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  第二章 詞藻論

第七節 譬喩法

第一項 直喩法

 直喩とは顯に一事物を他事物に比ぶるの謂として、喩義と本義とを明に區別し并べ掲ぐるものなり。月光の白きを霜の白さに比して「月霜の如し」といふが如し。而して之に「如し」「似たり」「たとへば」「さながち」等の設明詞を附したるものと、あらはに斯く斷らざるも比喩の義おのづから明瞭なるものとあり。例へば「其の疾きこと風の如く其の徐なること林の如く其の侵掠すること火の如く動かざること山の如く知り難きこと陰の如く動くこと雷震の如し」などいへるは前者なり「良藥は口ににがく諫言は耳にさからふ」といひて、良藥の口に苦きが如く諫言は耳に逆ふといふ意を知らしむおたぐひは後者なり。尚これらの別は下の文例に就きて明らむべし。
この故に龍を名けて雨工といふ、亦これを雨師といふ、その形を辨するときは角は鹿に似て、頭は(うま)に似たり、鬼に似て頂は蛇に似たり、腹は(みづち)似て鱗は魚に似たり」、その爪は鷹のごとく掌は虎の如くその耳は牛に似たり(馬琴作『南總里見八犬傳』)
 曾て實見せしことなきものを説明して目のあたりに見るが如く具現せしむるの方法として一段吾人の感覺に切なるものを喩とせるなり。
神前にて其心他念なく一筋に誠になれば、神も其誠のなりに來格して、かたみに感動する程に、涙もこぼれつべし、たとへば清くすめる水には其のまま月のうつりて互に光をますが如し、久しくなれば一つ誠に渾融して、神と人とを分かすたとべば水や空空や水ひとつにかよひてすめるがごとし、こゝに至ては洋々乎として其上に在るがごとく其左右に在るがごとくなるべし、是神のあらはるゝなり、誠のおほふべからざるなり(室鳩巢の『駿臺雜話』)
 是れまた空理を具現せしめて感に訴へんとせる妙比喩の一例なり。
 さて文は(ことはり)を本とし歌は(あはれ)を要とす、譬へば文は華也歌は香也華は其容語るべく香は其芳説き得べからぬが如し云々(香川景樹の『新學意見』)
 此は一句々々に「如し」「似たり」等の説明辭を挿まざるものゝ例を見るべく、文といひ歌といふものゝ複雜なる性質を譬喩により結束して示し、思想の散漫煩瑣に陷らんとするを防げるものといふべし。
 さりとは違うた御兄弟妹君は天下の美人、姉御の(つら)は何に似た盥口蓮切鼻猿眼鉢額耳はきくらげおとがひ蠑螺殻、畚尻に鰐足、あるきぶりは家鴨のしよち入、物にして破鍋、あのやうな悪女と夫婦になる男はよく〳〵運のつき(近松作『日本振袖初』)
 是れまた説明辭なき直喩の好例にして、近松が得意の滑稽を弄せし譬喩なり。
僧正遍照は歌のさまは得たれどもまことすくなし、たとへば繪にかける女を見ていたづらに心を動かすが如し。在原の業平はその心あまりて言葉足らず、しぼめる花の色なくてにほひのこれるが如し。文屋の康秀は言葉はたくみにてそのさま身におはず、言はゞあき人の善き衣着たらんが如し。宇治山の僧喜撰は言かすかにしてはじめをはりたしかならず、言はゞ秋の月を見るに曉の雲にあへるが如し、よめる歌、おほくきこえねば彼れ此れをかよはしてよく知らず。小野の小町は古の衣通姫のながれなり、あはれなるさまにて強からすいはゞよき女の惱める所あるに似たり、強からぬ女の歌なればなるべし。大伴の黑主はそのさま賤しいはゞ薪負へる山びとの花のかげにやすめるが如し(紀貫之の『古今集序』)
 此は有名なる『古今』の序の譬喩にして、直喩の文例としては、何人も熟知するところまた後世種々の文章に追摸せられ援取せられて人口に膾炙するものたり。蓋し譬喩の絶妙なるものといふべし。
一條表の物見の亭、氣のむすぼれも時津風、晴やかに見渡し給ひなか〳〵よい日和ではないかいの、うつくしい男が空色のうす物着てにこ〳〵笑ふやうな氣色、東山も一目にて惟茂樣の吉田のお館手に取ろやうに見ゆれども毎日遠目に見るばかり(近松作『栬狩劒本地』)
 是等も近松が妙手の譬喩として、東山あたりの春日和を、うつくしき男が空色のうす物着て打ち笑めるに譬ふるが如きは、極めて隔絶したるものを接近せしめて、而も牽強に堕せず、情致の委曲を盡くせる文なり。
 其の他
髢引上げ掻首せんと刀逆手に取る所へ東西より綱、公時、陽陰(あうん)の龍の雲を下るいきほひ一さんに驅け來たり、公時すかさず齋明をもんどりうたせ踏みつくれば綱は御臺の塵うち拂ひいたはり忍ばせ奉る(近松作『關八州繋馬』)
見る〳〵一だんの陰火君が膝下より燃え上りて山も谷も畫の如くあきらかなり、光の中につら〳〵御氣色を見たてまつるに朱をそゝぎたる龍顏(みおもて)(おごろ)の髪膝にかゝるまで亂れ白き眼を吊げあけ熟き息をくるしげにつかせ給ふ御衣は柿色のいたく煤びたるに手足の爪は獸の如く生ひのびてさながら魔王の形あさましくもおそろし(上田秋成作『雨月物語』」)
風雨ます〳〵つよく爛漫たる庭木の櫻を吹ちらして吹雪の如く散りかゝり手燭を颯と吹きけして忽ち眞の闇となる、鳴呼彼れが命の危さもげに風前の灯火なり、藤波進退を失ひて心たゆたひける所に、暗き裏に劍の光電光石火と閃きければ驚きて逃ゆかんとするを三八郎おどりかゝりて斬りつけたるが暗中なれば目當てちがひ空を斬る、これはと又捕る劒の下を潜りぬけて猶逃去らんとしけれども餘りに驚き身うちわなゝき足なへぎて走ること能はす夢路に迷ふごとくなり、三八郎は息をこらしあたりを探ぐりて立まはり、めつた斬にきりけるにぞ、藤波振袖の袂を斬り落とされ危く身は避けたれども目前に劍のひらめくたび〳〵胸冷へ魂きゑて、黑暗地獄の罪人が劍樹にのぼることならず(京傳の『昔話稻妻表紙』)
等、皆直喩の例なるが、末段に引ける京傳の文を他の諸家に比するときは、明かに其の文致の劣れるを見る。等しく喩を立つるも近松などの縱横自在にしてしかも斬新警拔なると異なりて多くは前人のを踏襲せるに過ぎす、比喩のために全幅の氣蓮生動するが如き妙は絶えてなきなり。
 また説明辭なき直辭の進みて殆んど譬喩の域を脱し、單なる對偶法とならんとして、而もなほ譬喩の味ある例は
義實急に呼びとゞめ、木曾介大人氣なし、麒麟も老ては驚馬に劣の鸞鳳も窮すれば蟻螻のために苦めらる、昨日は昨日、今日は今日、よるべなき身を忘れしか彼等は敵手に足らぬものなり(馬琴作『八犬傳』)
籠鳥の雲井を慕ふはその友をおもへばなり、丈夫の故郷を去るはその祿をおもへばなり(同上)
(參照) 英語にては直喩法をシミリー(simile)といふ。まれこれに關して舊來の修辭書が種々の規則を立てるを見るに
 ヘーヴンの條件にいはく「(一)比較すべき事物は或る點に於いて類似せると共に多くの他の點に於いて差はざるべからず、此類似と差異との大なるにしたがひて其の妙益々大なり云々。(二)比較すべき事物は難解のものなるべからす若し註脚を要するが如きものなるときに其の註脚は長かるべからず然らずんば註脚の方重くなりゆきて本題の目的ぶり注意な奪ひ去るの恐あり。また類似點の懸絶せるれめ之れを見だすに多大の力た要する場合には動もすれば牽強附會に陷るべし此の非難を避けんとせば比喩をして最も有効ならしめ又は面白からしめざるべからず云々。(三)比喩にその目的の高尚と卑賤とによりて或は原意高うし或は原意な卑うすうものならざるべからず云々。(四)比喩な屢々用ひて人をして倦厭せしむるが如きことあるべからず蓋し如何にめでたきものといへども多量に過ぐれば不味となるの理なればなり。(五)比喩を須たずして既に言表せられ又は之れなきも有るに優さりて善く言表せらるべく此の上には解釋をも感動をも加ふることなき場合に單に習慣上より比喩な用ふるが如きことあろべからず」と。(“Rhetoric”―Haven)
 以て他な類推すべし。
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