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第四 主として存餘の原理に基ける詞姿

 第二十七章 省略法

 六四 省略法とは無駄を省き文章を簡潔にして餘韻多からしむる詞姿である。簡潔なれば自然につよくなる、故に省路法はまた一種の增勢法である。簡勁にして餘韻ある文を得るには此の詞態を用ゐねばならぬ。例へば「義理も立ち世間も立つ。」といふ文は、筋を正せば「世間に對する面目も立つ。」といふべきであるが「に對する面目」は讀者の想像で容易に補塡し得る故に、「世間も立つ」と、道具立ての少ない方が却つて面白い。「道理に至極して」「決心の膝をうつ」「愁嘆の眉をよす」「得意の鼻うごめかす」「劍は一人の敵のみ、萬人の敵を學ばむ。」など、いづれも行き亘り過ぎぬ所が面白いのである。此の詞姿は朧化、奇警、順感の三原理にも多少の關係がある。
 省略法を大別して五類とする。第一類天爾遠波又は助働詞を省くもの、例へば、「上皇を始めまゐらせてあらゆる人々音に聞こゆる爲むとてこぞり給ふ。」(『保元物語』)の類ひ、「爲朝を見むとて」とすれば文勢が遙かに弱くなるのである。謂はゆる名詞止め、連用止めも此の類の中に含まるゝ。

抑〻是れは、桓武天代の後胤、平の知靈なり。(謠曲「舟辨慶」)
六月中旬に御所柹を好み、此の有樣華淸も斯くやと思はる。曉風殘月朝思へば(西鶴『二代男』)
大願を立てむ、日本の國を讓らむ、法華經を捨て觀經等に就いて後生を期せよ、父母の頸を刎ねむ、念さずばなんど、種々の大難出來すとも、智者に我がられずは用ゐじ。其の外の大難風の前の塵なるべし。吾本の柱とならむ、吾本の眼目とならむ、吾本の大船とならむ等と誓ひ破るべからず。(日蓮『開目抄』)

字傍に施したとの間が天爾波を省いたと見らるべき所である。天爾波ぬきの文章を以て名高いのは井原西鶴及び其の流れを汲む者の作である。
 省略法の第二類主語を省くもの、例へば、

右衞門督は御邊に大小事を申し合はするとこそ聞こゆれ。相構へて〳〵隙を窬ひ、玉體恙なくおはします樣に思案せらるべし。さて主上は何處におはしますぞ黑戸の御所に上皇は一本御書所に內侍所は溫明殿に劔璽は何處に夜のおとゞにと左衞門督次第に尋ね給ひければ別當かくぞ答へられける。又、朝餉の方に人音のし、櫛形の穴に人影のしつるは何者ぞと宣へばそれには右衞門督住み候へば、其方樣の女房などぞ、かげろひ候ふらむと申されければ、光賴卿聞きもあへず、世の中は今はかくござんなれ、主上の渡らせ給ふべき朝餉には、信賴住み、君をば黑戸の御所に遷し進らせたり。末代なれども流石日月はいまだ地に落ち給はぬものを、天照大神、正八幡宮は、王法を如何守り給ひぬるぞ。異國にはかやうの例ありといへども、我が朝にはいまだ此くの如き先蹤を聞かず、前代未聞の不思議かなとて、のろ〳〵しげに憚る所なくくどき給へば、惟方は人もや聞くらむと、よにすさまじげにて立たれたれども、且つは悲しくして、我れ如何なる宿業に依りてかゝる世に生まれ合ひ、憂き事をのみ見聞くらむ、昔の許由にあらねども、今の內裏の有樣を聞かむ輩は、耳をも目をも洗ひぬべくこそ侍れとて、上の衣の袖しぼるばかり泣かれけり。(『平家物語』)

これは平治の亂に、右衞門督信賴が軍評諚するとて諸卿を召し集めた時、勸修寺左衞門督光賴卿が、信賴を痛罵して退出するに臨み、弟の別當惟方を戒めた所である。主格を省いて「誰れは何處に誰れは彼處に」と掛け合ひにゆく趣、息もつがれぬ面白味がある。蜀山人が千古の名文と歎稱したのも無理はない。謠曲のロンギと稱する所や近松の作などには巧みに此の注を用ゐてある。

熊坂思ふやう、もの〳〵し其の冠者が、切るといふともさぞ有るらむ、熊坂秘術を振ふならば、如何なる天魔鬼神なりとも、中につかんで微塵になし、うたれたる者共の、いで供養に報ぜむとて、道より取つて返し、例の長刀引きそばめ、折妻戸をこだてに取つて彼の小男をねらひけり。牛若子は御覽じて、太刀拔きをばめ物あひを、少し隔てゝ待ち給ふ。熊坂も長刀かまへ、互にかゝるを待ちけるが、いらつて熊坂左足を蹈み、鐵壁も徹れと突く長刀を、はツしと打つて弓手へ越せば追つ懸けすかさずこむ長刀にひらりと乘れば刄向きになし、しさつて引けば馬手へ越すをおつとり直してちようと切れば、中にて結ぶをほどく手にかヘツて拂へば飛びあがつて、其のまゝ見えず形も失せてこゝやかしこと尋ぬる所に思ひもよらぬうしろより、具足の透間をちようと切ればこは如何にあの冠者に、切らるゝ事の腹立ちさよと、いへども天命の、運の極めぞ無念なる。(謠曲「熊坂」)

 省略法の第三類句を省くもの、例へば「瘦せ骨あらはなるばかり裾高く引きからげ」といふべきを「舅忠太兵衞瘦せく引ツからげ、鍋のつるほどりに反つたる朱鞘ぼツこみ」といひ、「あはれ某御年の程にて候はゞ、御命に代はり候はむずるものを、惜しからぬ命も事によつて心に任せぬロ惜しさふ。」といふ類ひである。

同じ心にむかはまほしく思はむ人の、つれ〴〵にて、今しば日は心しづかどいはむは、此の限りにはあらざるべし。阮籍が靑き眼誰れもあるべきことなり。(『徒然草』)
新羅百濟高麗國、支那天竺にいたるとも乾坤を出でずんしや五年が十年終はらば一念の、魂殘つて本望遂げ、目出たく歸つて母ぢや人御笑顏見申さむ。(近松『蟬丸』)
朧月夜にしく物もなき海士の苫、八島にたてる高松の、苔のむしろはいたはしや。さてなぐさみは浦の名の、群れゐる田鶴を御覽ぜよ。などか雲井に歸らざらむ。旅人の故鄕も、都と聞けばなつかしや。われらも元て、やがて淚にむせびけり。(謠曲「八島」)
宋人其の苗の長せざるを閔みて之れをく者あり、芒々然として歸つて其の人に謂つて曰はく、今日つかれぬ、予苗を助けて長ぜしめたりと。其の子趨せ往いて視れば苗則ちれたり。(『孟子』)

此の『孟子』の文の太田南畝が譯に、

もろこし宋の國に百姓あり、その作る所の苗の長くのびざるをまだるしとて手を以て其の苗をぬいて引きのばしけるが、おろかなる顏つきにて歸りて家內の者に話しけるは、今日疲れはてたり、われ苗ののびざる故に、手を以て助けて引きのばしたりと。その子驚き急ぎて行き見れば苗すなはち槁れたり。

佳譯たるには相違ないが、目がんであるだけ間延びになつて含蓄の妙味がない。
 省略法の第四類前句の末と後句の始とを一緖にして掛持にするもので秀句的省略法ともいふべきもの、例へば「憂き身を捨てたる世捨人なり」といふべきを「我れも憂き身を捨て人なり。」といひ、或は「佛法を守護神となるべし。」「心ばかりが抱きあひ、せむ方先だてり。」といふ類ひである。此の省略法はとかく不自然になり易く、天才が異常の場合を寫すに用ゐて始めて効力のあるもので、凡手の濫りに用ゐべきものでない。左の第二の例の如きは全く失敗の作である。

我々は此の國の押領使橫山殿の御內の者、されば橫山殿鬼鹿毛とて、三國無雙の名馬あり、かの御馬と申すは神變不思議の相を得て、春は梅花のくらひ、夏は卯の花蒲菖草あやめぐさ、今は折から秋草の、露を其のまゝ秣に飼ふ。若し又かの馬或時は、人秣ひとまぐさを飼はざれば廐にも立難し。さるによつて近國野山にて、毎日百の草花をかりそめながら、是れとても君が爲めとぞ語りける。(巢林子『當流小栗判官』)
夏目次郎左衞門は一族も多かりけるが、彼の宗門に徒黨して、己が知行所に要害を構へたてこもりしを、松平主殿助伊忠不意におしよせ、木戸を打ち破り攻め入りしかば、夏目防ぎかね帑藏どぞうの中にかくれ入りたるを殺すは籠の中の鳥を殺すに似たり、助けてこそと仰せ有り。(湯淺元禎『常山紀談』)

 省賂法の第五類要點だけを朧ろに叙して殘部を讀者の想像に一任するもの、省略法の最も高尙なるものである。例へば『論語』の「子川上かはのほとりに在りて曰はく、逝く者はかくの如きか、晝夜を舍かず。」加賀の千代が「起きて見つ寢て見つかやの廣さかな。」一茶が「露の世は露の世ながらさりながら。」蕪村が「春風や堤長うして家遠し。」の如き、表はした部分よりも表はさぬ部分の多い所に不言の妙味がある。此の種の省略法は短い形式の詩歌に殊に多い。

唯だ人は心にて候ふ也(阿佛尼「めのとの文」)
曹劌對へて曰はく、それ戰は勇氣なり。一たび皷して氣を作し、再びして衰へ、三たびして竭く。彼れ竭き我れ盈つ、故に克てり。(『春秋左氏傳』)
常體つねていの者の子が七つや八つで斯うあらうか、人は血統すぢめが恥かしい。さすが父樣のお子ほどある。(巢林子『夕霧阿波鳴戸』)

 近松巢林子が『心中二枚繪草紙』の血死期の道行に、女は家に、男は野邊に、二人離れ〴〵に情死する事を一緖に綯ひ合はせて寫したのは、簡潔を極めた文である。

死神の導く道や陽炎かげらふの、果敢なき蟲もたま〳〵は朝の露に生き殘る夫れよりも猶ほあだくらべ、これを限りと百八の數とる度に繰りつくす、命二つを珠數二連、これが冥途の迎ぞや、見送る軒と見返る野邊と、中に飛びかふ夜這星、行いて歸らば言傳てむ、出でて歸らぬ魂の、こがれ添ふとは知らねどもそばに夫のある心、夫はお島とつれだちて步む心のともづれは、目にちろ〳〵とまぼろしのは其の人か、まことかと抱きつけば仇し野や風ぼう〳〵たる閨の戸に、どれ市樣はお島はと尋ぬる袖にふる淚、夜半の時雨となりにけり。

 六五 廣瀨淡窓の詩話に曰はく、或人「板敷に下女取りおとす海鼠かな。」といふ發句を作つて師に添削を請うた。師曰はく、道具が多過ぎる。其の人「板敷に取りおとしたる海鼠かな。」と改めた。師曰はく、大分よくなつたがまだらぬ道具がある。其の人遂に改め得ず、師乃ち「取りおとし取りおとしたる海鼠かな。」と改めた。無くとも差支ない文句は無い方がよい。讀めば讀むほど味はひあるは簡潔な文章である。吾妻山の熊が其のてのひらに漆を塗つては蟻をつぶし、蟻を潰しては漆を塗り、其のを舐つて一冬を過ごすやうに、吾等が古聖人の經典に對するや、生涯嚙みしめ舐め味はひても飽くことを覺えぬ。これは思想の誠正偉大なるにもよるが、一つは其の文章の簡潔にして含蓄多く、不言不悉の妙味あるによる。古來難解の聖經、難解ながらに讀誦する者絕えずして、之れを解釋敷演した汗牛充棟の書、精明ながら常に高閣に束ねらるゝは何故ぞ。精明、悉のみが文の能事ならざること、之れを見ても明らかである。

人鶏犬の放るゝあれば求むることを知る、放心ありても求むることを知らず。學問の道他無し、其の放心を求むるのみ。(『孟子』)

飼犬が見えねば大騷ぎしてさがすが、本心が逃げてもさがさうともせぬ。延ぶれば千萬言をもなすべき事を一二行に煎じ詰めた所、絕妙といはねばならぬ。かく煎じ詰めた濃漿に想像の水をりつゝ味はふればこそ、讀むに從つて益〻妙味を覺ゆるなれ。
 冗漫な文の例一二を擧ぐれば、『源平盛衰記』俊寬僧都足ずりの條の一節なる

(赦免狀に)俊寬僧都といふ四つの文字こそ無かりけれ。執行は御敎書取り上げて、ひろげつ卷きつ披いつ千度百度しけれども、書かねばなじかは有るべきなれば、頓て伏し倒れ絕え入りけるこそ無慙なれ。やゝありて起き上がりては血の淚をぞ流しける。血の淚たと申すは淚下りて聲なきを血といふといへりことばは出ださざりけれども落つる淚は泉の如し理りや爭でかなからざらむ、三人同罪にて同じ島へ流されたるに、死なば一所に死に、還らば同じく歸るべきに、二人は召しかへされて僧都一人留まるべしとは思ひやはよりける。

の如き、不要の說明に讀者の感興の腰を折るだけで、意義にも趣味にも何等の加ふる所が無い。馬琴の文などにも槪して同樣の弊がある。『八犬傳』芳流閣格鬪の條に、

芳流閣のの上に、攀ぢ登れども左右とにかくに、脫れ去るべき道のなければ、其處に必死を究めたる、心の中はいかなりけむ、想像おもひやるだにいと痛まし。されば又、犬飼現八信道は、犯せる罪のあらずして月來つきごろ獄舎ひとやに繫がれし、禍は今恩赦のさいはひ、我がいましめなは解けて、人にぞかゝる捕手の役義、犬塚信乃を搦めよとて、なまじひに擇み出だされつ。よその憂へをの面目に、今更用ゐられむ事、願はしからずと思へども推辭いなみて許さるべくもあらぬ、君命重く、彌高き、彼の樓閣は三ぢうなり、その二ぢうなる檐の上まで、身を霞ませて登りて見れば、足もと遠く、雲近く、照る日烈しく、堪へがたき、頃は六月廿一日、昨日もけふも乾蒸からむしの、㷔熱ほてりをわたる敷瓦は、凸凹うねりひまなく、波濤なみに似て、したには大河滔々たる、こゝ生死の海にる、溯洄ながれは名に負ふ坂東太郎、水際の小舟揖を絕えて、進退旣に谷まりし、敵にしあればいかでわれ、繫ぎ留めむと、むさゝびの、樹傳こづたふ如くさら〳〵と、登り果てたる三層の、屋背やねには目柴翳まぶしさすよしもなく、迭に透を窺ひつゝ、疾視にらまへあうて立つたる形勢ありさま、浮圖の上なるこうの巢を巨蛇をろちねらふに似たりけり。

妙といへばいふものの、無い方がと思はれる文句が多くして、全體の調子がれて居る。例へば「必死を究めし心の中いかならむ。」といへば、思ひやるだに痛ましいことは言はずともわかつて居る、否、言はぬ方が却つて痛ましい事以外の事をも想像させて奧床しい。徒らに言を費やすは讀者の精神活動を、求めて狹むる所以である。近松巢林子が言に曰はく、「淨瑠璃は憂へが肝要なりとて多くあはれなりなんどいふ文句を書く事、我が作のいき方には無きことなり。あはれをあはれなりといふ時は含蓄の意なうして、けツく其の情薄し。あはれなりといはずしてあはれなるが肝要なり。」と。味はふべき言である。

年を經て浮世の橋を見かへればさても危く渡りつるかさま人間一生の間には、火事にもあひ、おほ地震にも出あひ、大雷大風洪水饑饉其の外思ひがけない災難を被る人のあるもの、中々ついは年のよられぬもので御座りまにそんな目にあはぬ御方は、有り難いと思し召十年三十年のあとをふりかへつて見れば、浮世の橋をさても危く渡りつるかう命があつたもので御座ります。(『鳩翁道話』)

凡筆ならば「古歌に曰はく」「宜なるかな」「若し」「誠に」「思へば」などいふ多くの繫ぎ文句を入るべき所を、古歌と斷らずして古歌なること明らかに、れたるが如くにして續きたる趣、疎々又密々、省略法の祕鑰を握つた名文である。畵家入神の筆は能く墨なき所に畫あらしむる、文章家は言葉なき所に文あらしめねばならぬ

 六六 但し、簡潔を重んずるといふは、決して詳密を斥くるの意ではない。簡潔と詳密とは相對して各〻一體を成して居るもので、必ずしも矛盾するとは限らぬ。植木屋の諺に「櫻切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿。」というてある。枝を切るは梅の特色を完成する所以、切らぬは櫻の特色を完成する所以なることをいうたのであらう。文章も其の通り、物により、場合により、相手によつて、詳密なるべきものもあれば、簡潔なるべきものもある。又詳密なる文が、其の文體相應に冗漫を避けねばならぬやうに、簡潔なる文も、其の體相應に過度の省略を避けねばならぬ。話す場合と書く場合と、讀み流すものと熟讀玩味するものと、新聞雜誌と敎科書と、昧者に對すると學者に對すると、其の間に繁簡疎密の差別あるべきは云ふまでもないことである。歐陽修が「醉翁亭記」を作つた時に、初めには數十字を費して滁州四面の山々を詳しく叙したが、後に改めて「環滁皆山也。」の五字に約めたといふ。併しながら、四面の山々を知り抜いた歐陽修其の他の人々には其の詳叙がいかにも五月蠅く感ぜられるであらうが、知らぬ者が「環滁皆山也。」の一句によつて亭の四境を思ひ浮かべ得る筈がない。「四面皆山也。」というて一々の山のたたずまひを見せやうとするのは、譬へば、「物質分子の運動」の一句を以て宇宙のあらゆる現象を說明し盡くさむとするやうなものである。無駄を省く事は如何なる文章にも必要であるけれども、簡潔なる事が必ずしも文章全體に通ずる必要條件とは云はれぬ。過度の省略の害は往々冗漫の害に優ることがある。
 陳騤の『文則』に簡の重んずべき事を說いて、泄冶が「夫上之化下、猶風靡一レ草。東風則草靡而西、西風則草靡而東。在風所一レ由而草爲之靡。」と、三十二言を用ゐてゐることを、『論語』には「君子之德風、小人之德草、草上之風必偃。」と、半言にしてよく同じ意を顯はし、『書』には「爾惟風、下民惟草。」と『論語』よりも少なきこと九言にして、更によく同じ意を顯はしたというて居るが、是れも相手と場合とによることで、抽象的には論斷し難いことであらう。是等の文は同事を叙してあるとはいふものの、意義趣味のいづれかに於いて、多少の增減がある、而して簡なるもの必ずしも詳なるものを悉く保有するともいはれねば、詳なる方が必ず無駄ばかりともいはれぬ。人を傳するにも、「倜儻にして大志あり。」「才文武を兼ね、巧みに民心を收む。」といふ調子の十把一からげの文にも捨て難き特色があれば、箸の上げおろしまで細かに寫す寫生風の傳記にも掬すべき味はひがある。『書經』や『老子』風の簡潔なる文章の名文たる事が寫生式、印象式の精細的、繁絮的、彽徊的描寫の名文たる事と並立して何等の故障も無い。つまる所は、謂はゆる疎々密々、疎なるべきは疎にし、密なるべきは密にすること、猶ほ槖駝師が梅をして梅たらしめ、櫻をして櫻たらしむるが如くすべしといふに歸する。

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