第四 主として存餘の原理に基ける詞姿

 第二十八章 斷叙法及び接叙法


 六七 斷叙法は接續語を省き、文句と文句との關係を斷つて文に力あらしめ、想像の餘地あらしむる詞姿である。接叙法は之れと反對に文句の一々を接續語でぎ行く詞姿である。例へば、「古事記を讀み我等が先の偉大なる思想を抱持したるを見出だせり。現今の隆運の遠く三千年前に胚胎せるを知り得たり。」といふは接叙法、「古事記を讀め等が先の偉大なる思想を抱持したるを見出だせ今の隆運の遠く三千年前に胚胎せるを知り得たり。」といふが斷叙法である。故に斷叙法は接續語を省く一種の省略法と見てもよく、列叙法を長い文句に應用したものと見てもよい。此の詞姿は多少奇警の原理にも關係して居る。
 接叙法は斷叙法に對する名で、さまで重要なものではない。此の法は動作の引き續く趣を寫すに適する。例へば、

 六八 斷叙法とは、例へば「日本國に此の法顯はるゝこと二度なり。傳敎大師と日蓮となりと知れ。無眼のは疑ふべし。力及ぶべからず。」(日蓮『開目抄』)時雨しぐれけり。走り入りけり、晴れにけり。」(惟然坊)「一筆啓上。火の用心。おせん泣かすな。馬肥やせ。」(本多作左衞門)の如き文をいふ。廣瀨中佐の書翰「戰へり。勝てり。健在なり。」の如きも亦同じ。思ふに是れはジュリアス、シーザーの名高い斷叙文「來たり。見たり。勝てり。」(“veni, vidi, vici.”)を摸したのであらう。 備考 斷叙法に此の頃の修辭書にはめつたに見當たらぬが、昔に可なり重んぜられたもので、アリストートルの如きは、之れを話の結尾に用ゐて頗る妙なるものとし、其の名『レトリック』の最終の文句をば特に斷叙法を以て結んで居る。斷叙法、擧例法の如きは今日普通にかるゝ他の詞姿に比して、決して輕いものでにないと思ふ。(第六編修辭學史、アリストートルの部、參照)
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