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  第二章 詞藻論

第七節 譬喩法

第三項 提喩法

 提喩法とは全と分との關係によりて結構せられたる比喩の謂なり。復言すれば或は總名を以で特稱に代へ、或は特稱を以て總名に代へ、或は抽象語を以て具象語に代へ、或は具象語を以て抽象語に代へたるの比喩なり。故にまた後に論すべき換喩法が種類に本づくの比喩を主とするものなるに對して、提喩法は分量を主とするものといふべも。俗に日用活計の料を総稱するに米薪まいふが如き特殊の名を以ても、又はさらに進みて全く個々特殊なる小町、楊貴妃等の名を以て美人聰體を代表せしむるが如きは、特種を以て總名に代へたるなり。花といへば櫻を意味し、常磐本といへ(ママ)は松を意味するが如きは、總名を以て特稱に代へたるなり。夫の俗に「太閤は秀吉に奪はれ祀師は日蓮に奪はれ」などいふも此の理をいへるものと見るべし。姦黨邪人を姦邪といふは抽象的名稱を以て具象的名稱に代へたるなり。冷熱を增氷熾火とかふは具象的特稱を以て抽象的名稱に代へたるなり。
 提喩法の由來する所を案ずるに、人間の情はすべて特殊具象の事物に近づくに從び其の度を強むるものなるが故に、抽象的總稱的のものよりも直截なる具象的特稱的のものを以てする方、措辭の目的を達するに一層有力なればなり、例へば「必す云々なるべし」といふは「九分九厘云々なるべし」といふの人心に入ること更に深きに如かざるの類なり。されば本來提喩法は抽象的特稱的の代りに具象的特稱的を以てするの一邊に盡くといふべし。然れども場合によりては此の理に背きて反りて文を有力ならしむることあり「日本國民の意志なり」といはんよりも「日本帝國の意志なり」といふかた重大に聞こえ「馬鹿者」といはんよりも主なる點のみ抽き出して「馬鹿」といふかた鋭く響く等之れなり。其の他「糞尿」といふべきを「不浄物」といひ「死す」といふべきを、「復た起たず」といふが如き、或は語を婉曲ならしめんがため,或は文に變化あらしめんため此の種の提喩法を用ふる例も尠からず。されば提喩法を分かちて特稱を以て總稱に代へ具象を以て抽象に代ふるものと之れに反せるものとの二種とすべし。
(參照) 提喩法は英語にてシネクドキー(Synecdoche)といふ。さて其の逆に抽象な以て具象に代ふるの提喩法すなはち變則なるものに關しては、ベイン氏が其の必要なる場合を數ヘたるもの、參看するに足る。其の意此種の提喩は變則にして其の効果また特別の事情に由りて生ずるものたり。まづ總名は(特稱よりも)多樣の意味含み又は繪畫的化粧的たるを得べし(中略)。また往々文を流麗ならしめんため之れな用ふることあり即ち優雅な害すべき語句をば露に其れと指さずして言ひあらはし得るの類也。之れな成すには通常當の事物の屬する階級の名な代用す、さすれは其が含む所おのづから我れの指示ぜんとするものな指示ずべし例へば「死す」といはずして「逝く」といふべきが如し(中略)。また抽象的名稱を用ふるときは主要の點のみをな引き離して之れに重きな置くた得べし「靑年」といふときは年わかき人な特に年わかしといふ點より云々するに恰好の呼び聲なるのたぐひなり(中略)。其の他語句な變化せしめ新鮮ならしめんには之れを用ふることあり(中略)。而して斯く感を深からしむべき一般の原理い背ける提喩はもと〳〵例外にして隨ひて其の用多きを得ざるなり」(“English Composision and Rhetoric”――Bain)
提喩の第一種すなはち具象的特稱的を以て抽象的總稱的に代へしものゝ例下の如し。
此の大明こそ道もなき法もなき手に足らぬ畜生國、軍兵を以て押し寄せ帝も后も一くるめ我が大王の履持にする事日を數へて待つべしと席を蹴立てゝ立ち歸る云々(近松作『國性爺合戰』)
奴隷從者といふべきを履持といひて一段具象にしたるなり。
春郊絲管日喧々。亦喜吾徒幽事繁。問字頻過楊子宅。送茶時叩玉川門。樓臺四百八十寺。花竹東西南北村。千重遊蹤一呟夢。病懐徒倚向進論。(菅茶山)
余が徒、幸に生を風流社會に託し濫りに花月の權を占有する者既に久し有司敢て我れを僭なりとせず法律敢て我れを縛する能はず優遊以て花前に吟嘯し月下に酣酌するを得る堂亦樂しからずや今にして遊ばずんば天公我れに年を假さず炎涼倐愛我が髪忽ち種々として我が眼漸く〓々たるに至らんとす此の時に及んでは月華明なりと雖ども花容嬌なりと雖ども復た爲す可らざるのみ云々(成島柳北の『促春遊檄文』)
提喩法の第二種即ち抽象的總稱酌を以て具象的特稱的に代へたるの例、
さん候某世にありし時は、鉢の木を好き、數多木を集めもちて候ひしを斯ようの體に罷りなりいや〳〵木ずきも無用と存じ皆人に參らせて候ふさりながら今も梅松櫻を持ちて候ふ、あの雪心ちたる木にて候ふ、某が秘藏にて候へども今夜のおもてなしに之れを火に焚きあて申さうずるにて候ふ云々(遙曲『鉢木』)
これは〳〵とばかり花の吉野山(安原貞室)
我れといはずして漠然某といひ、榮ゆる代といはずして單に世にありし時といひ、植木といはずして廣く木といひ、他人といはずして人とのみいひ、櫻の花いはずして花とのみいへるが如き、却りて情に直截ならざるものを用ひて情を刺戟せん乏するものなり。
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