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第八 主として變性の原理に基ける詞姿

 第五十章 超格法

一一三 文の法格に違背することが、或特殊の事情の爲めに許さるべき場合があり、又單に許さるゝのみならず、それが寧ろ一種の成功となつて文の趣致を添へる場合がある。法格を破つて却つて遵法以上の効果を牧むる詞姿を稱して超格法といふ。蓋し文法は思想の明寫を標準として定めた形式で、本來知識上のもの、而して文章は知識上の形式を基礎として踏まへ居ると同時に、其の形式の律し得ざる領分をも有して居る。此の領分を寫さむが爲めの法格違背は文法の妨げ得べきものではない、そは文法以下法式以外ではなくして文法以上であり、法式を超越して居るからである。但し此の法は非常特別の場合に用ゐべくして通常の場合に用ゐべきものではなく、激情を表はす文に用ゐべくして、理路を明らかにすべき文に用ゐべきものではない。 超格法は凡て基礎的要求に違背して而も妙なるものであるが、かりに大別して第一、不精不明不純不穏にして而も妙なるもの、第二、言表する事柄が照慮せず纒まらず或は略し過ぎて而も妙なるもの、第三、不可解にして而も妙なるものの三種とする。第一不精不明不純不穏にして而も妙なるものとは、例へば、

伴之丞、跛ちが〳〵腰を引く。忠太兵衞つら憎く、此方こなたは腰をお引きなさるゝが、疝氣でも起こつたか。されば〳〵、拙者ほどの馬の名人なれども、龍の駒にもけつまづき、馬から落ちて と、方言やら重ごんやら、忠太兵衞をかしさ、彼奴きやつ嬲つてやらむと思ひ、馬から落ちて落馬したとはいかう念の入つた落馬、痛むが道理、いづ方も落馬がはやるやら、生駒新五左がこおりも妙藥一服で影もさゝず落馬いたす。我等は今朝他慮へ參り、大事の精進をつい落馬致した。此の樣に落馬のはやる時、むざと言分などなさるゝな、首が落馬致さうぞと、澁々いふも茶の湯者を聟に持つたる身の習ひ……(巢林子『槍の權三重帷子』)
随分鳴りをしづめ神明佛陀をいのり申せとありければ、皆々わツと嬉し泣きゞや神佛を賴まむと、伊勢天照如來樣南無繹迦大神宮南無春日大菩薩南無阿彌陀大明神と、心もそゞろにに泣きしのぶは藪に蚊のなく如くなり。(近松『酒呑童子枕言葉』)
鐵砲作雙方どツちらにも引ツからんだ綾はねえから、すツぱりきまつたといふ所で、證文の一段よ。いつもなら長でえさんに賴まうといふ所だが、珍らしくもねえ喧嘩を、萬一ばんいち持行もツてくでもねえから、おれが助言じよごんして、勝べいに書かせたア。 むだ助「そいつは强氣ごうぎだの。 「そこはソレ馴居なれてるもんだから、氣遣つ樣ぢやアねえス。ナアソレ、誤證文之事ひとつス。 とび八「ムヽ。 「我等事酒にたべよひ候上、口論を申しかけス、そこはいがナ。おらア夫れ、其所許そこもと樣とべいツたら、勝がいふには貴殿がいといふのよ。貴殿と云つちやア二本すやうで洒落臭しやらツくせえから、そこで鹽梅物あんべいもんだと、いろ〳〵に首を捻つたが、しかたがねえから、やヅぱり貴殿ス。いかナア。 いとも。とび「貴殿ぢやア此方こらとめかねえが爲方しかたがねえ。 「ソコデ、貴殿御大切の御鼻たべ候段、一言之申譯御座なく候(皆々大笑ひになる) 何故なぜをかしい。 「サテハ鼻を食搔くひかいたぢやアねえか。 「何さ。さう云はねえきやア威勢がわりいからよ。ちツとばかり食付くれへついたのだ。 むだ病犬やまえぬのやうな喧嘩だナ。 むだ 「そんなら又、貴殿御大切の御鼻、少々食ひ付き候段とすればいゝ。 「馬鹿ア云やな、文言もんごんの人柄が惡くなる。コソデ食べ候ス。 むだ「夫れぢやア鼻を食つてしまつた樣に聞こえる。 「ハテ、どうせ跡は引裂ひツさく物だア。主達の樣に云つちや始まらねえ。(三馬『浮世風呂』)
小夜子さよこも華やかに嫣然にツこりして「ぢや、あたしともしてよ。」と、言葉遣ひまでが急に違つて來る。「さあ、かう。」と哲也は今は無性に愉快になつて來て、躍り上がると、「小夜さん!」と振り返つて、「今日はね、お互に學生時代に若返わかがへつて、一つ大いに愉快に遊ばうぢやないか?」小夜子は絹アラシの肩掛シヨールの襟を蝶々で留めてゐたが、嫣然にツこりして、「えゝいわ、其の代はりあたしお轉婆してよ。」 「お轉婆?」と哲也はくわツと氣負きおつて「面白い!」と絕叫し、貴女あなたがお轉婆すりや、ぼかあ………ぼかあ……」と對句にこまつて、亂暴するツ!(二葉亭『其面影』)
「亂暴するツ!」ではこゝに嵌まらぬが、此の場合嵌まらぬ所が、却つて面白いのである。

第二、照癒せず纒まらず或は略し過ぎで而も妙なるものとは、例へば、「治部右殿のお恨みも聟可愛さとは存すれども、左程に思召すならば、なぜ日頃引き寄せて、異見もして下さつたら、斯樣な事は出來まいものと、我が子の痴氣たはけは思はず、脇がかりの恨みが出る。」は、文法に合はせて筋を正し照應さすれば、「何故異見もして下さらぬ、若し異見して下さつたら、とあるべき所、さりながら、かく感情のたかぶつた場合を寫した文としては其の照應せぬ所、纏まらぬ所、略し過ぎた所が却つて面白い。「敵の一味なればとて親を手にかけ殺すとは、武家にも公家にもあることか。いかなる高名ほまれとなり天上の榮華もわしやいや〳〵、免して下され父樣」と、「親王は托鉢修行と欺き大內に推參し、無理難題をいひかけ否と勅諚あらむは必定、それを味方の詞質、跡は名虎に任せおけ。」の如き、いづれも法格に合はぬ所に面白味があるのである。基礎論で破格として非難した雙頭文、雙尾文、橫走文なども、此の場合には當然に許される。

知盛が沈みし其の有樣に、又義經をも海に沈めむと、夕浪に薙刀執り直し、巴浪の紋あたりを拂ひ、潮を蹴たて悪風惡を吹きかけ眼もくらみ心もみだれて前後を忘ずるばかりなり。(謠曲「舟辨慶」)
杓子定規にいへば、「知盛が惡風を吹きかけ、義經等が之れに眼もくらみ」とあるべき所である。
かく夫婦となり國を立ち退き浪人し、わりなき中に淸瀧をまうけしが、兄は生ひさき大望ある大事の子、此の乳房天の與へと藁の中よわ水子の娘を捨て實子にかへて育てしは約束たがはず敵を討たせ、妻の本望一學が亡魂の修羅の妄執はらさむと、明けくれ心を碎きしに、思はず淺川公の御諚よんどころなく、十三の春より召し出だされ奉公人にすぐれ、膝もと去らずの出頭……(巢林子『室町千疊敷』)
死神ついた耳へは、異見も道理も入るまじとは思へども、さりとは愚痴の至り。先きの男の無分別は恨みず、一家一門其方そなたを恨み憎しみ、萬人に死顏晒らす身の恥、親は無いかも知らねども、若しあれば不孝の罰、佛は愚か地獄へも、暖かに二人連れでは堕ちられぬ。(巢林子『天の網島』)
不照應、不聯絡、不合法、しかも隙間なき文路に法格超絕の妙味がある。
草若み常陸の海のいかゞ崎いかで逢ひ見む田子の浦浪。(紫式部『源氏物語』)
梅が枝に木づたひて啼くほとゝぎす聲聞く時ぞ秋は悲しき。(六樹園『近江縣物語』)
(交作系圖)抑〻斯波の武衞の館と申すは、代々左右の兵衞に任ず。斯波の氏は源氏なり。總じて源氏も品々の、淸和源民、宇多源氏、村上源氏、嵯峨源氏。中にも斯波は淸和源氏、源氏々々が四源氏御座る、中に淸和ぞ世に光る。光源氏は敷島の歌道の敎授と聞こえたる、百人一首の卷頭天智天皇十八代の御門みかど、陽成院筑波根の峰より落つる源の、賴光に胤腹一つの御弟、賴信の跡取賴義の總領、 うそ でないよの愛宕白山八幡太郎、義家に五代の後胤上總の介義兼が末葉、兵庫の頭坂田の公平には、顏まツかいな他人にて、渡邊の綱こそは茨木童子が片腕、只だ一太刀にうちはもうちは伯母聟ぞや……それより代々に傳はりて、楠多聞兵衞正成が嫡子犬坊丸、二男惡源太義平、三男山邊赤人は古今無雙の歌人にて、公家にも一門在原の業平の中將の、妻も籠もれり若草に、今日はなき燒きそ武藏坊辨慶が七番目の末子、七つ道具の財槌頭……(巢林子『雪女五枚羽子板』)
筋も格も亂脈な所に滑稽の妙趣がある。

第三、不可解にして而も妙なるものとは、例へば、巢林子が『國姓爺合戰』の中に、松浦濱に漂着した大明皇帝の妹栴檀皇女を、和藤內夫婦が圖らず迎へ取つた所を、わけのわからぬ唐人語で寫して居る。
其のひまに 上﨟浜邊におりて夫婦を招き、日本人〳〵、なむきやらちよんのふとらやあ〳〵と有りければ、小むつふツと笑ひ出し、あリヤ何といふお經ぢやと腹をかゝへてをかしがる。やい〳〵笑ふなあれは日本人爰へおじや、賴みたいといふ事と押しのけて立ちよれば、上﨟淚にくれながら、大明だいみんちんしんにようろ、君けんくるめいたかりんかんきう、さいもうすがすんへいする共にこんたかりんとんな、ありしてけんさんはいろ、とらやあ〳〵とばかりにて又さめみ〴〵と泣き給へば、小むつは濱邉にころりと臥し腹筋よつてたへかぬる。和藤內はつねみ〴〵父が詞の唐韻覺え、はつと手をつき頭をさげ、うす〳〵うさすはもう、さきがちんぶりかくさんきんないろきんにやうにやうと手を打つて、互にしみ〴〵手を取りくみ、悲歎の淚睦まじし。

最後のは大悲咒だいひじゆのもぢりであらうが、大體は何の事やら少しも解らぬ、しかしながらこんな場合には解らぬ方が、却つて面白いのである。但し斯樣な場合には、讀者に理解しやうと努力させるやうではならぬ、言ひ換へれば讀者が安心して解らぬ面白味を味はへるやうでなければならぬ。 超絡法は省略法、飛移法、警句法等にも淺からざる關係がある。
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