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第四 主として存餘の原理に基ける詞姿

 第二十八章 斷叙法及び接叙法

 六七 斷叙法は接續語を省き、文句と文句との關係を斷つて文に力あらしめ、想像の餘地あらしむる詞姿である。接叙法は之れと反對に文句の一々を接續語で繫ぎ行く詞姿である。例へば、「古事記を讀み我等が祖先の偉大なる思想を抱持したるを見出だせり。現今の隆運の遠く三千年前に胚胎せるを知り得たり。」といふは接叙法、「古事記を讀め等が祖先の偉大なる思想を抱持したるを見出だせ今の隆運の遠く三千年前に胚胎せるを知り得たり。」といふが斷叙法である。故に斷叙法は接續語を省く一種の省略法と見てもよく、列叙法を長い文句に應用したものと見てもよい。此の詞姿は多少奇警の原理にも關係して居る。
 接叙法は斷叙法に對する名で、さまで重要なものではない。此の法は動作の引き續く趣を寫すに適する。例へば、

御室にいみじき兒のありけるを、いかでさそひ出だして遊ばむとたくむ法師ども有り、能ある遊び法師どもなど語らひ、風流の破子わりごやうの物念ごろに營み出で、箱風情の物にしたゝめ入れ、双びの岡の便たよりよき所に埋みおき、紅葉散らしかけなど思ひよらぬさまにし、御所に參り、兒をそゝのかし出でにけり。うれしと思ひ、こゝかしこ遊びめぐり、有ゆつる苔のむしろに並み、いたうこそこうじにたれ。あはれ紅葉をかむ人もがな、驗あらむ僧達祈り試みられよなどいひしろひ、埋もれたる木のもとにむき、數珠おしすり、印事々しく結び出でなどして、いらなく振舞ひ、木の葉をかきのけたれど、つや〳〵物も見えず。所のたがひたるにやとて、掘らぬ所もなく山をあされども、無かりけり。埋みけるを人の見おきて御所へまゐりたるに盜めるなりけり。(『徒然草』)
かれこゝに天照大御神、見しかこみて、天の岩屋戸をてゝさしこもりましましき。すなはち高天の原皆暗く、葦原の中つ國こと〴〵くらし。これに因りて常夜とこよく。こゝによろづの神のおとなひ狹蠅さばへなす皆涌き、萬のわざはひこと〴〵おこりき。こゝて八百萬の神、天の安の河原にかむつど集ひ高御產巢日神たかみむすびのかみ御子みこ思金おもひがねの神に思はしめ長夜とこよの長鳴鳥を集へて鳴かしめ、天の安の河原の天の堅石かたしを取り、天の金山かなやまかね取りて鍛人かぬち天津麻羅まうら伊斯許理度賣命いしごりどめのみことに科せて鏡を作らしめ、玉祖たまのやの命におほ、八尺の勾玉の五百津いほつ御須麻流みすまるの珠を作らしめ、……天兒屋あめのこやねの太祝詞禱ふとのりとごとね申し天手小男あめのたぢからをの神、戸のわきかく立てし天宇受賣あめのうずめの命、天の香山の日影を襷に、天の眞析まさきを鬘と、天の香山の小竹葉ささは手草たぐさ、天の石屋戸いはやど汙氣うけ、踏みとゞろこし、神懸かむがか胸乳むなぢをかき出で、裳緖もひも番登ほとに押し垂れき。かれ高天の原ゆす、八百萬の神共にわらひき。(『古事記』)

 六八 斷叙法とは、例へば「日本國に此の法顯はるゝこと二度なり。傳敎大師と日蓮となりと知れ。無眼の者は疑ふべし。力及ぶべからず。」(日蓮『開目抄』)時雨しぐれけり。走り入りけり、晴れにけり。」(惟然坊)「一筆啓上。火の用心。おせん泣かすな。馬肥やせ。」(本多作左衞門)の如き文をいふ。廣瀨中佐の書翰「戰へり。勝てり。健在なり。」の如きも亦同じ。思ふに是れはジュリアス、シーザーの名高い斷叙文「來たり。見たり。勝てり。」(“veni, vidi, vici.”)を摸したのであらう。

蟻の如くに集まりて、東西に急ぎ南北にわしる。高きあり。賤しきあり。老いたるあり。若きあり。行く處あり。歸る家あり。夕にいねて朝に起く。營む所何事ぞや。生を貧り利を求めてやむ時なし。身を養ひて何事をか待つ。期する所たゞ老と死とにあり。其の來たる事速かにして念々の間に止まらず。これを待つ間何の樂みかあらむ。惑へる者は之れを恐れず。名利に溺れて先途の近き事を顧みねばなり。愚かなる人は又之れを悲しぶ。常住ならむ事を思ひて變化の理を知らねばなり。(『徒然草』)
あづまにもいみじうあわてさわぐ。さるべくて身の失すべき時にこそあんなれと思ふものから、討手の攻め來たりなむ時に、はかなきさまにてかばねをさらさじ、おほやけと聞こゆとも、自らし給ふことならねば、かつは我が身の宿世をも見るばかりと思ひなりて、弟の時房と泰時といふ一男と、二人をかしらとして、雲霞のつはものをたなびかせて都にのぼす。」泰時を前にすゑていふやう、己れを此度にまゐらすることは、思ふ所多し本意の如く淸き死にをすべし人にうしろ見えなむには、親の顏また見るべからず今を限りと思へ賤しけれども、義時君の御爲めに後ろめたき心やはあるされば橫さまの死をせむ事はあるべからず心を猛く思へ已れうち勝つものならば、二度此の足柄、箱根の山は越ゆべしなど、泣く〳〵いひ聞かすまことにしかなり又親の顏拜まむこともいとあやふしと思ひて、泰時も鎧の袖をしぼるかたみに今や限りとあはれに心細げなり(『增鏡』)
北野觀音寺の晩景一會の事、先約ある由申し來たり候。龜屋も喧敷やかましく候へば、糺の森のした納凉すゞみ申し合はせ候。其許そこもとの衆中明日御出。心事貴面に。以上。七月十九日。(井原西鶴)
一言に云つたらば、何と無く夜の明けるのが可厭いやであつたので。四時半となつた。雀は益〻噪ぐ。井戸の轆轤ろくろは絕え〴〵に響く。泣いても笑つても朝となつたのである。検疫掛がだ見えぬ。(尾崎紅葉『靑葡萄』)

備考 斷叙法に此の頃の修辭書にはめつたに見當たらぬが、昔に可なり重んぜられたもので、アリストートルの如きは、之れを說話の結尾に用ゐて頗る妙なるものとし、其の名著『レトリック』の最終の文句をば特に斷叙法を以て結んで居る。斷叙法、擧例法の如きは今日普通に說かるゝ他の詞姿に比して、決して輕いものでにないと思ふ。(第六編修辭學史、アリストートルの部、參照)

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