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第一 主として結體の原理に基ける詞姿

 第七章 結晶法

 二七 無生物を生化する活喩法に對して生物を無生物化する詞姿がある、之れを結晶法といふ。擬物法、石化法などいうてもよい。生き〳〵した物を固めて死物扱ひにするといふ意味である。例へば、人間をごみ扱ひにして「淸盛は平家の塵芥、武家の糟糠」といひ、書籍扱ひにして「古文眞寳なる顏付せずとも」「延喜式の樣な男」と云ひ、或は「人間は慾に手足のついた者ぞかし。」といひ、「へだてゆく人の心の奧にこそまた白河の關はありけれ。」といひ、「落さぬ金を拾ふとて魂落して走りゆく。」といひ、「苦勞が上辷りして心に浸みないやうに何時までも稚氣の失せぬお坊さんだちの人もある。」といひ、「活き字引」といひ、「自然主義の蓄音機」といひ、軍人は胸の光る螢」「敎師は人を敎ふる器械」といひ、糞袋といひ、走屍行肉といふ、皆、生を無生化し、活如たるを石化したものである。

順禮の棒ばかり行く夏野かな。(松江重賴)
面白の我等が有樣やな、僧俗二つの道を離れ、姿言葉も人に似ぬ、其の振舞を隱家と、思ひ捨つれば安き身を、知らでなどかは迷ふらむ(謠曲「放下僧」)
坂田の公時公時々々正身の、公時なりとぞ申しける。人々悅びサアくろがねの楯が來た、御門を明けて通しませ……(近松『弘徽殿鵜羽產家』)
是れ其の塵垢粃糠も猶ほ將さに堯舜を陶鑄せむとする者也(『莊子』)
ジヤン〳〵と放課の鐘が鳴る。今まで靜かだつた校舍内が俄かに騷がしくなつて、彼方此方あちこちの敎室の戸が前後して慌だしくバツバツとく。と、その狹い口から物の眞黑なかたまりがドツと廊下へ吐き出され、崩れてばら〳〵の子供になり、我れ勝ちに玄關脇の昇降口を目蒐けて駈け出しながら、口々に何だかわめく。只もう校舍をゆすつてワーツといふ聲の中に、無數の圓い顏が默って大きな口をいて躍つてゐるやうで、何を喚いてゐるのか分からない。で、それが一旦昇降口へ吸ひ込まれて、此處で又紛々ごた〳〵と入り亂れ重なり合つて、腋の下から才槌頭が偶然ひよツと出たり、外齒そツぱへ肱が打着ぶつかつたり、靴のかゝどが生憎と霜燒の足を踏んだりして、上を下へとね返した揚句に、ワツと門外へ押し出して、東西へ散り〴〵になる。(二葉亭『平凡』)

結晶法の詞姿原理に對する關係は活喩法と同樣である。從つて活喩法と同じく一方からは跨張法とも隱喩法とも見られるが、動者を靜化し、活者を石化する點に於いて活喩法と相並んで一の詞姿となる價値がある。

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