第六 主として奇警の原理に基ける詞姿

 第三十八章 警句法


 八七 警句法とは言ふ所奇拔にして意表に出づるものをいふ。例へば、「隱れたるより見はるゝはなく、微かなるより明らかなるはなし。」「多きを求むるは得ること少なし。」「きは折れ、鋭き鏡きは挫け、堅きは破る。」「論語讀みの論語知らず。」「身をつみて人の痛さを知れ。」の類ひである。
 マーシャルといふ人の言に曰ふ、「警句は蜂の如く、形小にして、あり又、るべし。」と警句は簡潔にして甘味うまみあり而してぴりツと人を刺す所が無ければならぬ。警句を大別して三種とする。第一、唯だ言の奇なるもの、第二、平凡なるが如くにして深長なる意味を含むもの、第三、語逆にして理順なるもの。
第一類 言の奇なるものとは、「閣夜に鐵砲。」「泥田棒でうつ。」「藪から棒」。「めくら人の墻のぞき。」「好きこそ物の上手なれ。」「福祿壽三人前の頭痛がし。」の類ひ、言逆なるにはあらねど奇にして意表をに出づるものを云ふ。
  • 止動しいどうを馬の先が聞きちがへ。

    ▲アド「されば身共の藥味は六ヶしい物がなか入る。先づ地を走る雷、空を飛ぶ胴龜、木につは蛤、此の樣が入るわ。 ▲シテ「夫れは六ヶ敷い物ぢや。身共が藥味も種々いろ大切な物が入る。しろがらす白烏しろがらす赤犬の生膽、三あしに蛙、此の樣な物が入るわ。(狂言「膏藥煉」)

    扨(長になる)行法の次第といツぱ、絹も紬も着ることならず、木綿蒲團も榮耀の至り、荒菰ひいて起き臥しの、身は慣はしよ奈良茶粥、精進潔さい入らず。晝夜にたツた二度の季は知りからげ、往來ゆききなかにちよこ走り、ちよこちよこぬけて、落ちてある物だゞ置くな、けても土をんで起きるは七つ起き、質を取らすはず金貸すな、欲しい物は買はぬが德、月夜に夜業よなべはせぬが潰損、稼ぐに追ひつく貧はなし芥子けしを千にも割の焚樣必ず灰を取ることなかれ。捨てる物は何も無い、鍋のすみでは細眉作り、しべの切れはしびりの妙藥、水無き井戸の入物、鼠の尾まで錐の鞘、挿せ干せからかさ人に貸すな鰹魚、擂粉木播砥石石臼やけんまで、目にこそ見えね貸す度に、減らずにるためしは無し。(林子『博多小女郎浪枕』)

第二類 言平凡なるが如くにして深長の意味あるものとは、「犬もあるけば棒にあたる。」「柳は緑花は紅。」「餅屋は餅屋。」「牛は牛づれ。」「似た夫婦」「萩の雨ぞり。」「鳶飛んで天にり、魚淵に躍る。」の類ひ、一見無意義なるが如くにして而かもみしむれば世態人情を穿った深きあ味はひのあるものをいふ。

 第三類 語逆順の警句は、「正言」といへる老子の言によつて若反法といふ、警句中最も價値あるものである。例へば「世の中に雪ほど黑いものはなし。」「智惠のある馬鹿に親爺は困り果て。」「柳の枝に雪折れなし。」「煩惱即菩提。」「汝に出づるもの汝に返る。」「與ふるの取るたるを知るは政の寳也。」の類ひである。
  • 理が非になるは、公事の常例で御ざる。(狂言、「沙汰」)
    曲なれば則ち全し。枉げれば即ち直し。窪めば則ち盈つ。敞るれば即ち新なり。少なければ則ち得。多ければ則ち惑ふ。(『老子』)
    大道廢れて仁義あり。慧智出でて大僞あり。六親和せずして孝慈あり。(『老子』)
    金持は金は遣はず、鑓持は鑓つかはず、髪結我が髪結わず。辨當持ち先に喰はず、とりあげ婆子をまず、風呂焚は垢だらけ、けんどん昼飯を喰ひ、箕の賣は笠でると、醫の不養生、坊主の不信心、昔よりして然り、出家もと木の股からも出でず、旨い物のうまいと面白い物の面白いは皆同じ事なり。(風來山人『風流志道軒傳』」)