島村抱月,島村瀧太郎,『新美辭學』,新美辭學,明治,明治時代,レトリック,修辞,修辞学,比喩,縦書き,タテ書き,たて書き,たてがき,文学,文芸,小説,読み物,和歌,学芸,文芸作品,著作,著述

TOPへ
『新美辭學』のトップ
back

  第三章 美辭學の變遷

第二節 東洋美辭學

 東洋といふも茲には支那を主とす。支那に於ける修辭學の思想の發端と見るべきは、夫の『詩』の六義論なるべし。六義とは『毛詩』の叙に「詩有六義、一曰風、二曰賦、三曰比、四曰興、五曰雅、六曰頌」といへるものにして、『周禮』また六詩の目を立てたり。而して之れか解繹は漢の學者が下せる註と宋の朱子が上せる註と全く相違し、漢註はすべて之れを諷諫美刺に關せしむるの方針によりたれど、牽強信ずるに足らす。朱註によるに、風とは里巷歌謠の詩、雅とは周の朝會の樂歌、頌とは周の郊廟の樂歌の名なり。賦とは事を敷陳隊して直ちに言ふの謂ひ、比とは彼の物を以て此の物に比するの謂ひ、興とは先づ他物を謂ひて以つて詠する所の詞を起こすの謂なり。
 是れによりて觀るときは六義の中風雅頌の三は、詩の種類にして賦比興の三は詩中の措辭法なり。古來支那の學者は、六義を以て作詩の標準なるが如く思惟し、從つて種々の曲解を加へて之れを莊嚴にせんと試みたれど、歸するところ幼稚粗笨なる詩の分類原理たり、措辞法たるに過ぎずして、却りて其の修辭法といふものに支那修辭思想の萠芽を認むるは奇といふべし。賦とは畢竟事を叙するに比喩を用ひずして敷衍するの謂ひなり、修辭上いふ所の直叙法とを合せるが如きものなり。比とはやがて比喩によりて事を叙するなり、修辭上の喩法なり。興とは別題より起こりて本題に入るもの、即ち修辭上の序言法なり。修辭上の項目固より之れに盡くべくもあらねど、早く重要なる此種の辭法を數へ出だせるは、当時の學者が功というべし。
 此の他經書中子詩文類集に散見する片々たる修辭論は一々擧ぐるを得ず。また實行の方面には、戦國の代、縱横家といひ堅白同異の説といふが如きもの、おのづから當時の雄辯壇を代表して、希臘羅馬のソフヰスト等と似たる地位にありしものか。文章としても、孟、莊、韓、左等の諸名家輩出し修辭の一道は殆んど其の頂鮎に達せり。
 降りて梁に及び、劉勰の『文心彫龍』出でゝ、始めて支那に於ける一部完全の修辭書あり。支那美辭學の祖は劉勰なりといふも不可なし。其の論する所は固より雜駁なれど、文體を數へて八とし以爲へらく「若總其歸途、則數窮八。一曰典雅、二曰遠奥、三曰精約.四曰顯附、五曰繁縟、六日壯麗、七日新奇、八日輕靡、」と。また文の成立を三として曰はく「一曰形文、五色是也。二曰聲文、五音是也。三曰情文、五性是也。五色雜而成黼黻、五音比而成韶夏、五情發而爲辭章、神理之數也」と。其の他文の沿革、性質、體制、辭法等に就いて論ぜるもの凡て十巻より成れり。由來齊梁は六朝中最も詩文の分解批評盛なりし代にして、漢魏の後、彫琢の文ひとの世に行はれしと共に、詩文の形禮に關する硏究漸く興り來たり、批評また隨つて精を加へ、遂に文章論としては『文心彫龍』の如きものを出だせるなり。詩形論に於いても、齊の周顒が『四聲切韻』、梁の沈約が『四聲譜』など音韻の方面よりせる硏究盛なりといふ。
 唐は創作全盛の時代と稱せられ、評論批評に關したる者には注目すべき節少なし。宋に及びて再び詩文の形體を硏究する思想榮え、詩話類を始めとして、修辭若くは批評に關する書多く出でたり。就中修辭論として價値あるは陳騤の『文則』なるべし。詞藻法に意を注ぎて、曲折、對偶、倒言、病辭、疑辭等の目を立て、また喩法を數へて直喩、隱喩、類喩、詰喩、對喩、博喩、簡喩、詳喩、引喩,虛喩の十とせり。同じく宋の嚴羽が『滄浪詩話』中亦た詩形詩體について論ずると詳に、詩の五法、九品、三工などいふものを學け詩の體に、人によりて分かるゝもの時代によりて分かるゝもの等あることを説けるは、詩形論文體論にわたれるものといふべし。
 元には陳繹曾の『文筌』あり。以て元代の修辭論を代表するに足る。全篇を古文譜、四六附説、楚漢唐賦譜、古文衿式、詩譜等に分かち、詩文の法、式、製、體、格等の諸方面を論じたり。緖尾の九法、起端の八法、叙事の十一法、議論の七法、用事の十四法、養氣の八法などあり。 明に及びては、高琦が『文章一貫』などあれど、他書より拔鈔せる條項多く、新見に乏し。立意、氣象、篇法、章法、句法.字法を文の六法とし、褒美、攻撃、評品、抑揚、追想、囘護、推明、考詳を文の八格とせり。又た其の序に曰はく「立起端以肇之、叙事以揄之、議論以廣之、引用以實之、譬喩以起之、含蓄以深之、形容以彰之、過接以維之、繳結以完之。九法擧後文體具、體具而後用達」と。同じく明の徐師曾が『文體明辨』は、もと上世より唐宋に及ぶまでの詩文を纂集せるものなれど、其の分類法に於いて、變遷論に於いて、優に修辭學の域に入れる點あり。此の時代また詩話中に詩形を論ぜるものあり。清に入りては、唐彪が『讀書作文譜』最も修辭書の體裁を具ふ。書法、讀法、評論よりして、文章の體制、題法、辭法、種類、詩の體式等に及び、雜駁なれどもよく委曲を盡くせり。支那美辭學の最も完備せるものと謂ふべし。
 以上は支那に於ける修辭學の大概なれど、何れも科學的體裁をなせるものに非ざるは勿論にして、西洋の書の條理透徹、考察緻密なるに比ぶべきにはあらず。且つ修辭的現象と一般の文學現象乏の區別立たす、批評と修辭論との混亂あるは免れざる所なれども、之れが補償として、前人が文章の美に感じたる直截の事實材料は、却りて支那の修辭學に多きを覺ゆ。且つ其の範圍の最も文學的方面にありし點も、西洋古代の修辭書の缺を補ふに足るものといふべし。要するに支那の修辭學は之れを未成の材料として見るべきなり。
>