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第三 主として增義の原理に基ける詞姿

 第二十四章 重義法

其の一 添義法

 五三 添義法は振假名によつて言葉の意義を富ます詞姿、主として讀者の視覺に訴ふるものである。例へば、「病氣をだしに」と書く代はりに「口實だし」と書けば口實てふ漢文風の熟語及びだしといふわが俗語に伴ふ意義趣味が相並び、相和し、相助けて茲に一團の豐かなる意味を傳ふる。「無言しゞま」「饗宴うたげ」と書けば「しゞま」、「うたげ」といふ古語を知らぬ者も漢字に縋つて其の意義を知り得るのみならず、「しゞまプラス無言プラスだんまり」といふ樣に古語と漢語と俗語と三重の意義を傳ふることになる。「心はやたけにはやれども」といふ文も「八十梟やたけ」「矢竹」「彌猛」、それ〴〵に含まるる意味が違って來る。同じ富士山も不死山、不盡山、不二山、福慈岳、それ〴〵に多少內容がちがふ。「身の落着ふりかた」「出世なりいづる」「淸楚ずゞしく」「警蹕のゝしる」「上品うちあがる」「大魚まな」「流石さすが」「可惜あたら」「左傾ためつ右斜すがめつ凝視うちながめて會得の微笑にツこり」「衆人ひと〴〵環視みまはし」「爾の頰の右方かたへをうたば亦左方かたへの頰を向けよ。」「己れ人にせられむとする事は亦人にも其の如くよ。」と書くが如き、皆それ〴〵に古今、雅俗、內外の意義を兼ね傳ふるものである。謂はゆる萬葉假名、淸明あきらけく春鳥うぐひす三五夜もちづき戀水なみだ十六しゝ鶴鴨つるかもの如きも、此の詞姿に屬するものと云つてよい。此の法は上田秋成、曲亭馬琴、此の頃では紅葉、二葉亭諸氏の好んで用ゐたもの、又飜譯家が原文の趣味を傳ふる必要より多く用ゐるものである。

(伏姬)今山居やまごもり久しうなりて、衣裳は垢つき破れたれども、肌膚はだへ殘雪のこんのゆきよりしろく、雲鬟くろきかみ梳るに由なけれども、綠鬢みどりのびんづら春花はるのはなより芳し。細腰ほそきこしいよ〳〵瘦せて、風に堪へざる柳の如く、玉指たまのゆびますます細りて、かきに惱めるたけのこに似たり。その素性をいふ時は、安房の國主里見氏の嫡女たり、心操こゝろばへあげつらへば、橫佩のおん息女むすめ中將姬にも愧づることなし。草書はしりがき讀書ふみよむことは、おん父の才をけておのづから理義に怜悧さかしく、刺縫ぬひはり管絃いとたけは、母君の手に習はせられて、その調いとたへなり。(馬琴『南總里見八犬傳』)
御間おんなか不和の所以いはれは大方お增こそ知るべきなれ。それ捜るべき便たより此の人の外にはあらず。左右とかくは餘所事にして糺さばやと思ひて、今宵旦那樣にも御目通せしに、人品ひとがら大樣なれども、たかぶり給はず、男らしう凛々りゝしけれども可怖こはらしからず。やさしき御言語ものいひ快濶さばけたる御樣子何につけても申さう樣なき御方らし。(尾崎紅葉『不言不語』)

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