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第三 主として增義の原理に基ける詞姿

 第二十四章 重義法

其の四 語路法

 五七 語路法は成句の口調を眞似、語路を摸する詞姿である。此の法の面白味は眞似られた原文を思ひ出だす所にある、故に其の摸する原文句は人ロに噲炙したものでなければならぬ。此の詞姿は其の性質の自然の結果として、古語のロ眞似たるに止まり、從つて下品なものとなるが常である。滑稽、諷刺、嘲笑の場合に用ゐれば少なからぬ効はあるが、之れを用ゐるには深く時機を考へねばならぬ。
 此の詞姿の例は狂歌や滑稽小說等に多い。「こもの餓人」というて「雲の上人」に擬し、「玄關に席を改めて口上を聞く。」というて「林間煖酒燒紅葉。」に擬し、「顏淵閔子騫」を摸して「殘念びんしけん」といふ類ひ、其の他「よろしく御贔負をねぎまぐろになむ。」「箒千里是れ留の掃かざる所。」「山吹のはながみばかり金入れにみの一つだに無きぞ悲しき。」といふ類ひ、いづれも巧みに語路法を用ゐたものである。

さいもなき膳にあはれは知られけりしぎ燒き茄子の秋の夕暮。(唐衣橘州)
樂酒亭主。此の長幕茶番で時々之れを語る、肌柳橋ならずや。隙有り日待ちの夜來たる、だ茶飯食はずや。人聞かずして喜ばず、亦素人ならずや。(京傳『四書京傳餘師』)
哥々あにい伯父をぢいが上に立たむこと難く、腎六はぬけ作が下に立たむこと難くなむありける。(式亭三馬『古今百馬鹿』)
(蒲原さして)たどり行くに、村はづれに小屋がけして觀音樣の掛地をかけ、麻のやぶれ衣を着たる坊樣居睡をして居たりしが、旅人を見ると俄にリンをうちならし、觀音經「妙法蓮華經普門品第始終忽多闇世間子息大分遊興毎晩三味線音曲滅多無正夜前大食翌日頭痛八百羅利古灰笑止千萬近邊醫者早速おん見舞調合煎藥呑多羅久多羅腹張多心經チイン〳〵鼻の下空殿の建立お志をお賴ん申します。(十返舍一九『膝栗毛』)

是等はいづれも滑稽一方の駄洒落に用ゐたもの、左の新體詩は自然主義、半獸主義詩人の八六調に摸して諷刺嘲笑の意を寓したものである。

またとは咲かじな  人の世花、
色香のあせね間  樂しまずや。
さらでもあらしの  つとに來るを、
あゝ其の苦顏にがかほ  芽食めはむ蟲か。
  若き世束の間  夢とたむ、
  またなき甘戀あまごひ  今し嘗めよ。
招かで老いらく  やがても來ば、
血汐も凍りて  力脫けむ。
一たび老いては  悔いの千たび、
生身なまみ世味よあぢを  知らで逝くか、
  若き世束の間  夢と經たむ、
  あゝ此の柔肌やははだ  觸れて見ずや。
(坪內逍遙氏『金毛狐』)
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