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第四 主として存餘の原理に基ける詞姿

 第三十一章 皮肉法

 七三 皮肉法は又冷嘲法ともいふ。弱點を叙して人を嘲弄する詞姿である。正面より罵詈攻擊せず、裏面より反語せず、罵詈と反語との間を行つて銳き橫槍に人の腹をゑぐるのが此の詞姿の特質で、此の特質の自然の結果として其の言葉は必ず毒氣を含む。故に此の法は驕慢兒の鼻を挫き、僞善者の面皮を剝ぐに用ゐべくして、敎晦訓諭に用ゐべからざるもの、破邪に用ゐべくして顯正に用ゐべからざるものである。
 皮肉法に誹謗の意の顯はなるものと、表面上褒貶の意を表はさゞるものとある。誹謗の意顯はなるものとは、例へは、贅澤な外見坊みえぼうむかつて「高利貸の厄介にならぬ樣にせよ。」といひ、榮進する官吏に對つて「上官の御機嫌取りがつらいだらう。」といひ、「世の中にかほどうるさきものはなし、ぶんぶといひて夜も寐られず。」といひ、「鼻は仰向いて二階が火なくさいといふ、齒は反齒そツぱで緣の下をのぞかうとする。」といひ、「一昨日おとゝひおいで。」「明後日あさツてやらう。」といふ類である。顯はに褒貶せずして弱點を平叙するものとは、例へば富者に對つて「金の御番が御苦勞樣だ。」といひ、語學に優れた人に「通辯になるによいでせう。」といふ類ひである。而して皮肉法の上乘なるものは後者である。

かしがまし此の里過ぎよ郭公都のうつけさぞや待つらむ。(山崎宗鑑)
もだあるに若かずとおもへど批評家の餓ゑむを恐れたまさかに書く。(森鷗外氏)
勳章は時々の恐怖に代へたると日々の消化に代へたるとあり。(同)
蓮の葉の露は釋迦の淚か有り難や。ところへ蛙がぴよいと出て、それはわたし尿しゝそろ
紅梅叶はぬ身ふしをもみ、ヤレ猿はまだしも敎ふれば犬も藝をする。此の年月歷々の侍を見習ひ、腹を切るの忠義のと、いふ詞は覺えても、犬の藝と同じ事、心がもとの畜生、忠義といひ做し繼子まゝこを殺し、妹子に威をつけ、お袋伯父御と仰がれ、御家中を下にしくべしとの欲心、揃ひも揃ひし兄弟、佛神もいツその事畜生並みに思召し、罰も當て給はぬを、己れが德と思ふか淺ましや……(巢林子『井筒業平河內通』)
今諸國の大小名を見るに、賴朝義經の騏尾について、匹夫よりして家を起こす者少なからず。我れは治世に育ちたれば、劍戟を起こさむは天に逆ふの罪あり。然らば藝を以て家を起こさむ事を思ふ。しかはあれども、世の俗人の藝と稱する、茶の湯は古茶碗竹べらなんどに千金を費して、四疊半の氣づまりに手づからにじり込みの草履をつかむこと、大丈夫のわざにあらず。立花りツくわは一瓶の中に千草萬木の趣をこむるといへども、釘にて打ち付け針金にてため直すこと自然の風景にあらず。碁を打つ者は並べて崩し、くづして並べ、其の智三百六十目の外に出でず。此の人死しては賽の河原へ行きて、一目打ちては父戀し二目打ちては母戀しと、地藏菩薩の袖にすがりて獄卒の鐵の棒をうらむとかや。將棊は軍のかけ引きなりといへども、韓信孔明將棊をさしたる噂も聞こえず。今試みに將棊の上手に采配とらせて軍させば、敵の龍馬に踏み殺され、桂馬の高飛步の餌食となるべし。香を聞く者は鼻を以て天下を治むるが如き顏をしかめ、沈外息脉の極祕を極め、聞香悉能知と高ぶるとも、高が無用の翫び、六國ろつこくなんどと文盲第一の名目を立つること片腹痛き事なり。楊弓は百射て五百中たりたりとも鼠を射るたしにもならず。鞠が上手なりとて、腹の減ると金出して色よき裝束着るより外に能なし。尺八の名人が女の屁に蒔繪おいたる如き優しき音を吹き出しても、敵討に出る用意より外何の役にも立たざれば、齒の拔けるだけの損なり。皷のヤツハア、太皷のテレツクスツテン〳〵、とんと上手に成りおほせても、耳へ入りてぬける間の樂みにて名の不朽に傳ふべきにあらず。其の外、俗の藝といふは皆小兒の戯れなり。只だ人の學ぶべきは學問と詩歌と書畵の外に出でず。是れさへ敎惡しき時は、迂儒學究とて、上下を着て井戸をさらひ、火灯箱で燒芋を燒き、唐の反古に縛られて我が身が我が自由にならぬ、具足の蟲干見るごとく、四角八面に喰ひしばつても、無い智惠は出でざれば、却つて世間並の者にも劣れり。これを名づけて腐儒といひ、また屁ぴり儒者ともいふ。(風來山人『風流志道軒傳』)
主人は不滿な口氣で「第一氣に食はん顏だ。」と憎らしさうに云ふと、迷亭はすぐ引きうけて「鼻が顏の中央に陣取って乙に構へて居るなあ。」とあとを付ける。「然も曲つて居らあ。」「少し猫脊だね。猫脊の鼻は、ちと奇拔過ぎる。」と面白さうに笑ふ。「夫をこくする顏だ」と主人は猶ほ口惜しさうである。「十九世紀で賣れ殘つて、二十世紀で店曝しに逢ふと云ふ相だ。」と迷亭は妙な事ばかり云ふ。(夏目漱石氏『吾輩は猫である』)
僕は上野の動物園の外面おもてを通る每に、何時いつも感じた。一體動物園のなかが動物園であるか、外が動物園であるかと。成る程、園內には數百の動物がおりの中や網の中に養はれて居るから、之れを俗に動物園といふのだらうが、外に居る我々人間が、果たして餘り動物扱ひを受けて居らぬだらうか、甚だ疑はしい。一寸土堤の上に登つても「こら〳〵」を食ふ。少し芝生に足を蹈み入れても、警視廳の立札に追ひ返される。停車場ステーシヨンに行って汽車に乘らうとすると、先づ切符を買つて後、嚴重な柵を結んだ入ロで一々改札を受けて、而して後始めて車の中に乘ることが許される。出る時はといふと、これも同じく、牧場に放つた牛を一つ〴〵小屋へ追ひ込むやうな體裁で、小さな出ロから一々切符を調べた上で出すのだ。斯樣にしてさへ、猶ほ乘り逃げ、乘り越しが絕えないといふに至つては、人間も亦隨分人間らしくないと言はざるを得ぬ。(杉村楚人冠氏『大英游記』)

皮肉法の好い例は、風來山人の著作に於いて多く見ることが出來る。

 七四 皮肉法も反語法も眞面目なる所がありながら一種の滑稽で、銳く人を刺す滑稽、眞面目の底に隱れたる滑稽ともいふべきものであるが、情極まつて出づる皮肉、反語、及び滑稽、即ち他人ひとには可笑をかしく見えて當人には眞面目なるものを稱して哀戯(英語のhumorユーモア)といふ。左に揭ぐる惡七兵衛景淸が妻小野の姬栲問の一節の如きはそれである。

此の分にては落ちまじきぞ、やれ枯木責めにせよやとて、細首に繩をつけ、松の枝にうちかけて、えいや〳〵と引き上ぐる。おろせば少し息をつぎ、引き上ぐれば息たゆる、哀れといふも餘りあり。たとへば如何なる鬼神も是れにては落つべしと三四度四五度責めければ、今はかうよと見えけるが、又目を開き、のう梶原殿、此の木の上につり上げられ世界を一目に見下せども、つまの行方は見え申さず、かた〴〵も慰みにちつと上つて見給はぬか、是れへ是れへとありければ、景時腹に据ゑかね、さて〳〵しぶとき女かな、此の上は引き下ろし火責めにせよと、炭薪を積み重ね、團扇うちはを以て煽ぎ立て〳〵、天をかすめし黑煙、焦熱地獄といひつべし。(巢林子『出世景淸』)
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