚き湯殿の水くみ門掃き、背戸はき、庭の掃除の塵や芥や紙くずの葉のうらみと存じ候らふまじ、萬一此の者年のち廓を逃げて走り井の水に身を投げ刃に伏し、心中して死たりとも、御難はかけじ何方までも、請人いでゝ捌き髪、油元結紅鼻紙、足駄せきだに至るまで仕着せの外は身の入れたてとの定なり云々(同『百日曾我』)
天滿に年ふる千早ふる神にはあらぬ紙樣と世の鰐口にのるばかり、小春に深く大幣の腐り合ふたる御しめ繩今は結ぶの神無月、せかれて逢はれぬ身と成り果て、あはれ逢ふ瀨の首尾あらばそれを二人が最後日と名殘の文のいひかはし夜毎〳〵の死覺悟云々(同『天の網島』)
小春も脇差取り上け洗いつ漉いつ撫で付けし、むごや惜氣もなげ島田、はらりと切つて投け捨つる枯野の芒夜半の霜ともに亂るゝ哀れさよ云々(同上)
其の他「若紫の色も香も無常の風に縮緬の此の世あの世の二重まはり」。「心もせきに關の孫六」「何のいらへも涙ほろりの顔ふりあげ」等枚畢に遑あらず。また謠曲にも掛詞を用ひたるもの頗る多く往々五月縄きほどなることあり。
何處とも定めぬ旅をしなのぢや月をとも寢の夢ばかり名殘を忍ぶ故さとの淺間の煙立ち迷ふ草の枕の夜寒なる旅寢の床のうき涙のもり山の宿に着きにけり(謠曲『望月』)
こゝは八島の浦づたひ海士の家居もかす〴〵に釣のいとまも波の上かすみわたりて沖ゆくや海士の小船のほの〳〵と、見えて殘る夕まぐれ浦風までものどかなる春や心をさそうらん云々(同『八島』)
 これたゞ一例にすぎす。和歌にては『新古今』時代のひたすら言葉を弄べる歌風以下に此の例多し『新古今』の歌の如きは殆ど總べて掛詞に成れりといふも不可旗なかるべし例へば
春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなくたゝん名こそ惜けれ(周防内侍)
逢ふ事はいつといぶきの峯に生ふるさしも絶えせぬ思いなりけり(中宮大夫家房)
消えわびぬ移らう人の秋の色に身をこがらしの森の下露(藤原定家)
等一々數ふべくもあらず。
 語路は地口と似たるものにて、專ら他句の語路のみを摸し全く別なる句を造るをいふ。「溫泉の保養」といひて、其の裏に「門前の小僧」といふ語路を髣髴せしむるの類是れなり。價値少なき修辭法たるを免れず。
 枕詞は一種特別の詞藻にして、意味上、本文とはさまで重要の關係を有せざる語を單に修飾のために句頭に冠せしむるものなり。例へば「呉竹の代々(よゝ)」「言さへぐ百濟の原」等の如し。されば枕詞に依りて一句を飾れるさまは、官人の冠を着けて容を端せるに似たりともいふべきか。加茂眞淵の『冠辭考』に「又この姿の事、歌はむにも言の足らぬ時は上にうるはしき言を冠らしめて調を成せりける、譬へばよそほしき冠を設けて頭に置くが如し即ち高ゆくやはやぶさ別のみむすひかねと歌へるたぐひなり云々」といへるもの是れなり。
 枕詞の造句法は大體二種とすべし音の似通へる語句を掛詞と同じ風に績くるもの例へば「春」といふ語に冠するに「自眞弓」といふ語を以てし「しらま弓春にもなれば云々」とつゞけて「春」と「張る」とを通はしむるたぐひと意味相受けて一義を成し殆ど普通の形客詞と異なる所なきもの例へば「足びきの山又山」「膽向かふ心のまゝ」などのたぐひ是れなり。一は「しらま弓張る」の。「はる」と「春にもなれば」の「はる」と單に同音なるのみにて意は全く別、且つ「白眞弓」と下句なる「春にも成れば云々」の事柄とも全く無關係なれど他は此の際音のみならず意も相通じて「膽向かふ心」といふときの「こゝろ」と「心のまゝ」といふときの「こゝろ」と同義なる差あるを見るべし。但し二者共に本文の事柄と冠辭とは直接に關係なきを枕詞の本來とす。「心のまゝに云々」といふ事柄と「膽向かふ」といふ事柄とは何の因縁もなくたゞ句頭なる心といふ一語の形容言たるに止まるの類なり。されど枕詞の上乘なるものに至りては往々本文の事柄とも關係を有して大に文の妙味を增すことなきにあらす。たとへば
朝髪の思亂れてかくばかりなねか戀ふれぞ夢に見えける(『萬葉集』)
 此の歌に於ける「朝髪の」の一句の如き、本來は枕詞なれども留守の人を思ふて夢にまで見しぞといふ意に善く叶ひて「思ひ亂るゝ」と「朝髪の亂れたる」と相通ずるなり。以上の二種の外やゝ趣のかはれる一の枕詞あり。疊音法の理を應用して「霰打つあられ松原」などいへる類是れなり。されど此の例はさまで多からず。
 枕詞の用例は『萬葉集』中の長短歌に極めて多し。
玉たすき畝火の山の、橿原のひじりの御代ゆ、荒れましゝ神のこと〴〵つがの木のいやつぎ〴〵に、天の下しろしめしゝを空見つやまとを置きて、あをによしなら山越えて、如何さまに思ほし召せか、天ざかる鄙にはあれど、岩ばしの近江の國のさゞ波の大津の宮に天の下しろしめしけむ、すめろぎの神のみことの、大宮は此處と聞けども、大殿は此處といへども、春草の繁く生ひたる、霞たつ春日のきれる、もゝしきの大みやどころ見れば悲しも、(柿本人麿)
やゝ下りては枕詞を文にも用ひたり。
其のうへ自ら定め自らみがけることは遠くもろこしの文の道を尋ぬれば濱千鳥の跡ありといへども我國やまと言の葉の始りてのち呉竹の世々にかゝる何なんなかりけり云々(『新古今集』の序)
文の林世々におとろへ言の葉の道日々にくだりゆきけるを賀茂の翁世に出て今を捨てゝ古へにかへり靑雲の高き心しらひを求めしづ機のあやあるみやび事をたふとみいへれど云々(村田春海の『琴後御集』)
純然たる枕詞の外に和學者の序詞と稱するものあり。枕詞は通例五字より成れる句にして、序とは十二字十七字乃至二十字三十字績きたるものをいふ。されど此は形のみの差別にして語句の性質上よりいふときは、殆ど之れを分つの必要なし。たゞ序詞は枕詞の如く一句と限らず、幾句も續け得るが故に、之れによりて本文の意味を補ひ得べく、枕詞が本文の意と直接の關係を有せざるを本來とするとは、やゝ趣の異なれるを見るのみ。枕詞といふとも巧なるものに至りては本文の意を補ふの用をなすことあるは前にもいへる如し。或は時として一首の歌の七八分まで斯かる冠辭に成り、本文は僅かに餘の一二句を盡くるが如きことあるより、之れを直に枕詞を呼ぶに忍びずして、別に序詞と稱するに至れるものか。上田秋成の『冠辭考續紹』に、「五言七言のみならず一二言一七言にもかむらすを誰そや序歌と呼びならはせしを、こもいかにそや思ゆ、序とは文家次第其事卷首と云義なる由には此裝のみにあやなしつる言の名にふさはしくもあらぬ」といへるも道理なくはあらず。
 さて此の種の序詞に用ひたる例は『萬葉』に
みすゞかる信濃の眞弓わが引かばうま人さびて否といはんかも
之れを他の
梓弓ひかばまに〳〵よらめども、後の心を知りがてぬかも
といへるに比するときはます〳〵序詞と枕詞とのさしたる別なきを知り得べし。前者は「みすゞかるしなぬのまゆみ」と二句十七言につゞき、後者は「あづさゆみ」と一句五言に終れるため一を序といひ他を枕詞といへど意は全く同一なる序を見るなり。其の他
梓弓手に取りもちて丈夫のさつ矢手挾み立ち向かふ高まと山に春野燒く野火と見るまで燃ゆる火をいかにと問へば、玉ほこの道來る人の、泣く涙ひさ雨にふれば、白妙の衣ひづちて、立ち留まり吾れに語らく、何しかももとないへる聞けば音のみし泣かゆ、語れば心ぞいたき、すめろぎの神の子の、いでましの手火の光そこゝに照りたる。
 初の二十九言はたゞ之れ「高まと山」の「まと」といふ語を引き出ださんための序詞なるのみ。而して此の序詞中、或は多少高まと山に葬られたる志貴親王の武勇を讃するの意籠れりとするも、其は極めて薄微なるものにて、殆ど五句二十九言の序詞と其の以下の本文則ち志貴親王の薨去を痛める文意とは、關係なしとも見らるべし。到底序詞は枕詞の大嵩なるものに過ぎず。序詞の能く本文の意を助けて餘情を深からしめたる例は
足びきの山どりの尾のしだり尾の長〳〵し夜をひとりかも寢ん(柹本人麿)
 三句十七字の序詞別に深意あるにあらねど只調子何處ともなく長〳〵しき心地して、夜の長々しきさまを形容し得たり。すなはち十七字は表面上下句の本意と關係せざるも調の上より間接に長〳〵し夜の形容となれるものといふべし。また
わがせこが衣のすそを吹きかへしうら珍らしき秋の初風(『古今集』)
 この歌の如き、更に妙なり、上三句は一方よりいふときは「うらめずらしき」の「裏」といふ語を引き出ださんために冠したる序詞なると共に他方よりいふときは此の序句あるために秋の初風の我がせこが初袷の衣の裙を吹きかへす樣員に見ゆるやうにて清涼の情致全句に溢れたり。序詞を用ふるは此の邊を極所とすべきなり且つ斯かる境に至れば冠辭と掛詞とは殆ど別なきを見る。『新古今』時代以後の歌人が之れを襲用して細巧至らざるなき由は掛詞の條下に言へり。
道のべの小野の夕霧たちかへり見てこそ行かめ秋萩の花(實朝)
春日野のわか紫のすり衣しのぶのみだれ限り知られず(業平)
みかの原分きて流るゝいづみ川いつ見きとてか、戀しかるらん(兼輔)
此等はやゝ巧なる序歌の例なり。
 總じて枕詞と掛詞との別は上句の意味と下句なる本文の意味との關係如何にあり。上句は上句にて一の意味を成し下句は下句にて一の意味を成したゞ上句の句尾と下句の句頭と同昔調なるため重なりて一につゞまりたるまでなるは、掛詞なり。例へば、今日別かれあすは近江と思へども夜や更けぬらし袖の露けき」といふが如し「今日別かれ明日は逢ふ身」といふと「明日は近江」といふとを言ひ掛けたるが一句の作意にして、今日別かるゝと明日は近江路に着くとは共に題中の事柄なるが故に「今日別かれ明日は」の八言を序詞と見做すを得ざるなり。之れに反し「たちわかれいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今歸り來ん」といへるは、上三句を序と見るべく之れに緣りて僅に下句なる「まつ」の字を引き起こし來たるなり。(「立ちわかれ往なば」の句また本文に關係あるは勿論なり)即ち枕詞(無論序詞をも含む)は上句の表面の意味と下句本文の意と直接に關聯せざるを本旨とす。而して題意は固より下句にありて、上句は贅餘の裝飾物たるに過ぎざるべし。但し贅句なりとはいへども、文字の裏面、句の音調等のおのづから題意と通ずる所ありて、一句の情趣を助くるものなるは言ふまでもなし。されば要するに枕詞は本文の事柄と直接に關係なき附贅の詞なる事及び意味の上又は音詞の上にて下句本文の句頭の一語と聯接する事の二件を要す。
(參照) 枕詞起のこれる所以に就きてはこゝに詳論するを得ずといえども、上古よりありしものにて、『冠辭考』にも「此言は上の世の上より中つ世のくにちに至りて今に傳れる色は三百にあまり數は六百にも足りやしぬらん譬は冠の品位も衣のくさ〴〵も代々を經て物さはになりにたるが如し、又歌のみにもあらず文なあやにも此言々冠らしめれり「眞髪ふる櫛なだひめ靑雲の白かたの津」などいへるたぐひなり云々」といへり。依りて思ふに上代にありては言文すべて調節を有したれば此の句調節奏な諧へんために句の足らざる所に贅語か冠せしが枕詞の起原なるか、將た上代の人は事物な比喩的に見るが常なるより、或は形狀の上にて或は音聲の上にて少しにても類似せるものをば直ちに連想し、自然之れな口にするに至れるが枕詞の起原なるか、二者の何れ是なるかは硏究を要すべき事なるべし。すなはち「鳴る神の音にのみ聞く」といへるは「音にのみ聞く」といふより直ちに雷の事に連想して「鳴る神の」と冠せしものか、又は「音にのみ聞く云々」にては語足らずして調を成さざるより單に此の缺な補はんために此の句に緣ある「鳴る神」な假り來れるものか、或はこの二事情相依りて成り出でしものか容易に定めがたしといふにあり。
 また枕詞といへる名稱につきては古來異論あり。『冠辭考』には「こを或人はまくら詞といへるを荷田の大人はかうむりことばといひつ、げに枕調とては古きみやび言とも聞えず、まくらは夜のものにてかたより冠りは日のものにてもはら也、物な上におくことを冠らすといふもいにしへ今に通へる語なれば是によれり、そもはた古へよのいはましかばさてもあるべきを公望が日本紀私記にかのいすぐはしちはやぶるなどやうのことをば發語と書て待り。然れば枕詞てふ語は延喜承平などの御時まではなく後にいひ出したりけり、源氏の物語に、云々の一事を枕ごとゝしてと書るは古へごとを籍きもて今の思ひたいふ故の語也、此冠辭はこを本として下の意をいふにあらず、たゞ歌の調のたらはぬなとゝのへるより起て、かたへは詞を飾るものにていはれ異なり、かの枕ざうし歌枕などいふな思へばその頃にいへりし也、この冠辭はいと上つ代の物なるからは、かりにも流れたる代のこゝろことばをばいひも出まじきものか云々」といヘり。之れに反するものは謂へらく枕とはあながち夜の具を指せるにあらず、頭にあてゝ常に傍を離さざゞるものゝ謂なり。したかひて枕詞とは單に句頭に籍きて附屬せしむる詞といはんほどの義と知るべし。枕詞の名な用ふるも不可ならんやと。思ふにこれらは區々れろ名目の論にして、冠辭、枕詞の何れと呼ぶも差つかへなきものなるべし。されば茲にはしばらく呼び馴れたる名稱にしたがひて、枕詞と記しぬ。
TOPへ
『新美辭學』のトップ
次へ