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第七 主として順感の原理に基ける詞姿

 第四十五章 咏嘆法

一〇五 切なる思ひ胸に滿ちて之れを語り得ざる時は之れを咏嘆の聲に漏らし、之れを語りて盡くし得ざる時は添ふるに咏嘆の語を以てする。咏嘆法は此の人性の上に立つ詞姿で、從つて常に深き高き强き激しき感情を表はすに用ゐらるゝ。此の注の形式は一樣でない、或は平叙文の前後に「あはれ」「鳴呼」「かな」「かも」「や」「よ」等の感投詞の添うたのもあり、主語、術語、客語より成る通常の形式によらずして嗟嘆の語のみより成るのもあり、又疑問式にして嗟嘆の實があるものもある。「此め花の思ふことなげに美はしきかな。」「賢なるかな回や。」の如きは第一の例、「人知れぬ思ひかな。」「誼ふべき世の中よ。」の如きは第二の例、「天道は是か罪か。」「美はしきものなどて脆き。」の如きは第三の例である。

(主上)小さく美しき御手を合はせ、先づ東に向はせ給ひて、伊勢大神宮、正八幡宮に御暇申させおはしまし、其の後西に向はせ給ひて御念拂ありしかば、二位殿やがて抱きまゐらせて、波の底にも都のさふらふぞと慰めまゐらせて、千尋の底にぞ沈み給ふ。悲しきかなや無常の春の風忽ちに花の御姿を散らし、痛ましきかなぶんだんの荒き浪玉體を沈め奉る。殿をば長生と名づけて、長きすみかと定め、門をば不老と號して老いせぬ關とは書きたれども、未だ十歳のうちにして、底の水屑とならせおはします、十善帝位の御果報中了も中々愚かなり。(『平家物語』)
こゝに文化の五とせ九月八日、平春海、謹みて芳宜園の大人のいくつきの御前に、菊の初花一枝をたむけ、香の木一ひらを燒きて、うなねつきて申さく、あはれ悲しきかも、君はわれに十といひて一とせのこのかみにおはすなるが、今そのかみを思ひ出づるに、君は方に盛りの齢におはして、我れはまだわらはにてぞ侍りける。……今こがねの聲忽ち止みて、玉の響き再び聞こえずなりぬるは、わがどちの嘆きのみかは、大方の世の人の憂へともいひつべし。これをいかで悲しまざらむひ、かゝるを雛れかは慕はざらむあはれ悲しきかも(村田春海「祭芳宜園大人墓文」)

深き感情を簡単なる語に寓する鮎に於いて、咏嘆法は謠かに優つて居る。安原貞室の「これは〳〵とばかり花の芳野山。」と淸水濱臣が之れに摸したる「みよし野の芳野の山の花ざかりしばし物こそいはれざりけれ。」とを較ぶれば詞は同じく鍊れて居りながら後者が語多くして餘韻少なく、到底前者の敵にあらざることが明らである。されども、咏嘆法は止むを得ざる場合にたま〳〵用ゐて始めて効あるもので、漫りに多く用ゐべきものではない「あはれ憂き世や、厭ふべき世なるかな。」といふ風に「あはれ」「かな」「!」だらけの文章は、人をして眉を顰めしむる。西洋にてもかゝる文をば咏嘆體というて之れを卑しみ、又咏嘆は欠伸あくび咳嗽せきくさみ同樣のもので言葉ではないとて、「!」印のある部分をいて讀むことを主義とする人もある。要するに、咏嘆法は淚の如く、抑へきれぬ場合に用ゐて始めて効力あるものである。
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