第二部 詞姿各論

第一 主として結體の原理に基ける詞姿

 第三章 直喩法


 一五 詞の文なし方數多ある中、古來最も多く用ゐられ最も効力あるものは譬喩法である。譬喩法の中、形式の最も素直にして最も理解し易きは直喩法である。直喩法とは顯はに二つの事物を比較するもの、即ち喩ふるものと喩へらるゝものとを別けて揭ぐる詞姿を云ふ。「たとへば」「恰も」「さながら」「如し」「似たり」「異ならず」等の說明詞の添ふのが普通の形式であるけれども、稀には添はぬこともある。謹愼德に進む樣を形容して「戰々競々深淵に臨むが如く薄氷を履むが如し。」といふ類ひは前者の例、「月に村雲、花に風、盛運久しからず。」といふ類ひは後者の例である。 以上は「如し」「似たり」等の說明詞のついたもの、左に擧ぐるは説明詞のないもの。
  • イエス其の弟子に曰ひけるは、誠に爾曹に吿げむ、富める者は天國に入ること難し。また爾曹に吿げむ、富める者の神の國に入るよりは駱駝の針の孔を穿とほるは却つて易し(『馬太傳』)
  • 太郎うちにか、四五日お目にぶらさがらぬ。えゝ珍らしい何方どち風が吹いたぞい。いや〳〵どつち風でもない今夜はしよざいの無常風沙汰はないこと葬禮の戾り、一寸寄りたし心は急く、どうせうかかう燒香場を、候可候にやつてすて引導も何云うたやら、不便や今日の亡者もろくな所へ行くまい、是れもお花へ心中と、雪の頰先遠慮なく、髭口よせて頰ずりは、山葵おろしに煑拔きの玉子、いたそな顏の痛々し。(近松『長町女腹切』)
  • 我が一門の爲めに記す。他人は信ぜざれば逆緣なるべし。一たいを嘗めてしほを知り、一華を見て春を推せよ。萬里を渡りて宋に入らずとも、三箇年を經て靈山に到らずとも、龍樹の如く龍宮に入らずとも、無著菩薩の如く彌勒菩薩に逢はずとも、二處三會に値はずとも、一代の勝劣は是れ知れるなるべし。蛇は七日が內の洪水を知る、龍の眷屬なる故。烏は年中の吉凶を知れり、過去に陰陽師なりし故。烏は飛ぶ德人にすぐれたり、日蓮は諸經の勝劣を知ること、華嚴の澄觀、三論の嘉祥、法相の慈恩、眞言の弘法にすぐれたり、天台傳敎のあとを忍ぶ故なり。彼の人々は天台傳敎に歸せさせ給はずば、謗法のとがのがれさせ給ふべしや。當世日本國に第一に富める者日蓮なるべし。命は法華經に奉り、名をば後代に留むべし。大海のぬしとなれば、諸河神皆從ふ、須彌山の王に、諸〻の山神從はざるべしや。法華經の六難九易を辯ふれば、一切經讀まざるに從ふべし。(日蓮『開目抄』)
  • あはれ是非もなき御答ざふらふよ。かぐや姬とやらむは、にも凡人にては在さゞんめり。さらぬだになさけの道は、いきほひをもて强ひたまふべきにあらざるをや。東風暖を生じて、草木自から光りを浮かぶ。呵噓して花を促さば、瓶裡の牡丹發くとも、可惜ら傷まむ花の色。いろ絲卷を繰り返したゞ小手卷の穩かに、とき諭したまへや。(坪內逍遙氏『かぐや姬』)

 一六 直喩法は朧化、融會、奇警、順感等の諸原理にも屬して居るが、主として結體、增義、存餘の三原理に基礎をおいて居る。禪悟を譬へて「忽然として氷盤を擲摧するが如く、玉樓を推倒するに似たり。」と云ひ、差別平等の二觀を解いて「平等觀は扇をたゝみ手を握りて之れを一體と見るが如く、差別觀は之れを開きて其の指、骨の一つ〴〵を分かち見るが如し。」といふ如きは、抽象を具象にし空理を體現せしめたもので、結體の例である。垂死の果敢なさに風前の燈火のはかなさを添へ、思ふ事言はぬ心地に腹ふくるゝ心地を加ふるは增義の例である。君子の過失と日食月食と、洪水吉凶を知る龍、烏と經文の優劣を知る日蓮と、かけ離れた事物の間に類似を見出だして案を拍つは、想像力が活働して其の間に關係をつけるためである。此の三方面は比喩法に最も肝要なものである。
 譬喩は人を敎化折伏するに至大の効力があると同じく、人を惑はすにも驚くべき効力がある。譬喩は恰も砂糖の如く、起死回生の金丹に之れを塗り味はひをよくして病者を癒やし得るやうに、毒藥にも之れを塗つて人を欺き殺すことが出來る。故に古來の聖賢は之れを用ゐて人を救ひ、野心家は之れを用ゐて民を惑はした。譬喩の人を惑はすは合理なる喩義たとへを種にして本義をも合理らしく見せる所にある。故に之れを聞く人は、喩義と本義と、唯だ外形の似たるのみにて、喩義の合理必ずしも本義の合理を證するものに非ざることを心得ねばならぬ。烏が年中の吉凶を知ること、必ずしも日蓮が諸經の勝劣を知ることの證明にはならぬ、小羊の救はるゝこと、決して人間が天國に入ることの證據にはならぬ。

 一七 直喩を用ゐるについて注意すべきことは
  • 一、斬新にして人の意表に出づべきこと。
    二、譬喩の穩當なるべきこと。
    三、容易に類似を見出だし得べきものなること。

 第一、斬新なれとは、消極的にいへば陳腐なるを忌むといふことに歸する。陳腐なる比喩は比喩の効力を失ふ。瀑布、抱負、骨折る、泡ふ、魂消たまげる、一所懸命、臍を噬む、埒あかぬ、つまらない、等は皆已に使ひへらされて比喩の力の失せた語と云つてよい。光陰の速かなることに「矢の如し」といひ、人生の果敢なさを朝露に見立てた名譬喩も、今ではもう耳を傾けるものが無くなつた。かやうな類ひを稱して凋んだ譬喩といふ。しぼんた譬喩を使つては生命ある文章が出來あがらぬ。左に揭ぐるは斬新の點より見て注意に値するものである。
  • 顏色容貌を快くして一見、直ちに人に厭はるゝこと無きを要す。肩を聳かして諂ひ笑ひ、巧言令色、太皷持の媚を献ずるが如くするは固より厭ふ可しと雖も、苦蟲を嚙み潰して熊の膽を啜りたるが如く、默して譽められて笑つて損をしたるが如く、終歳胸痛を患ふるが如く、生涯父母の喪に居るが如くなるも、亦甚だ厭ふべし。顏色容貌の活潑愉快なるは人の德義の一箇條にして、人間交際に於いて最も大切なるものなり。人の顏色は猶ほ家の門戸の如し。廣く人に交はつて客來を自由にせむには、先づ門戸を開いて入口を洒掃し、兎に角に寄り附きを好くするこそ緊要なれ。然るに今、人に交はらむとして顏色を和するに意を用ゐざるのみならず、却つて僞君子を學んで殊更に澁き風を示すは、戸の入口に骸骨をぶらさげて、門の前に棺桶を安置するが如し。誰れか之れに近づく者あらむや。(福澤諭吉『學問のすゝめ』)
  • 愈〻學校へ出た。初めて敎場へ這入つて高い所へ乘つた時は、何だか變だつた。講釋をしながら、おれでも先生が勤まるのかと思つた。生徒は八釜しい。時々圖拔けた大きな聲で先生と云ふ。先生にはこたへた。今迄物理學校で毎日先生々々と呼びつけて居たが、先生と呼ぶのと、呼ばれるのとは雲泥の差だ。何だが足の裏がむづ〳〵する。おれは卑怯な人間ではない、臆病な男でもないが、惜しい事に膽力が缺けて居る。先生と大きな聲をされると、腹の減つた時に丸の內で午砲(どん)を聞いた樣な氣がする(夏目漱石氏『坊ツちやん』)
  • けれども一番感に堪へたのはバシストフとナターリヤで。バシストフは殆んど息氣いきをせず、始終口をいて眼をみひらいて、生來うまれてから人の物を言ふのを始めて聽いたやうなかほをして坐つてゐる。ナターリヤはナターリヤで、かほをぽつと赧らめて凝然ぢツとルーヂンの面を諦視みつめた儘、()の中を曇らしたり光らしたりしてゐる。(長谷川二葉亭『浮草』)

 第二、隱當なれとは、餘りに大なる物に比すべからず、餘りに小なる物に比すべからず、また餘りに下卑た穢らしい物に比すべからずといふほどの意。小に過ぐれば見すぼらしくなつて引き立たず、大に過ぐれば滑稽に陷つて折角高まれる趣味を打ち壞す。演說會の拍手を水を注いだテンプラ鍋に譬へ、大軍の押し寄せたるを細螺したゝみの殻の渦まいたのに譬ふる如きは過小の弊あるもの。
  • 景色の無雙なるは薩摩の櫻島山なり。蒼海の眞中に唯だ一つ離れて屹立し、いとゞ峻嶮なるに、日光映ずれば山の色紫に見え、かつ烟は白雪を蒸すが如く、常に絕頂より立ち登る。たとへば靑疊の上に香爐を置きたるが如し(橘南谿『西游記』)
の如きは文句が美はしいながらに此の弊を免れぬ。「大地をたゝき足ずりし踏みくだく霜柱、百千本の劍の山微塵に折るゝばかりなり。」の如きは、過大の弊あるものである。穢らしい事に比するとは、例へば私心私慾に本心のくらんだ人は
  • こえくむ柄杓の柄の拔けたやうなもので、さはればよごれる、其のまゝ置けばわるくさし、何とも仕方のない廢れ物になりまする。(『鳩翁道話』)
といふ類ひである。第三、類似を見出だすに苦心する樣ではならぬ。此の點から見て避くべきは、專門語を用ゐること、及び餘りにかけ離れた譬喩を引くことである。腐敗した官吏を蛔蟲に譬へて「彼等にサントニーネを與へよ。」といふ如きは前者の例である。術語を說明するに更に難解の術語を以てする例は佛敎家の文に殊に多い。かけ離れた譬喩とは、例へば
  • 父母は天地の如く師君は日月の如し。親族は譬へば葦の如く、夫妻は猶ほ瓦の如し。父母には朝夕に孝せよ、師君には晝夜に仕へよ。(『童子敎』)
  • 詩人が其の作物に技巧を施すのは、譬へば土木家が河流に工事をやるやうなものだ。して、堤防は作者の技巧である、堤防と堤防との間の空間が作物其の物である。其の空間に水が流れる、水は讀者の情だ。
の類ひをいふ。禪家の公案などは文章眼より見れば此の弊の最も甚だしきもので、緣遠きひねくれた譬喩の解釋の稽古と云うてもよい。「念は老鼠の如し、覺は猫刄に似たり。」「泥牛水を走り、木馬天に嘶ふ。」皆此の類である。「綸書汗の如し。」といふ古言なども過小の弊あると共に不適當の嫌ひがある。天子の大御言を穢き汗に比するの妙ならぬは云ふまでもなく、汗は必ずしも出でて返らぬものではなく、又汗が引つこんで風引くといふ事實もあれば、流れるといふこともある。さればこそ『太平記』に後醍醐天皇が行賞の御沙汰のお流れになるのを諷じて、
  • かくばかりたらさせ給ふ綸書の、汗の如くになど流るらむ。
ともいうた。但し、說明づきの警句とも云ふべき謎々などは此の限りでない、
 右に擧げた外、譬喩を用ゐるに當たつて深く注意すべきは、語句全體の調子の美はしく整ふことである。文句が整はざれば折角の妙譬喩も價値なきものとなつてしまふ。
  • 無限の望を囑して待ちに待ちし二十世紀は銀髪雪を欺く如き舊世紀に代はつて此の宇宙に高く呱々の聲を揚げぬ。
の如きは、譬喩が妙ならぬではないが、語の選擇、文句、調子の宜しきを得ぬ爲めに失敗したものである。