第七 主として順感の原理に基ける詞姿

 第四十章 反覆法

八九 反覆法とは同一の語句を繰り返して趣味を高め興を添ふる詞姿をいふ。同じさまの反覆さるゝ姿は見るに一種の快感を與ふるものである。又吾等が事物の深く感を惹くものに逢ふや。一度いうて足らず、二度も三度も繰り返して深い感惰を表はさうとする、從つて同じ事物を言ひ表はして人を感ぜしめやうとする場合には、同語を二たびし三たびして聽くの心に泌み込ませやうとする。反覆法は人間の此の精神作用を基礎として立つものである。
 反覆法を廣義に解すれば、同一の調子を繰り返すもの、同一の語を句首或は句尾に於いてのみ繰り返すもの、同一の語句を文の處々に點ずるもの、文の頭に置いた語句を再び文尾に繰り返すもの、文尾の語句を再び文首に繰う返すもの、文尾の語句を再び文首に繰り返すもの、等、悉く其の中に含まるゝが、是等はそれぞれに對偶法、避板法、頭韻法、脚韻法、疊點法、反照法、連法等一個特殊の詞姿としてく方便利なる故に、茲には特に語義を限つて、全く同一なる語句を績けざまに繰り返すもの及び語句の小部分をかへて繰り返すもののみを反覆法と稱する。全く同一の語句を繰り返すとは、「力なき蛙力なきかへる、骨なき蚯蚓骨なきみゝず。」といへる古歌、或は「かしこみ畏みて申さく」「とどろと踏み鳴らし」「松島やあゝ、松島や。」といふ類ひ、語句の一部分をかへて繰り返すものは「弱き弱き柳の、糸のよれよれたる痩馬なれば」「げに目出た目出たくこそ。」「あゝ立つたひとり立つた今年かな。」「此の鉾はいづこの鉾ぞあめにます豐岡の宮の鉾なり宮の。」の類ひである。前は素樸なる點に於いて優り、後は反覆の間に變化ある點、即ち避板法を鷹用したる點に於いて前に優つて居る。
 全く同一なる語句を繰り返す反覆法のうち最も單純なるは、「うら」「そろそろ」「人々」「國々」「子々孫々」「正々」「堂々」「巍々」「欝々」といふ如き重ね詞であるが、是等は特に擧げて反覆法となすを要せぬ程に耳なれて居る。多少複雜なる方の例、左に、 謠曲にて地の文を白で繰り返し、白を地で繰り返すのも、此の種の反覆法である。例へば、 語句の小部分をかへて繰り返す例は、 「朝倉、若草」の二詠は全語の反覆法をも併せ用ゐたもの、白隱のは一半は同語、一字は異語、異なるすがたの二筋を撚り合はせて變化を添へたのである。又、左の如きは列擧、漸、換置等の趣致をも加味した一種の反覆法である。 九〇 無用の反覆をなすことを重複といふ、用ゐ損ねの反覆法である。反覆法を用ゐるには常に重複を戒めねばならぬ。重複の最も單純なるものは同義語の重用である。例へば「彼れ自身自叙伝」「間違つた誤解」「驚天動地の功を奏」「過去宿縁にや」「げに尤も道理なり」「今うつべ事、一定樣に申し候ふ。」「百許り驀にかゝる。」「もろのくの佛三寳過去世の昔より今日今宵に至るまで」「假名はげん九郎、實名は義經」「抑當麻の曼陀羅と申すは人皇四十七代の天皇の御宇かとよ。」「薄雲かゝる藤山の、若紫の名にしおふ、木々の梢も長閑なる春の日影の長閑さよ。」の類ひである。其の他、 九一 但し茲に同義語の重用にして、理論上無用の反覆にてありながら、一種の便法として許さべさものに兩點讀といふがある、爾點讃みとは耳遠き語を耳近き語にて繰も返す詞姿、委しくいへば、古語を現用語にて繰り返し、或は外國語を邦語にて繰り返すもので、明的反覆法とも稱すべきものである。例へば『伊勢物語』に「昔男ありけり、いとまめじちよう(實様)にて」とある如き、まめ實樣も、同じ事なれど、言葉が和漢相異なるが故に耳立たぬ。昔の漢學が「關々やはらげる鳩のみさごは河の洲に在り、窃窕たをやかな淑女をとめは君子うまひと好逑よきたぐひなり。」「斜眼とにらみ頻々しば」といふ風に漢文を讀みたる、亦一種の兩鮎法である。其の他、「こゝがしゞまの無言だんまり ぢや。」「まして況んや」「エヽ胴慾なおに神」「鞍馬の川の、ぜきいはほに足もだまらず。」「獅子のいきほひ龍のせい。、勇みくて行く虎の尾張の國を立ち出でて」「狼煙ろうえん天を焦がし合圖ののろし立ち登ると、一むら蔑る森の中より、馬煙ばえんうばけぶりを蹴立て、此の類ひである。 但しこれは講繹用の一便法で、漫用すべきものでないことは無論である。 九二 同義語の重用に次いで戒むべきは同語の重複である。これは道理上差支のあるものではないが、變化あり趣味ある文を成すには常に注意せねばならぬ。例へば、面白き事物を列擧する場合に、達意一方の文としては、「面白し」の同一語を幾度繰り返しても差支はないが、姿致ある文章としては、「面白し」「をかし」「あはれなり」「興あり」「味はひあり」「心ゆく」「いふにいはれず」「心慰む」等の異辭同義語を取りまぜて用ゐる方が面白く、「病氣するも面白い、役人になるも面白い。」と同語を用ゐるよりは「病に臥すも妙、吏となるも亦風流。」と變へる方、趣がある。西鶴の『二代男』に
  • 源氏物語を借りに遣はしけるに其のまゝ湖月送られて、即座に其の埒もあけし。
とある、源氏を湖月抄で繰り返したる所頗る妙、模範とすべき筆致である。 同語の重複は普通の場合には忌まねばならぬが、故らに同語を重用する場合は此の限りでない。例へば「古今集中の歌の心細やかなる細やかなるべくして細やかなり、又心深き深かるべくして深きなり。」の如く、わざと疊用するもの、即ち後に擧ぐる疊點法、及び古文に見る質樣なる反覆等で是等は寧ろ一種の詞姿と見るべきものである。
又語句の重複ではないが、不必要なる語を加ふるを贅言といふ。
例へば、藤房も季房も、三日まで口中の食を斷ちければ、足たゆみ身疲れて、今は如何なる目にあふとも逃れぬべき心地せざりければ、せむ方なくて、幽谷の岩を枕にて、君臣兄弟諸共に現の夢に臥し給ふ。(『太平記』)
  • 備考 重複を避くる方法について、後の第四十三章避板法を見よ。