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第七 主として順感の原理に基ける詞姿

 第四十三章 避板法

一〇一 似よつた調子の文句を並ぶれば文章が美はしくなるが、それが並び過ぎると一種の忌味が生じて來る。故に、同調の文句を累ね用ゐる際には、同じき中にも多少の變化あらしめ、異中に同あり同中に異あらしめねばならぬ。此の累調の忌味を稱して、或は呆板、平板、方板といひ、同中に異あらしめ、對偶の中に變化あらしむる詞姿を稱して避板法といふ。左に板に陷つた文例を擧げる。

一年故少納言入道信西が執權の時に相當たりて、我が朝には嵯峨の皇帝の御時、右兵衞の督藤原の仲成を誅せられてより以來保元まで、君二十五代の間行はれざりし死罪を、始めて取り行ひ、宇治の惡左府の屍を掘り起こして執權せられざりし事などまでは、餘りなる御政とこそ存じ候へ。されば古の人も、死罪を行へば海內に謀反の輩絕えずとこそ申し傳へて候へ。此の詞につきて、中二年ありて、平治に又世亂れて、信西が埋まれたりしを掘り起こし、頭を刎ねて、大路を渡され候ひき。保元に申し行ひし事の、幾程もなくてはや身の上に報はれにきと思へば、恐ろうしくこそ候へ、是れはさせる朝敵にても候はず、かた〴〵恐れあるべし。御榮花殘る所なければ、思召さるゝことはあるまじけれども、子々孫々まで繁榮こそあらまほしく候へ。されば父祖の善惡は、必ず子孫に及ぶとこそ見えて候へ。積善の家には餘慶あり、積惡の門には餘殃止まるとこそ見えて候へ。如何樣にも、今夜頭を刎ねられむことは然るべくも候はずと申されたりければ、入道はにもとや思はれけむ、死罪をば思ひ正まり給ひけり。(『平家物語』)
判官御馬を汀に打ちよせ給へば、佐藤繼信能登殿の矢先にかゝつて、馬より下にどうと落つれば、舟には菊王も討たれければ、共にあはれと思しけるが舟は沖へ陸は陣に、相引きに引く汐の、あとは閧の聲たえて、磯の浪松風ばかりの、音さびしくぞなりにける。(謠曲「八島」)

前のは「こそ候へ」後のは「すれば」といふ調子が重なり過ぎて忌昧がある。

東魯の書籍西乾さいけんの經にも、孝は萬行の父母と說き置きたまふとかや。和泉の三郎忠李は、武勇智謀も文學も、兄々よりは丈夫ますらをの、儒者の行跡こうせき見習ひて、親秀平の尊骸を、埋みし塚の木の本に、暫しとてこそ柴の庵、引き結びたる白衣の紐、解かで別かれし其の日より、三年の喪に入相の、兼ねて亡父の祕藏せし、白糸緘の鎧をば、松の小枝に懸けおきて、いますが如く朝夕も、おすきの料理手自てづからに、切目正しく盛り並べ、向うに急度きツと給仕盆、あゝ先づお箸なされましよ、お汁に心を付けまして、おぐろさきのまな鶴に、竹くまの鹽松茸、あしらひに入れました、こちらに指身がございます、衣川の七年鯉、今朝ほど網を入れました、鹽籠の濱燒きは珍らしうも候はず、金花山のこゝたみで、御酒一つ侑めまし、御膳はさらりと取りまして、宮城野の萩の花、後段に上げたう候ふと、問うつ答へつ一人言、殊勝にも亦哀れなり。(紀海音「義經新高館」)

由なき者に彼れが母、黨せし故に非業の死、いと〳〵不便に思ふなり。さて黃昏は女子を、擧げし由も其の時聞けり。(柳亭種彦『田舎源氏』)

二例ともに、七五調がわざとらしく重なり過ぎて忌味がある。後に擧ぐる近松、白隱等の文に比べ見よ。

一〇二 聞香喫茶の席にかをりの高い花をけるとを忌み、漢字の書法に累畵必ずや差違あらしめると同じ道理により、文章に於いても漫りに同調の句を累ぬることを避け、又同調の句を累ぬる時には、多少其の間に變化あらしめ、板の忌味に煩はされずして樂しく同調の美を味はひ得るやうにせねばならぬ。避板の方法を大別して四類とする。第一、語句前後法、第二、用語転換法、第三、長短參差法、第四、諸體騰交用法。
 第一、語句前後法とは、語句を前後せしめて變化をつけること例へば「行こか歸うか歸うか行こか。」「花か蝶々か蝶々か花か」。「あなたふと、あなたふと、今日の尊さや古もハレ。古もかくやありけむ今日のたふとさ。」といふ類ひで、『孟子』開巻第一の仁義章に、初めに「王何必曰利、亦有仁義而已矣。」といひ、後に「王亦曰仁義而已矣、何必日利。」といへるなどは、巧みに此の法を用ゐたものである。
 第二、用語轉換法とは、語を換へて變化をつけること、異辭同義の語を用ゐ、係結を異ならしめ、異性の品詞を用ゐ、用語の一部を換へ、添詞そへことばを用ゐること等を總べていふ。例へば、

する爲す事、いすかの嘴とくひちがふ。
山川悉やまかはこと〴〵とよ國士くにつちりき。……高天の原皆暗く、葦原の中つ國悉に闊し(『古事記』)
赤坂の松かげ、隱れけり、松蔭にこそ隠れけれ(謠曲「熊坂」)
雲隱れして失せにける雲隱れして失せにけり(謠曲「須磨源氏」)
衣に落つる松の聲、衣に落ちて松の聲、夜寒を風や知らすらむ。(謠曲「砧」)
下臥して待ち給へ、花の下臥し待ち給へ。(謠曲「難波」)
見るうちに、見るうちにふる花吹雪、彩雲あやぐもも、薄れに薄れ、妙音樂の、調べも遠く、遠くなつて、天の羽衣、燦然きらやかに、閃く羽袖も微かになつて、やがて繊塵も中空に、只だ明月ぞ殘りける明月ばかりぞ殘りける(坪内逍遙氏『かぐや姬』)
第三、長短參差法とは、長短の語句をうち交へて變化を添へる事「あづまやのまやのあまりの雨そゝぎ「月夜よし夜よしと人に言ひやらばてふに似たり待たすしもあらず。」といふ類ひ、或は短斷迫促の調につぐに悠長なる調を以てし、伸びやかに續いて來た文を短促の句にて止むる如き、或は七五、五七の間に三四六八等種々の長短句を交ふる如きをいふ。
貌を改め齡をわかくせよとにはあらず。拙きを知らば、何ぞやがて退かざる、老いぬと知らば、何ぞしづかに身を安くせざる、行おろかなりと知らば、何ぞ茲を思うて事此にあらざる。(『徒然草』)
……大方ならぬ因果とやこれを申すべし。悲し(西鶴『五人女』)
……若しわれかねを出ださすしてその產物を食ひ、又はその所有主もちぬしをして生命いのちを失はしめし事あらば、小麥の代はりに蒺藜あかぎ生へいで、大麥のかはりに雜草はぐさおひ出づるとも善し。ヨブの詞をはりぬ(『約百記』)
前の一つは短句に次ぐに長句を以てしたるもの、後の二つは長句に次ぐに短句を以てしたるもの、後の二つは一種の頓挫法にもなって居る。謠曲「熊坂」の長範が牛若に斬られて弱り行く所などは促追の調につぐに伸びやかなるを以てしたものである。七五調は我が文學に於いて最も多く用ゐられた調子であるが、海音、種彥等は此の調を拙く用ゐて呆板の忌味に陷つたもの、馬琴は彼等に比すればやゝ成功したもの、上田秋成の文及び謠曲などは更に成功したもの、近松巢林子の文は此の點より見れば空前絕後(明治以前に於いては)の大成功をなしたものである。彼れが作『日本振袖始』の中、巨旦將來の父が其の子の不孝不悌不義を戒をむる條に曰はく、
……飛びつく所を父つかみ付き、もと首抑へてコリヤ畜生め、たつた今聞いて驚いた。數年ぬツぽりと親をようだましたなあ。女房を恨みずともうぬが大惡大慾の、魂はなせ恨みぬ。弟の田畠でんぱく貧り取り、養ふとはどの親、此の親を養ふに何程の田畠がいる。着せる着物の中入れは薄盧すゝきあしの穗さもしいことながら朝夕ちようせきの膳部も五穀は有るか無し、皆橡の實ところの根。親にさへこれなれば身の始末さぞあらめ、若い者のよい合點がてんと、にがい口をあまい顏して見せつるは、おのれを人と思ひし故。かはいや弟の蘇民を裸にし、生きる間もない親に疎ませ中を斷つ、さぞや蘇民が親を恨みむ不便さよ。宇賀石をかやさばねだれ取つた大ぶん田畠でんばく、なぜつけては返さぬぞ。人を害ひ一人ひとり世に立ちたいとて立たれうか。神の鳥居の二はしらひとりは立たぬ敎とかや。天子の御寳やたの鏡と申すは、善惡を照らし給ふ神の御心、內裏にばかり有りと思ふかやたの鏡は而々が戴く、あの天にまし〳〵て、善惡を明らめばちも利生もかうべの上に、忽ちるとは知らざるか。我が背なかの垢汚れ我れは見ねども人は見る、心の內も其の通り魂性を直してくれ、親は他人の善人より子の惡人がかはいゝと怒ツつ泣いつ氣を揉み上げ、口說き嘆きの親心思ひやられて哀れなり。

一長一短參差として累調の美、變化の妙兼ね併せた所がわかる。

一〇三 第四、諸體交用法とは種々の體式を交へ用ゐて變化をつけること、例へば肯定句と否定句とを交へ用ゐ、平叙、咏嘆、疑問の緖體を併せ用ゐる等をいふ。

ひそかに指を折りて古人を數ふれば、賢きも去り愚なるも留まらず、たゞ空しき名をのみ殘すことの哀れさよ。(西行『撰集抄』)
甘泉殿の春の夜の夢、心をくだくはしとなり、驪山宮の秋の夜の月、終はりなきにしもあらず(謠曲「熊野」)
家は毀たれて淀川に浮かび、地は目の前に畠となる。人の心皆改まりて、唯だ馬鞍をのみ重くす、牛車を月とする人なし、西南の所領をのみ願ひ、東北國の庄園をば好まず(鴨長明『方丈記』)
は肯定、否定、併せ用ゐて變化あらしめたもの、
重仁國知らすべき才あり、雅仁何等のうつはものぞ(上田秋成『雨月物語』)
綠樹影沈んで魚樹に上る景色あり、月海上に浮かんでは兎も波を走むか。面白の景色やな。(謠曲「竹生島」)
は平叙、疑問、咏嘆の諸體を併せ用ゐたもの、
大凡そ辯道工夫の爲めには、病中ほどよき事はこれあるべからず。古來賢達の人々の、嚴谷に身をよせ深山に形を隱し給ふ事は、世緣を遠ざげ塵務を捨離して道軒純一にはげみ勤むるが爲めなり。然るに病中を除きて別の山谷なく、病中に去つて外の深山はあるべからず。病中の人は、托鉢作務の勞倦を遁れ使僧知客の應對も省き、廣衆雜話の喧嘖もなく、僧堂の治亂を知らず、常住の豐儉を見ず、死活は天運に投げ掛け、饑寒は看病の人にうち任せて、只だ狗猫など惱み伏したる體にて、何の合點もなく、何の了簡もなく、只だ一向に蒲團上の事を忘却せず、自己の正念を打失せざるを第一として、生も亦夢幻、死も亦夢幻、天堂地獄穢土淨刹悉く抛擲下して一念未興已に前、萬機不倒の處に向つて、是れ何の道理ぞと、時々に點儉して、正念工夫相績を肝心とせば、いつしか生死の境をうち越え悟迷の際を超出して、金剛不懷の正體を成就せむ事、これ眞箇不老不死の神仙ならずや。人界に出生したる思ひ出ならずや、圓顱方袍の威德ならずや、佛道微妙の靈驗ならずや、眞正參禫の人の前には、吉凶榮辱、逆緣順緣蓋く道業を助くる糧となり、慨怠惰弱の人の前には、假初の塵事芥子許りの病氣も夥しき障りに仕なして、果ては宿業のわざなり般若に緣こそなけれなど、種々の道理をつけて、遠からぬ般若を遠ざけ、根もなさ業障ごうしようを種ゑ育てゝ、一生を錯るほどの苦々しく情なき事はなきぞとよ。古來より重病を受けながら、疑團打破の人々は間〻多き事なるぞかし。(白隱『蓮羅天釜』)
肯定句、否定句、疑問句、咏嘆句、等縱橫に用ゐ來たつて同あり、異あり、對偶あり、變化あり、美にして而も莊嚴なる名文の一つである。

『論語』の開卷第一、三不亦乎章の如きも亦對偶の中に變化ある點より見て絕妙と稱してよい。

子曰、而時之        不  乎。
    朋自遠方  不  乎。
    人     不君子 乎。
學、習、有、來といふ肯定の一字語に配するに不知、不慍といふ否定の二字語を以てし、悅樂といふ働き詞の一字語に次ぐに君子てふ名詞の二字語を以てしたるなど、巧みに避板法を應用したるもの、此の章の名文たる所以の一部は此の點に存する。斷叙式の方面から見ても立派な文章である。
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