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第二 主として朧化の原理に基ける詞姿

 第十九章 美化法

 四三 美化法とは美はしい事物によそへ或は美はしい事物を附加して背感の事物を美化する詞姿である。後に說く緣裝法の一種で、朧化の目的に用ゐらるゝ緣裝法というてもよい。緣裝法とは緣故ある事物を纒はして趣味を豐かにする意味である。例へば、蝨は人の忌がる穢いものだが、千手觀音といへば面白くなる。盜賊も梁上の君子といひ、或は「ゆたかなる御代の有り難さには綠の林暗き蔭なく白浪の寄する渚もなし。」といへば美はしくなる。見すぼらしき痩馬も「弱きに弱き柳の絲の、よれによれたる痩馬なれば」といへば思ひ設けぬ味はひが生じ、雨漏り風通すあばら屋も「甍破れては霧不斷の香を燒き、扉落ちては月常住の燈を揭ぐ。」といへば、えならぬ風致が現はれて來る。綻びだらけの敞衣も「花こそ綻びたるをば愛すれ、芭蕉葉こそ破れたるは風情あれ、いづくに風のたまりつゝ、寒さを防ぎけるらむ。」といへば醜さも忘れられ、少女のむごき最後も「南無阿彌陀佛といふ聲も、眠れる花の夕の秋、十七歳を一期として、終にはかなくなりにける。」といへば斷腸の悲しさも和らげられる。是れ皆美化法の働きといつてよい。

げにいたはしき御事かな。さらば御宿を貸し申さむ。もとより住みかも蘆の屋の、たゞ草枕とおぼしめせ。しかも今宵は照りもせず、曇りもはてぬ春の夜の、朧月夜にしく物もなき海士の苫、八島に立てる高松の苔のむしろは痛はしや。(謠曲「八島」)
隅田川原の、あたりに近きはにふ住、夫婦も本は都鳥あるかなきかのかせ所帶、妻は手づまの賃仕事、お櫛取るまもなけれども、浮世の垢の落ちかねて、のり立ちもせぬ世渡りの、うき身にとんと筆捨てゝ針手、つゞりのしきし短じやく歌人に似たるたとへぐさ、夫は詞を巧みにしてよき衣着たるあき人のあるが中にも商人あきびと猿島の惣太とて、貧しき家にも槍薙刀……(巢林子『雙生隅田川』)

美化法は類似した物によそへる點に於いては隱喩法に類し、美はしき古事を配する場合には後に擧ぐる隱引法に類して居る、けれども、背感の事物を目安くする爲めに他の事物を纒はす點に於いて獨立の詞姿である。尙ほ此の詞姿は多少增義、融會、奇警、順感等の諸原理にも關係して居る。
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