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第一 主として結體の原理に基ける詞姿

 第九章 擧例法

 二九 擧例法とは抽象的の立言を具象にせむが爲めに、其の立言に相當する事物の一部分を引いて其の事物全體を代表せしむる詞姿をいふ。例へば、饑饉の恐るべき事をあり〳〵と見せむが爲めに天明の大饑饉を擧げ、天道の是非、因果應報の理の疑はしきことを證據立つる爲めに伯夷叔齊の餓死、盜跖の長壽を示し、盛者必衰の理を說かむが爲めに驕る平家久しからざりし例を引き、兒女を敎育するに住處を擇ぶべき事を明らかにせむが爲めに孟母三遷の故事を引くが如き、皆、抽象的、槪括的の理說を具現せむが爲めにするものである。抽象的の理を理として說くだけでは學者と雖も容易くは解し得ぬ、而して之れを具體にして人の腹に入り易からしむるものが譬喩法と此の擧例法とである。此の二法は「譬」「例」の二語が共に「たとへ」と讀まれるのを見ても解るやうに、頗る類似し、又屢〻混同されるが、譬喩は當の事物に似よつた他の事物を引くもの、而して擧例は當の立言に含まるゝ事物の一部分を代表として引くといふ點に於いて譬喩とちがふ。混ずべきものでない。

 擧例法は結體、增義、存餘、融會、順感の五原理の上に立つて居る。具象の事例によりて空理を結體せしむる所より見れば結體の原理に屬し、空理に加ふるに事例を以てする所より見れば增義の原理に、一部を擧げて全都を察せしむる方面より見れば存餘の原理に、空理を解し易からしめ、心地よく讀ましむる點より見れば融會順感の二原理に屬して居る。

 擧例法には「例へば」「徴すれば」等の說明詞の添ふのもあり、添はぬのもある。又積極の一面より例を擧げることもあり、積極消極の兩面より擧げることもある。兩面の擧例は例へば兄弟和親の敎を述べむが爲めに毛利元就の子等が矢の譬喩に感激して和衷協同した事、賴朝が兄弟を殺して家の滅亡を招いた事を併せ揭ぐる類ひで、これは論を構ふる際に殊に効力がある。

體充曰、本末兼ね備はることならざるものは、いかゞ仕り候はむや。師の曰、末を捨てゝ本を學びたるがよく候ふ。文藝を知らずして文道をよく行ひ、武藝を知らずして武功を立てたる人古來多し。是れ皆本を第一につとめたる故にて候ふ。よく〳〵心得べきことなり。(中江藤樹『翁問答』)
玻璃壜に水を盛りて火上に置けば、水の沸騰して昇り且つ降るを見る、是れ循環的連動の甚だ簡單なる者なり。循環的なるの一層大規模なるは廣く地上に行はれ居るが、理は一にして事は更に複雜なり。即ち、太陽の熱の河澤海洋に加はるや、水は蒸發して上騰し、冷氣に會ひて雲となり、雨となり、雪となり、霰となり、下りて泉を潤ほし、水流をして涸渴すること無からしむ。人は此等に就いて怪しむ所なきも、凡そ一定の物質に一定の力の加へらるれば槪ね此れに類せざる無く、かく循環的運動の明らかに見えずとも、循環的變化は到る處に之れあり。(三宅雪嶺氏『宇宙』)
何事によらず急劇なる變化には必ず弊も害も隨伴して來る。例へば、寒氣に閉ぢられて凍死に垂んとして居る者に急劇に高度の溫熱を與へるやうな事をすれば、却つて忽ち死を促すやうなことにもなる。又飢渴に及びて餓死旦夕に迫つて居るやうな者に急劇に多量の飮食物を與へるやうな事をすれば、是れ亦忽ち死を促す樣な結果となる。(加藤弘之氏『新文明の利獘』)
凡そ事實と名づくるものに二種の別がある。一は直接に目で見え、特に證明するにも及ばぬもので、他の一は直接には見えぬが、目前の事實を集め、之れより理を推して考へると、是非とも斯樣でなければならぬと思はれるもの、即ち間接に知り得べきものである。一例を擧げて見るに、ゴム球の圓いことは誰れも直接に目で見える事實であるが、之れに反して地球の圓いといふことは目前に現はれた種々の事實を考へた後に間接に知り得べき事實である。我々は地球の表面を離れることが出來ず、隨つてゴム球を見る如くに地球の圓いことを一目に見ることは出來ぬが、地球の圓いといふことは、今日の開化した人間から見れば最早少しも疑ふべからざる事實であつて、之れを疑ふのは唯だ知識の足らぬ未開の人間ばかりである。進化論で述べる所の生物進化の事實の如きは略〻此の類に屬するもので、生物界に關する知識の足らぬ間は素より之れに氣もかず、又了解も出來ぬが、今日生物學上の現象を一通り知つて居る人から見れば、地球の圓いといふ事と同じく、最早少しも疑ふことの出來ぬ性質のものである。(丘淺次郎氏『進化論講話』)

 擧例法は餘りに有りふれて珍らしからぬ爲めか、近世の修辭學書には西洋、日本、共に殆んど說かれて居らぬが、アリストートルは、修辭的演繹法と稱した二段論法と相並べ、修辭酌歸納法と稱して重要視して居る。譬喩法が修辭上に重きをなすならば、擧例法も同じ理由で重んぜらるべき筈で、之れを一個獨立の詞姿とすべきは當然である。(第六編、東西修辭學史、アリストートルの部、參照)

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