島村抱月,島村瀧太郎,『新美辭學』,新美辭學,明治,明治時代,レトリック,修辞,修辞学,比喩,縦書き,タテ書き,たて書き,たてがき,文学,文芸,小説,読み物,和歌,学芸,文芸作品,著作,著述

第二章 詞藻論

第一節 消極的語彩

第一項 語句の純正

 こゝに純正といへる中には、從來の修辭書が文體の要素として説ける純粹、穩當、二條件の大半を包含す。蓋しこれら文體の要素といふ中には、啻に明白に思想をわらはすのみならず。之れをして醜といふ反感を起こさゞらしむるの用意をも包括す。されど所謂消極的語彩中には、醜といふ價値を含まず。醜は之れを零以下の積極的現象と見て積極的詞藻の下に論ぜんとす。消極的語彩はたゞ平叙文即ち零位についていふものなり。而して其の性質消極的なるが故に、文章に就いて直接に粹粋そのものを指摘することは難し、他の積極條件のために蔽ひ飾らゝるを其の本來とすればなり。されば吾人はたゞ之れが反對たる不純正の揚合にのみ、文章上の瑕疵として之を識るを得。隨つて作文家の此の揚合に於ける態度もまたひとへに之れを芟除せんとするの消極手段にあるべし。
 さて語句の不純正とは、標準語に違ふの謂ひなり。標準といふにも一般の國語としての標準、文雅なる國語としての標準等の別ありて、其の何れに違ふも不純正たるを免れす。蓋し一般の國語たる標準に違ふものは,場合により同國内にありてすら通ぜざることあらんを憂ふ。文雅なる國語としての標準に違ふものは、例へば後代の人又は外國人などの文章語のみを學べるものありとするが如き場合に、之れに通ぜざるものとならんを憂ふ。これ不純正なる語句の文章たるべき根本の資格を害する所以なり。之れがために思想の表出の阻礙せらるゝを恐るゝなり。下に其の主なる條項を數へん。