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第三 主として增義の原理に基ける詞姿

 第二十三章 緣裝法

 四九 緣裝法とは緣故ある事物を添へ纒はせて立言を裝ふ詞姿をいふ。廣くいへば、前に述べた諸種の譬喩法も、次ぎに說く重義法も、緣裝法に屬すべきものであるが、茲には狹義に解釋して國學者の謂はゆる枕詞及び序詞だけを指すことにする。枕詞とは次ぎに來る語の形式的に定まれる五字句をいふ。例へば、久方のといへばあめとつゞき、あらがねのといへばつちとつゞく、なまよみのとあれば必すかひといふ語が次ぎに來たり、ちはやぶるとあればかみといふ語がつゞいてあらはれる。而して上の五字句とつゞく語との間には必ずしも意味の聯絡のあるのではなく、久方のの次ぎにはあめといふ音の語でさへあれば、あめでも雨でも飴でも亞米利加でも構はず、なまよみのの次ぎにはかひの二字さへあれば甲斐國でもかひなでもかひでも、極端にいへばかい中時計でも差支ない。無論由來をたゞせば、枕詞と次ぎに來る語との間には本來意義上の關係があつたのであらうが、其の關係が無くなつて、言ひ換ふればことばが本來の意義を失つて、唯だ形式的に或語に連れ添ふ飾りとなつたのが枕詞である。故に「うば玉の――黑し」といひ、「はふ葛の――いや遠長く」といへば一種の譬喩ともなり、「玉笥――ふた見が浦」「山彥の――もなく」といへば一種の懸詞、雙叙法とも見れば見られるが、かく懸詞たり、譬喩たり、形容詞たり、働詞たる其の語本來の性質を失つて單に形式的に或語に先立つ五字句、即ち枕詞なりというてよい。次ぎに序詞は枕詞の長いもの、枕詞が五字句なるに對して七字八字十字乃至幾十字でも定まりの無いのが序詞である。從つて枕詞には其の數もつゞけ方も略〻一定して居るが、序詞には人人勝手といふ趣があり、又枕詞の意義無きに比べて序詞の方には比較的に意義がある。緣裝法は八種の原理の悉くに多少の關係がある。

 五〇 枕詞、序詞は主として口調を整へ意味を富ます爲めに用ゐらるゝ。例へば、單に甲斐の國、駿河の國といふよりは「なまよみの甲斐の國、うちよする駿河の國」といふ方が調子よくして趣があり、「斯くあらば」と只事たゞごとにいふよりは「黐鳥もちどりかゝらばしもよ」といふ方、鳥のもちにかゝつた樣などを思ひ浮かべて意味が豐かに面白くなる。「長き夜を一人明かすことか。」といふ嘆きも「足曳の山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寐む。」と序詞を添ふれば、何處よりかと驚かるるばかりの神韻が生じて來る。先づ枕詞の例から擧げる。

わが宿に花ぞ咲きたる、そを見れど心もゆかず、はしきやし妹がありせば、水鴨みかもなす二人並び居、手折りても見せましものを、空蟬のかれる身なれば、霜じものぬるが如く、足引の山路をさして、入日指すかくりにしかば、そこ思ふに胸こそ痛め、いひもかね名づけも知らに、跡もなき世の中なれば、せむ方もなし。(柹本人麿「亡き妻を傷む歌」)
玉くしげふた國の橋よりもこなた、さき草の三叉みつまたに舟よそひして、すみだ河原に漕ぎのぼらむとす。そも〳〵此のあづまの遠のみかどは、古へのおしてる難波高津の宮の御津なして、日のたてなる、日のぬきなる、八十の國ゆ、千々の大船のつどへる入江にかたつきて大城おほきめ給へれば、大江門えどとしもいふなりけり。いでや赤駒のはらばふたゐ、水鳥のすだく沼も、都なさの方しもなければ、あし荻しげれる角太河原も、百舟きほふ川としなりてゆ、今幾世にかもなりぬらむ。かくていや河のぼりて見渡せば、ひんがしの里には、八束穗つめる稻置のもとに、國ぶり歌ふ聲たえず、西の岸には家なみしきて、かまどのけぶり千里にみちぬ。三とせまでおほん寳がえだちをゆるさせ給ひし大御世や、かくこそありけめ。ふりさけ見れば、狹衣のをつくば高峯だゞ此の水上に神さび立ち、かへり見すれば、ひくうなかみがたの沖つ浪にぞゞくなる。やがて月のみ舟と共に、かよりかくより木の葉なす亂れ出づめるふねやかたに、百の物のね鳴らしたつれば、月の光もいや照りまさりて、水のおもては櫛笥にのする鏡の如し。げに橋の名をふた國といへるは、武藏としもふさとのあはひなればなり。河の名をすみた川とおほせしは、月の影と物のねとによれりとこそ云ふべかりけれなどいひあへり。かゝれば人々歌詠みしつつ、掛けまくもかしこけれど古をおもひ、今を仰ぐはや。(角太河に舟を浮かぶといふを題にて、橘千蔭『うけらが花』)

左に序詞の例を擧げる。

しのぶの浦の蜑のみるめも所せく、くらぶの山ももる人しげからむに、わりなく通はむ心の色こそ、淺からずあはれと思ふふし〴〵の忘れ難きこともおほからめ、親はらからゆるして、ひたぶるに迎へすゑたらむ、いとまばゆかりぬべし。(『徒然草』)
平經政風枯木を吹けば晴天の雨、月平沙を照らせば夏の夜の、霜の居も安からで、假りに見えつる草の陰、露の身ながら消え殘る、妄執の緣こそつたなけれ。(謠曲「經政」)

 左の如き修飾も、枕詞序詞とは違ふが、一種の緣裝法といふべきものである。恐らく枕詞、序詞と共に國文特得の詞姿であらう。

綸言なればうれしくて、落つる淚の玉だすき、結んで肩にうちかけて、旣に草紙を洗はむと、和歌の浦わの藻鹽草、波寄せかけて洗はむ、天の川瀨に洗ひしは、秋の七日なぬかの衣なり。花色ぎぬの袂には、梅の匂ひやまじるらむ。雁がねの、つばさは文字の數なれど、跡さだめねばあらはれず。頴川に耳を洗ひしは、濁れる世をすましけり。舊苔の鬚を洗ひしは、川原に解くる薄氷。春の歌を洗ひては、霞の袖を解かうよ。冬の歌を洗へば、袂も寒き水鳥の、上毛の霜に洗はむ。戀の歌の文字なれば、忍び草の墨消え、淚に袖は降りくれて、忍ぶ草も亂るゝ。神祇の歌は榊葉の、庭火に袖ぞかわける。時雨にぬれて洗ひしは、紅葉の錦なりけり。住吉の久しき松を洗ひては、岸に寄する白波を、さつとかけて洗はむ。洗ひ〳〵て取り上げて、見れば不思議やこは如何に、數々の其の歌の、作者も題も文字の形も、少しも亂るゝ事もなく、入れ筆なれば浮草の、文字は一字も、殘らで消えにけり。(謠曲「草紙洗小町」)

 五一 序詞、枕詞は本來形式的のものであるが、意義上の關係をも付けて本義と照應せしめ、本旨を助長せしむれば、一入めでたくなる。左の例の如きは枕詞、序詞を活用して文に光彩を添へたものである。

其の夜はさりがたき別かれを語り、かくては賴みなき女心の野にも山にも惑ふばかり、物うきかぎりに侍り。朝に夕べにわすれ給はで速く歸り給へ。命だにとは思ふものの明日あすをたのまれぬ世のことわりは猛き御心にもあはれみ給へといふに、いかで浮木に乘りつも知らぬ國に長居せむ、葛のうら葉のかへるは此の秋なるべし、心强く待ち給へといひ慰めて、夜も明けぬるに鳥が啼くあづまを立ち出でみやこの方へ急ぎけり。(上田秋成『雨月物語』)

葛の葉のかへるといふに秋の景色を匂はせ、夜明けに鳥の聲を點じて更に東天に上る朝日と共に旅立つさまをほのめかす、枕詞序詞活用の理想は此の邊にあらうと思ふ。
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