第一 主として結體の原理に基ける詞姿

 第四章 隱喩法


  一八 隱喩法は表面上譬喩の形式を沒して譬ふるものと譬へらるゝものとを打つて一丸とする詞姿である。故に煎じ詰めた直喩ともいふ。例へば「三界は火宅なり。」「百姓を魚肉にす。」といふ類ひで、通例ならば「火宅に似たり。」「魚肉同樣に取り扱ふ。」といふべき所を、「似たり」「如し」の關係を取り去つて彼れ即ち是れと引き締めたのである。即ち、形式の上より見れば、直喩の「如し」を「なり」にし、直喩に於ける相似の關係を相即の關係にしたるもの、即ち隱喩と云うて可い。「額には志賀の浦波を疊み、頭には都の富士の雪を戴く。」といひ、「是の臭骸を法華經に捧ぐるは糞土を以て黃金に換ふる也。」といひ、「借金は儉約の鋒を鈍らす。」といひ、「法喜禪悅を食として更に餘食の想ひ無し。」といふ類ひ、凡て隱喩である。 
  一九 隱喩は直喩と同じく、主として結體、增義、存餘の三原理の上に立ち、同時に朧化、融會、奇警、順感等の諸原理にも屬して居るが、唯だ少しく異なるは變性の原理にも多少の關係あること、及び比喩の形式が埋沒して喩義本義の關係の斷絕し居る點に於いて想像の働く餘地が一層多くなつて居ることである。變性の原理に關係あるは喩義本義を相即せしむることが理論上非理なる點にある。此の詞態を用ゐるについて注意すべき事は直喩のに異ならぬ。 
  二〇 直喩隱喩は必ずしも分かち用ゐる必要なきのみならず、之れを併用して却つて文に趣致の加はる場合がある。或は直喩に次ぐに隱喩を以てし、或は隱喩に次ぐに直喩を以てし、或は二者交替女波男波の相連るが如くして文脈をあやなしたものも、大家の文章に往々ある。例へば 
  直喩隠喩の綯ひ交ぜは面白い法であるが、濫用すれば文脈を紊し文意を曖昧ならしむる恐れがある、注意せねばならぬ。之れに似て戒むべきは比喩の重用である。例へば、 
 の如きは隱喩の重用と稱すべきもの、瑞穂國は日本とあるべきである。「鎌形の弓張」などいふのも同樣の失敗で、「鎌形の月」「弓張月」などすべきである。 
 これは隱喩を再び直喩で譬ヘたもの、近松の老筆だけにさまで耳に障らぬやうなものの、戒めねばならぬ。隱喩を用ゐるに當たつても、初學の特に注意すべきは比較の穩當と文路の自然とで、左の例の如きは之れを缺いて失敗したものである。