第六 主として奇警の原理に基ける詞姿

 第三十九章 奇先法

八八 奇先法言を發して人を驚かしめ、次ぎに理由を附加して成程と頷かしむるもの、説明附きの警句ともいふべき詞姿である。例へば、「裁判官は鈍刀なり」といへば、聞く其の言の奇にして意味の捕捉しきに驚くであらうが、「傷つくれども切ること能はす。」と明すれば成程と膝を打つ。「結婚は鋏刀の如し。」と言はれて驚くものも、「兩性反對の方向に働けども、他人の其の間に入り來たるや容赦なく之れを挾切る。」と補へば、さてはさうかと感心する。古聖人も此の方法を用ゐられた。『論語』にいはく、 「不憂不」と藪から棒の一言に荒膽をひしいで、さて後に「省内不灰」といふ理由を加へられたのである。謎々なども此の法の一種と見てよい。賞を約して實行せぬ君主を諷じて、「殿標の御褒美とかけて、春の日と解く。心はくれさうでくれぬ。」といふ如き、警句を明を附けたものに他ならぬ。要するに、奇先法は、先づの怪訝の念を高めて其の念の融解する所に趣味を感ぜしめむとする一高一低の法である。西洋修辭家の謂はゆる快く欺かる、一種の文飾である。此の法は前の序次法を逆まにしたやうなものである。
  • 頼朝詞「如何に實平。何とて遲きぞ急いでおろし候へ」 シテ詞「畏つて候ふ。如何に岡崎殿に申し候ふ。急いで御舟よう御おり傾へ。 義實「何と某に御舟より下りよと候ふや。 シテ「中々の事。 義實「暫らく。此の御供のに、某いちの老體にて候ふ程に、かぐしく御用にも立つまじきと御覽じ限られて、斯樣に承り候ふな。其の儀に於いては御舟よりは下り候ふまじ。 シテ「いや左樣の儀にては無く候ふ。艫板ともいたに召されて候る程に、陸の近さに申し候ふ。 義實「いや所詮此の船中に、命二つ持ちたらむずるを御船より下ろされ候へ。 シテ「是れは不思議なる事を承り候ふものかな。それ人は生ずるより死する迄、命をば一つこそ持ちて候へ、二つ持ちたる謂はれの候ふか。 義實「さん候ふ某も咋日までは命を二つ持ちて候ふを、早一つの命をば君に參らせ上げて候ふ。 シテ「さて其の謂はれは候ふ。 義實「其の事にて候ふ。昨日石橋山の合戰かせん子にて候ふ眞田の與一義忠は、副將軍を賜はり、俣野と組んで討たれぬ。されば親子は一體二つの命ならずや。見申せば土肥殿こそ、此の御舟に親子一所に渡られ候へ。御分殘つて遠季をおろすか、遠平を殘して御分がおるゝか、親子の一人おうられ候へ(謠曲「七騎落」)