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第三 主として增義の原理に基ける詞姿

 第二十四章 重義法

其の三 雙叙法

 五六 ワイスといふ修辭學者が、「パン(秀句或は寧ろ駄洒落と譯すべし)は一語によつて二つの異なる觀念を表はすもの、機智ヰツトの本領は一觀念によつて二つの異なる事物を表はすにある。」というて居る。雙叙法は又一筆雙叙法ともいふ、ワイスの謂はゆる一觀念によつて二種の事物を表はす詞姿で、重義法の中最も上品なものである。例へば、ほしといふ、一語によつて星、欲しの二觀念を表はすが秀句、「錢負うてぎくともせぬは恐らく藤屋の伊左衛門、日本に一人の男、此の身が金ぢや、それで冷えてたまらぬ。」といふ文は、冷ゆるといふ一觀念によつて身の冷ゆる事と金の冷ゆる事とを表はして居る點に於いて雙叙法になつて居る。又、「君子の過や日月の食の如し、初めや人皆見る後には人皆仰ぐ。」といへば、見る、仰ぐといふ觀念で君子を見、仰ぐ事と日月を見、仰ぐ事とを表はしたので立派な雙叙法、近松が『曾根崎心中』の名句「此の世の名殘、夜も名殘、死にに行く身を譬ふれば、あだしが原の道の霜、一足づつに消えてゆく、夢の夢こそあはれなれ。」の如きは雙叙法の絕妙なるものである。

お雪が莞爾につこりと、笑顏に開く小風呂敷、これ此の帶の縫見て下さんせ、丸に三引お前の紋、わたくしは裏菊、ようはなけれどわたしが細工、大小の締まるため、中入に念は入れたれど、くけロがお氣に入るまいさりながら、末永う縫ひ仕立てゝ召させねばならぬ。どれぞなかうどたのみて、本式の言ひ入れはお前からこれは先づそれ迄の心賴み、此の帶の如くいつまでも、お腰元を離れず添ひ纏うてや、さうぢやぞやと、鞍の前輪にうちかくる。(近松『槍權三重帷子』)
明和六年といふ年の二月ばかり齡九歳といふに、師のかどに入りたちて、いろはもじ習ひそめし折、かぞいろはの求めえて賜はりしふみづくゑぞ此の机なる。その日より此の机のもとさらず作れる册子は百部をこえ、積もれる歳は五十に餘れり。今はおのが心たましひもほれ〴〵しう眼もうちかすみゆくに、机も耳おち足くじけゆがみて、もろ老いに老いしらへるさまなるは、あはれいかゞはせむ。「耳もおち足もくじけて諸共に世にふる机なれも老いたり。」(山東京傳「古机の記」)
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