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第一 主として結體の原理に基ける詞姿

 第十六章 列叙法

 三九 列叙法とは幾多の事物を併せ揭ぐる際に、一つに締め括らずして其の一つ〴〵に同等の重みがあるやうに列べて寫す詞姿である。例へば、「梅櫻及び桃を愛す。」「月雪花にあこがる。」といふ如く一括りにせずして「梅を、櫻を、桃を愛す。」「月に、雪に、花にあこがる。」と云ひ、「讀み書き且つ考ふるが余の業なり。」と統べずして「讀む、書く、考ふるが余の業なり。」とし、「淸心」と括らずして「淸心」と散列せしむる類ひで、かくすれば列擧された各〻の事物が一つ〴〵に特別の注意を受けることとなる。此の法は忙がしい場合、情の激した場合、即ち分類統一の心作用の働く餘裕のない場合の出來事などを寫すに適して居る。此の法は主として結體の原理に屬して居る。

目が橫に附いて、鼻がたてに附いて、二本足で眞直に立つて步き、這ふ、蹲踞しやがむ、坐る、橫になる、飛ぶ、はねる、走る、引搔ひつかく、つかむ、つまむ、ひねる、五本の指を一本〻〻別々にも働かせる、要するに手足共に自由自在に働く、おまけにく、笑ふ、ほほゑむ、兎も角も無數の節をつけて聲を發する。これが常識即ち普通世間の俗眼で觀て人類と名づける一種の動物である。(坪內逍遙氏『修身講義』)
瀨戸わたる棚なし小舟心せよ霰みだるゝしまき橫ぎる(西行『山家集』)
內に小春が喞ち泣き、卑怯な賴みごとながらお士樣のお情、今年ことし中來春二三月の頃までわたしに逢うてくだんして、かの男の死ににる度每に邪魔に成つて、期を延ばし〳〵おのづから手を切らば、さきも殺さずわたしも命助かる、何の因果に死ぬる契約したことぞ、思へば悔やしう御座んすと膝にもたれ泣く有樣、ムヽ聞き屆けた思案あり風も來る人や見ると、格子の障子ばた〳〵と立ち聞く治兵衞が氣も狂亂、エヽさすが賣物安物め、奴性骨見違へ魂を奪はれし巾着切め、切らうか突かうかどう障子にうつる二人の橫顏、エヽ くらはせたい踏みたい 、何ぬかすやら點頭うなづきあひ、 をが む、 さゝや ざま、胸を押へさすつてもこらへられぬ堪忍ならぬ、心もせきに關の孫六一尺七寸拔き放し、格手の挾間さまより小春が脇腹、爰ぞと見極めえいと突く……(近松門左衞門『天の網島』)

「霰みだ、しまき橫ぎる」「拜哮えるざま」と括れば文の調子が一變して活動の妙がなくなるであらう。

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