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  第二章 詞藻論

第一節 消極的語彩

第一項 語句の純正

國語の標準――他國語――方言――俚語――科語――古語――濫造語――訛語――誤用語
 こゝに純正といへる中には、從來の修辭書が文體の要素として説ける純粹、穩當、二條件の大半を包含す。蓋しこれら文體の要素といふ中には、啻に明白に思想をわらはすのみならず。之れをして醜といふ反感を起こさゞらしむるの用意をも包括す。されど所謂消極的語彩中には、醜といふ價値を含まず。醜は之れを零以下の積極的現象と見て積極的詞藻の下に論ぜんとす。消極的語彩はたゞ平叙文即ち零位についていふものなり。而して其の性質消極的なるが故に、文章に就いて直接に粹粋そのものを指摘することは難し、他の積極條件のために蔽ひ飾らゝるを其の本來とすればなり。されば吾人はたゞ之れが反對たる不純正の揚合にのみ、文章上の瑕疵として之を識るを得。隨つて作文家の此の揚合に於ける態度もまたひとへに之れを芟除せんとするの消極手段にあるべし。
 さて語句の不純正とは、標準語に違ふの謂ひなり。標準といふにも一般の國語としての標準、文雅なる國語としての標準等の別ありて、其の何れに違ふも不純正たるを免れす。蓋し一般の國語たる標準に違ふものは,場合により同國内にありてすら通ぜざることあらんを憂ふ。文雅なる國語としての標準に違ふものは、例へば後代の人又は外國人などの文章語のみを學べるものありとするが如き場合に、之れに通ぜざるものとならんを憂ふ。これ不純正なる語句の文章たるべき根本の資格を害する所以なり。之れがために思想の表出の阻礙せらるゝを恐るゝなり。下に其の主なる條項を數へん。
(參照)カムベルの意にいはく、所謂純粹には三事を含む。故に三の殊なる方法によりて之れを害することあるべし。第一、用語の英國語ならぬ事あり。此の缺點を語法家は呼びて雜駁(Barbarism)とふ。第二、文章の組織が英國句法ならぬことあり。之れな破格(Solecism)と名づく。第三、語句を從來の精確なる意義に用ひざることあり。此は不妥(Improprietly)と稱はらうと。又曰く雜駁とは詞論を害せるの謂なり。破絡とは文章論に背けるの謂なり。不妥とは辭義論を戻れるの云々と。而して雜駁の下には癈語を用ふるもの者、新語を用ふる者、新語例を作るものゝ三點を擧げ不妥の下には單語の不妥、章句の不妥の二點を擧げたり。又純粹以外の國語と用例との關係を論じ。國語の國語として一定の地位有つは畢寛用例の結果に外ならずとせり。而して用例といふにも制限ななかるべからざるとて好用例、國民的用例、活用例の三を數へたり。(“Philosophy of Rhetoric” ――Cambell)
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