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  序言の二

 自分が本書を著はすに至つた動機、由來について、茲に一言したいと思ふ
 自分は文學を修めた者である。文學を修めた者が文章、修辭の研究に埋頭するの意久地なき事はよく知つて居る、知つて居るのみならず、此の仕事に携はるやうになつてから、其の意久地なさをしみ〴〵と感じて來た。西洋ならば希臘の盛時より羅馬を經て中世紀に至るまで、支那ならば六朝より淸朝の盛代に至るまで、日本ならば奈良朝より德川の末に至るまで、修辭の研究が非常に重んぜられ、文章家の地位が非常に高かつた時代に生まれたならば、此の硏究に、甘んじて生涯を捧げもしやう、又捧げばえもするであらう。西洋では十八世紀以來、立派な大學では修辭學の講座が廢せられ、氣の利いた學者で修辭學を硏究する者の殆んど無くなつた今日、我が國では文藝思潮の急轉によつて、俊英の士競つて創作、評論等に赴く今日、作文書といへば、見るに足らぬ、愚にもつかぬ端物ばかり出づる今日に當たつて、文學を修めながら文章修辭の硏究に從事するのは、いかにも情なき事である。しかしながら、自分は止むを得ざる事情により、不幸にして此の事業に携はらざるを得なくなつた、携はつてとみには脫することが出來なくなつた。其の後、人に「作文の先生」と呼ばれて冷汗を流したことが幾度あるか、知れぬ。「作文」といふ語の耳に障る所から、之れを避けて「文章」といふ語のみを用ゐて來たといふ心苦しい經驗もある。かやうに心苦しい目をして、彼れ是れ十年近く母校の早稻田大學に文章の一科を擔任して來たのであるが、其の間ふと思ひ立つことがあつて、どうせしばらく此の仕事に從ふことならば、此の方面で何か一つ目立つた記念品かたみを遺してはどうか、第一自分の心も幾らか滿足し、多少世間の爲めにもなり、讀書子が文章上の趣味を少しでも高めるやうな著述を試みてはどうか。と、かう考へて茲に文章に關する二種の著述出來でかさうと決心した。其の一は前の『文章講話』、又此の『新文章講話』で、其の二は遠からず公にせむとする『實習新作文』である。

 第一、『新文章講話』を著はすに當たつて、自分の抱負、抱負は仰山過ぎるが、とにかく自分の意氣込はかうであつた。今迄の作文書といふものには組織が無い、深さが無い、力が無い、熱が無い、光が無い、新しみが無い、要するにいのちが無い。材料といひ、說明といひ、唯だ古物ふるものを置き換へ、拔き差しする順列コムビネーション錯列バーミューテーションぎはぎ細工で、生命ある新工夫は絕えて無い。名文を作る工夫を說きながら、其の說明の文章が蕪雜にして文を成さぬといふ奇觀がある。中古文一點張り、漢文一點張り、西洋修辭一點張り、といふのがある。古風の文章のみを說いて旭日昇天の新式文章に一瞥をも與へぬのがある。又今の世には眞に文章に達し、文藝の堂奧に入つた人が中學前後の靑年少年の作文に關しては、之れを流俗の手に一任して棄てゝ顧みぬといふ傾きがある。尤も、修辭論としては、古に弘法大師の『文鏡秘府論』、近頃に島村抱月氏の『新美辭學』の名著があるけれども、それは餘りに專門的で俗耳に入り難いといふ遺憾がある。自分は此の遺憾なる點々を補うて、かういふものを作りたいと考へた。

一、材料引例の全く新なるもの。
一、組織、說明の新なるもの。
一、新舊兩式の文章を併せ說きたるもの。
一、新思潮に觸れた青年の心情に響くもの。
一、國民の文章趣味を正しくし、又高むるもの。
一、今日の學者には修辭文章の書物などを多く讀む餘裕が無い。故に、及ぶべくは、アリストートルの『レトリック』以來、劉勰の『文心彫龍』以來、空海の『文鏡秘府論』以來、和漢洋の主要なる文章論を收めて、活きたる新組織、新說明を與へ、修辭文章を專修する者にあらざる限り、此の一書を讀めば十分といふ程に備はつたもの。

 自分は一種の創作のつもりで此の業に從つた。此の希望は無論空想に止まつて、所期の十が一をも實にし得なかったが、とにかく斯樣に志して出來上がつたもの、即ち本書である。

 第二、『實習新作文』は『新文章講話』と相並んで對をなすべきものである。此の書に於いては『新文章講話』に說いた精神を實例に引きあてゝ說明する。全體を書翰文、記事文、論文の三大部に分かち、其の各〻に於いて單純なる實用文より漸次高尙複雜なる文章に及ぶ。已に半ば以上脫稿してあるが、期する所は左の點々にある。

一 材料の全く新なる事。
一、書翰文に於いては米味噌の注文の如き卑近なる實用文より複雜なる思想感情を表はした文章に及び、記事文に於いては手近な日記より光彩ある叙景叙事の文に及び、論文に於いては手近なる事理の說明文より高尙なる哲理、思潮或は國家の大事を說きたる堂々たる論文に及ぼす事。
一、三部門の各〻に於いて、まづ未熟なる文を擧げ、其の整はず正しからざる點を說明して、削正したる結果を示し、次いで模範文を揭ぐる事。
一、三部門の各〻に於いて、雅文體(書翰文にては候文)と言文一致體とを並べ揭げて、其の趣致、特色、及び句作りの呼吸を說明する事、又最新式の文章をも說明する事。
一、實例を說く間に前後の關係に適應せしめて作文上の心得を挿入し、學理を知りつゝ實例を研究するやうにする事。
一、讀者の文章趣味を高むる事。
一、形式的なる、陳腐なる、わぎとらしきを排して、情のうつツた、誠の現はれた、自然にして、力があり、生命いのちがある文章を揭ぐる事。
一、實用方面を顧みると共に、文學鑑賞の下地をも作る事。

 此のやうな期望で、遲くも向ふ半年の內には公にするつもり、收むる所の實例は少なくとも百篇以上、紙數は此の『新文章講話』と似たものにならうと思ふ。拙劣は覺悟して居るが、二書共に眞面目に最善の力を盡くしたとは信じて居る。
 『新文章講話』と『實習新作文』と、此の二書は相待つて對を爲すべきもので、自分が過去十年間に於ける文章硏究の記念品である。之れを親愛なる靑年少年諸子、及び我が文章界への置土產として、改めて新なる事業に着手したいと思ふ。

上州四萬溫泉にて

明治四十二年八月下旬

著  者  識

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