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第四 主として存餘の原理に基ける詞姿

 第三十章 反言法

其の二 反語法

 七二 諷刺暗誚の爲めにする表裏の言ひ做し方に、顯はに譏つて實は褒むるものと、顯はに褒め稱へて實は譏るものとある。最も有効にして最も多く用ゐらるゝは後者で、前者は甚だ稀れに用ゐられる。また前者は自家を卑下していふ場合に多く用ゐられる。『枕の草子』頭中將が淸少納言の才を稱へる條の、

これとてさし出でたるが、ありつる文なれば、返してけるかとうち見るに、あはせておめけば、怪し、いかなる事ぞとて皆よりて見るに、いみじき盜人ぬすびとかな、猶ほえこそ捨つまじけれと、見さわぎて、これがもとつけてやらむ、源中將つけよなどいふ。

近松の『生玉心中』慈悲深き親が借財に苦しむ子を助けむとて黃金の酒を勸める條の

大皿出だし、慮外ながらと受くればちようど飮めと、瓢簞傾け注ぎ懸くる酒にはあらぬ麴の色、花の一步のから〳〵〳〵、さら〳〵〳〵と七八十、皿うづたかく盛り上ぐる子は惘れうツかりと、親の顏のみうち守れば、親はわツと聲を上げ、やれ慈悲知らぬ親の酒を見よ、誠の慈悲の味はひを飮みて知れやと泣きければ、ハア有りがたしとばかりにて、親の膝にうちもたれ、聲も惜しまず嘆きしは性は善なる淚なり。

の如きは、善意を惡しざまに言ひ做す方の例である。
 顯はに褒めて實は誚る反語の例は、

或所に儒者あり、家貧にして一僕を召し使ふ。隣家は富有の家にて家僕多し。かの儒者の僕が、隣家の僕に對し、隣家を貴びほめて我が事を賤しめ譏る事度々に及ぶ。儒者怒りて僕を召して、汝常々隣家の事を貴びほめて、我が事を賤しめ譏る、不義不禮なる奴かなと叱り詈りければ、かの僕笑ひて、私は聖人の道を行ひ候ふといふ。儒者彌〻怒りて汝が云ふ聖人の道とは何事と問ふに、僕答へて、君常に弟子衆に敎へ給ふ事は、聖人の道にて候ふと承り候ふ。弟子衆と御物語に、いつも日本を賤しめそしり、中華とやら申す外國を御ほめなされ、御羨みなされ候ふを、常に承り居り候ふ事故、聖人の道と申すは、かやうなる事と存じ罷在り候ふ。私が隣家を貴びほめ候ふは、中華とやらを貴びほめ候ふと同じ意にて候ふ。主人の御家を賤しめ譏り候ふは同意にて候ふ、これ聖人の道を行ふにて候ふ。儒者彌〻怒りておのれにくき奴めといひたれども、呵るべきに詞なくして閉ロしけるよし承り及び候ふ。(伊勢貞丈『幼學問答』)
子守「お乳母うばどんその跡で、わツちの襟をツておくれナ。 うば「ヘン、あきれらア。襟や顏をすりつけるよりは、小鬢先の禿はげツちようでもなほすかい。廣島藥罐の口をもいだといふひてえだ。髪といへば赤くちゞれて油揚と一緖に煮さうなざまで、なんの酒落しやらくせえおきにするがいゝ 子守「コウ、御乳母どん、剃らずは剃らねえで濟むはナ。何もそんなに棚卸しをするにはおよばねえヨ。わツちが天窓あたまが昆布に油揚なら、雲脂ふけの溜まつたおめへの天窓は、鼠尾藻ひじき白和しらあへだ。成程あなた樣はお美しい。ト唇をつき出していふ。(式亭三馬『浮世風呂』)
今になつて考へて見ると、不平に思つたのは私が未だ若かつたからだ。監督を賴まれたから引き受けてついでに書生にして使ふ、――これが即ち親切といふもので、此の外に親切といふものは人間に無いのだ(二葉亭『平凡』)

 武田信玄の臣板垣信形が、或時甲州勢を勵まさうとして諸將を招いだが、手柄の多少によつて席順を定めた所、武田信連、今福善九郎、跡部大炊之介、長阪左衞門等の歷々は眞田の郞等相木森之助等の下座に着いて大いに面目を失つた。

其の後、饗應も三段に區別わかち、上の部は朱椀にて三の膳附き、中の部は朱椀にて二の膳附、下の部は黑椀にて本膳ばかりなり。上中の膳部は魚鳥を用ゐて結構なりけるに、下の部は皆麁末なる精進料理を進めければ、武田跡部今福長坂を始め大いに赤面して不興氣にぞ見えにける。軈て信形席上に出で申しけるは、今日の饗應は僻事の樣なれども決してさにあらず、數度の合戰に一度も敵の首を取らざる方々は、慈悲心深くして後生を大事に懸け給ふ故に殺生を好まざると覺ゆ。左樣なる人々は平生五戒を保ちて精進し給ふらむ。其の御方に信形魚鳥を與へ破戒をさせむは本意にあらず。夫れ故斯くは謀らひ候ふと申しければ、軍功ある者は一入興を催し賑はふと雖も、軍功なき人は彌〻面目を失ひ、こそ〳〵と退出し、誠に稀有なる饗應やと笑ひの種とぞなりにける。(『常山記談』)
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