第一 主として結體の原理に基ける詞姿

 第七章 結晶法


 二七 無生物を生化する活喩法に對して生物を無生物化する詞姿がある、之れを結晶法といふ。擬物法、石化法などいうてもよい。生き〳〵した物を固めて死物扱ひにするといふ意味である。例へば、人間をごみ扱ひにして「淸盛は平家の塵芥、武家の糟糠」といひ、書籍扱ひにして「古文眞寳なる顏付せずとも」「延喜式の樣な男」と云ひ、或は「人間は慾に手足のついた者ぞかし。」といひ、「へだてゆく人の心の奧にこそまた白河の關はありけれ。」といひ、「落さぬ金を拾ふとて魂落して走りゆく。」といひ、「苦勞が上辷りして心に浸みないやうに何時までも稚氣の失せぬお坊さんだちの人もある。」といひ、「活き字引」といひ、「自然主義の蓄音機」といひ、軍人は胸の光る螢」「敎師は人を敎ふる器械」といひ、糞袋といひ、走屍行肉といふ、皆、生を無生化し、活如たるを石化したものである。 結晶法の詞姿原理に對する關係は活喩法と同樣である。從つて活喩法と同じく一方からは跨張法とも隱喩法とも見られるが、動者を靜化し、活者を石化する點に於いて活喩法と相並んで一の詞姿となる價値がある。