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第一部 詞姿汎論

第二章 詞姿の原理

  八種の原理を說明する前に、先づ語の選擇について說かねばならぬ。前にいうた通り、文章の最も單純なる要素は個々の語である、故に詞のあやなし方を知るには先づあやなさるゝ個々の語の選び方を知らねばならぬ。大體についていへば、「何故に、何人が、何人にむかひ、何時、何處にて、如何なる事を、如何樣に言ふか。」即ち謂はゆる六何を仔細に考量して其の場〳〵に最も穩當適切なる語を用ゐべきである。又世態人事を寫す文章の場合には、寫さるゝ時代、社會、人物の異なるに從つて、それ〴〵に最も適當なる語を選ぶべきである。例へば、同じく牛を追ふ詞でも、昔ならば「サセイホウセイ〳〵」今ならば「止々動々シイ〳〵ドウ〳〵」、機織る音は、昔ならば「キリ、ハタリ、チヨウ」今ならば「トン、トン、カラリン」とあるべく、同じく人を罵るにも、下流社會ならば馬鹿野郎、上流ならば愚者おろかもの、同じく雷の事でも俗人ならば雷樣、歌人ならば鳴る神とあるべく、同じく他宗派の事でも儒者ならば異端、佛者ならば外道、耶蘇ならば異敎徒とあるべく、同じく制止の詞でも人物の高下によつて、愼み給へ、たしなまれよ、控へ居れなどいろ〳〵に變へねばならぬ。然れども、特に文學的思想を表はす場合、即ち思想を美はしく言表する場合に於いて、最も留意すべきは、意義の明確を害はぬ限り平語を避けて華語を用ゐべきことである。
 平語とは言ふべき事を平たく斷るたけの只言たゞごと、即ち其の思想の輪廓を示すだけで別に趣味風致の添はぬものをいふ。華語とは思想を指し示すと共に、其の由來音調等に特別の趣致の伴ふ華やかな語を云ふ。例へば「書物を讀む室」「人を敎ふる所」といへば讀書の用に供する特別の室、人を敎育する特別の場所を指示するだけで、他には殆んど何等の趣をも傳へぬが、「文讀む窓」「敎への庭」といへば特別の室、場所を指示する外、其の語の由來或はみやびた音調にえならぬ趣が添うて來る。二月、七月といふよりは如月、文月といふ方風情あり、といふよりはこの花、好文木といふ方韻致あり、「餘寒今以て烈しく」といふよりは「梅寒尙ほ峭」といふ方雅致あり、「逢ひたい」「見たい」といふよりは「床し」「なつかし」といふ方趣あり、「夫婦になる」といふよりは「偕老を契る」といふ方味はひあり、「梅雨が毎日降つて徒然とぜんだ。」といふよりは「五月雨つれづれと降り暮らして」といふ方優しみがある。要するに、華語とは趣味あり餘情ある語のこと、而して種々の詞態を用ゐて文をあやなすには、先づ華語を用ゐて個々の分子に趣味あらしめねばならぬ

  詞姿の八種の原理、之れを表裏に分けて表の方即ち正道の方四種、裏の方即ち權道の方四種とすることが出來る。

詞姿原理八種
一、結體の原理…
三、增義の原理…
五、融會の原理…
七、順感の原理…
…二、朧化の原理
…四、存餘の原理
…六、奇警の原理
…八、變性の原理

 第一、結體の原理 は又(かた)めの原理ともいふ、抽象的の事を具體にし、空漠朦朧捕捉し難き事物に形を與へて固めて見せるといふ意である。凡そ抽象的の空漠たる事ほど理解し難いものは無く、而して理解せざる所には趣味も起こらぬ。究理思想の發達した人でも例證に依らずに抽象的の道理を會得することは容易でない、まして滔々たる世俗をや。さらば如何にして、難解の事理を容易に會得させ、趣味なきに風情を添へ、朧ろなるをあり〳〵と感ぜしむべきか。曰はく、其の一方法は無形の事を有形の物によそへ、薄きを濃くし、弱きを强くして、人の心の上に活き活きと形體かたちを結ばしむるにある。言ひ換ふれば、精神上の事を感覺上の事にたぐへ、同じ感覺上の事も、視覺聽覺等の高等なる感覺に關する事をば味、嗅、觸、等低級なる感覺上の事に寄せて、成るべく感覺的に、成るべく物質的に、成るべく有り〳〵として攫まへ易くするにある。宗敎上の偶像などは此の原理によつて作られたものと云つて可い。柔和忍辱の說法に耳傾けぬ愚夫愚婦も、之れを結體せしめた地藏尊には隨喜の手を合はせ、克己自彊の道德論に馬耳風ばにふうなる田夫野人も水火の裡に泰然たる不動明王の前には思はず渴仰の頭を下げる。豈啻田夫野人愚夫愚婦のみといはうや。雪折竹に本來の面目を悟り、蟋蟀の聲に大悟の眼を開き、錫に輝く日光に哲理を感得したる古の宗敎家、哲學者は、皆是れ形體ある物によそへて無形の眞理を見たのではないか。古聖賢の道を說くや、其の苦心の一は如何にして其の說を結體せしむべきかにあつた。無形の事理も之れに形體を與ふれば、見る者目を睜り、聞く者耳を傾くる。是れ此の原理が文章說話の上に重きをなす所以である。例へば眞如といふ如き難解の語も、之れを月にたぐへて眞如の月と云へば、月の圓かなる形、淸らかなる光に思ひよせて、どうやら意味がわかつて來る。人生無常の佛說も、之れを草葉の上の露、流れに浮かぶ泡沫うたかた、祗園精舎の鐘の聲、沙羅双樹の花の色にたぐへば、容易にあり〳〵と心眼に映ずる。「志を遂げむとして勉强する。」といへば其の事それだけであるが、「希望の光りに導かる」といへば、光を思ひうかぶる爲めに、志を追ひゆく有樣があり〳〵と體を結ぶ。「約束を違へる。」といへば不信を斷るだけであるが、食言といへば味覺に考へ及ぼして違約のづう〳〵しさが深く感ぜらるゝ。「不平の感に打たる」といへば心の上の働きも形あるやうに思はれ、「鼻息を窺ふ」「髭の塵を拂ふ」といへば阿諛追從の樣が具體して現はるゝ。光に照らさるることを「光をびる」といひ、人を凝視みつめる狀を「眼が吸ひ着いた」と形容して人を感ぜしむるは、視覺(目)に關する事を觸覺上の事によそへるからである。「畵の匂ひ」「言葉の味はひ」などいふ句の面白きは、視覺聽覺の事を嗅覺味覺によそへるからである。最も抽象的なる哲學上の語でも多くは感覺によそへてある。觀念は視覺に、趣味、嗜好は味覺に、其の他進步、淘汰、形式、範疇「考へて見る」「整へて行く」といふが如き、いづれも感覺に關係して居らぬはない。人を傳するにも、「高節大度甚だ高くして人に過ぐ、愼言勵行一失儀を絕す。廷に曠士無く、悉く政命に服し、州に祈飢民無く、皆恩恵に懷く。」(林信篤)といふが如き漢文流の抽象的な書き方が、一向人物の面影を浮かべさせずして、特色ある逸話がよく其の面目を活躍させ、「家も持たぬ」「生計くらしの話ばかりする」「罪の無い人だ」「所帶みて來た」といふ如き輪廓ばかりの叙述よりも、「道端の地藏堂の床下に夜を明かす。」「芋や菜ッ葉の話ばかりされたんぢや、閉口するだらうね。」「大きなくさめを自慢にする程の罪の無い人であつた。」

大抵は皆私のやうに苦勞にげて、年よりは老い込んで意久地なく所帶染みてしまひ、役所の歸りにしやけを二切竹の皮に包んでさげて來る氣になる(『平凡』)

といふ如き、特殊的、具體的の書き方がよく人を感ぜしむる。畢竟前者の結體し難く、後者の結體し易きが爲めに外ならぬ。
 吾等は事物の確實疑ひ無なきことを形容して「見たやうだ」「さはつたやうだ」と云ふ。結體の原理に基く詞姿は無形抽象の事理を凝固させて見たやうに、觸つたやうに感ぜしむるもの、而して比喩法、活喩法、結晶法、現寫法、等は其の主なるものである。

  第二、朧化の原理 は又ぼかしの原理ともいふ。銳く人の感を惹き或は感情を害する傾きある事物を和らげぼかして朧ろにする意味である。下品なるを品よく化するも此の原理の働きである。此の原理は結體の原理の正反對に位するもので、其の要求する所も亦正さしく結體の原理の反對である。結體の原理が抽象的の事を具體的にするに反して朧化の原理は具體的の物を抽象的にし、前者が空漠たるものに形を與へて凝固させるに對して後者は凝固したる有形物を空漠にする。蓋し、結體の原理は空々如として當ての附かぬ事を具體的に現はすもの、朧化の原理は結體し過ぎる事物をぼかし、薄くし、煑のべ、水を()ッて、口當たりよく、心(ざわ)りよくするものである。而して其の方法は、有形を無形によそへ、濃きを薄くし、强きを弱くし、感覺上の事をば精神上の事にたぐへ、同じ感覺上の事物も、低級の感覺に屬する事をば高級の感覺に寄せて寫すにある。例へば、糞尿は人の最も厭ふ所、其の語だも聞くを欲せぬ所、從って其の語の一部を聞いても直ちに察して眉を顰むる所である。故に禮儀の心得ある者は、物其の物を指さずして山吹色といひ、手水といひ、不調法といひ、たしなむといひ、大小用といひ、大恭小恭といふ、而して此の空漠たる語、廣く他の種々の義に用ゐらるべき汎語が言はむとする當の物を指示して誤る憂へがない。かはやといひ、雪隱といひ、便所といひ、かよひ所といひ、W.C.といふ、皆同じことである。「金を貸せ」とは言ひにくい事、人の氣を損ずる事である、故に「アノ何を都合して戴きたい」「エム少々」などいふ漠然たる語、或は外國語の頭文字だけでも人の心に通じ過ぎる。病人は己が病氣を言ふを欲ぜず又人に言はるゝを欲せぬ、人の厭ふ病に於いて殊に然り。故に肺を病む者があれば、當人も見舞ふ者も、肺と指しては言はずして、「呼吸器が惡るい」「胸がよくない」といひ、腦を病む者があれば、「つむりが痛い」「かみの方が苦しい」といひ、御病氣とは云はずして御不快といひ、「なほらぬ」といはずして「起たぬ」といふ。死ぬると云はずして長逝といひ、永眠といひ、まかるといひ、崩るといひ、御事といひ、はかなくなるといふ、皆同じ道理である。低き感覺を高き感覺によそへ、品下れるを高くするとは、例へば、本來鼻にて嚊ぐ香を聞くといひ、本來口にてすべき味を聞くといふは、嚊ぐ容子、口を動かすさまの卑しきより、之れを高級の聽覺によせたのである、「めて見る」「さはつて見る」といふは味覺、觸覺を視覺によせたのである。酒の燗を試みることを、「燗をうかゞふ」といふは感覺に屬することを精神上の作用によせたのである。凡て結體し過ぎて人の感情を害する傾きあるものは、之れを稀薄にすれば人の氣に障らぬのみならず、其のぼかした所に一種の趣味を生ずる。同じやうな材料を扱ひながら、『源氏物語』が堂々たる學堂に講ぜられ、西鶴が發賣禁止の厄にあふのも、一つは朧化の有無から來たことであらう。朧化の原理は此の心理作用の上に立つて居るもので、之れに屬する詞姿は稀薄法、緣裝法、曲言法等である。

  第三、增義の原理 は又ふやしの原理とも云ふ。言表する主體に關係ある事物を附加して其の意義を豐富にする謂ひである。意義だけを傳ふるには加へずとも別に差支なき、されども加ふるのが相應はしく、又加ふれば一段と品高く、面白く、會得し易くなる事を添ふるが、此の原理の要求する所である。例へば、「三尺の刀」といへば意義瞭然疑はしい所がないといふだけで、別に面白味もないが、「三尺の秋の霜」といへば蕭條たる秋天の風物、朝日に照りそふ板橋の霜の趣などを思ひうかべて、三尺の刀といふ觀念のまはりに美はしい後光が()して來る。「北條高時が鬪犬田樂に我れを忘れし時は已に將さに亡びむとせる時なりき。」といへば、言ぶべき事を言うただけであるが、「やがて爆裂すべき噴火口の上に跳れるなり。」といへば、新田楠等勤王家の吶喊の聲天下を震動した狀を火山爆裂のすさまじき狀に思ひ合はせて意義も趣味も一層豐かになつて來る。唯だ「衣食の事は心配せずに己が本分を盡くせ。」といふよりは「學ぶや祿其の中に在り。」「何を食ひ何を着むと思ひ煩ふこと勿れ。」といふ孔子、基督の言を引く方、意義豐かに、「此の永き夜を一人明かすことか。」と嘆ずるよりは「足引の山鳥の尾のしだり尾の長々し夜を」と枕詞をおいた方、内容が富んで來る。

凡そ作家といふものは十中七八までは、畫家、彫刻家、其の他の美術家連とほぼ同じ肌合の者にて飄逸にして見識高く、俗に言へば我儘で、無作法で、ズボラで、氣に障れば違約もすべく、よし請合ふことは請合うてもインスピレーシヨンか、せめても金スピレーシヨンか或は貧スピレーシヨンか、何か其の邊の刺戟なければ往々にして仕事には掛からず。(坪内逍遙氏『作と評論』)

の面白味も一つは懸詞式增義の點にあらう。要するに、相應はしい景物を添へて本尊を飾るといふが此の原理の敎ふる所で、種々の比喩法を初めとして引田法、隱引法、緣裝法、秀句法等之れに屬する。

  第四、存餘の原理 は又あましの原理、取置とつときの原理とも云ふ。言ふべきだけの事を言ひ盡くさずに一部を省いて讀者の想像に補はすといふ意味、即ち想像の餘地を存しおくといふことである。嫁姑の世話に、行き屆き過ぎて姑が小言を挿む隙間のない嫁は、却つて姑の氣に入らぬ、故に利巧な嫁は、わざと善い程に過失あらを見せて姑の指圖を仰ぐというてあるが、文章も其の通り。言ひ盡くして餘蘊なき文は讀者に迎へられずして、骨折らずに補ひ得る程の事は、わざと言ひ殘して讀者の想像に任せる方が却つて歡ばれる。「不言の言」といひ、「言はぬはいふにいやまさる」といふは此處の消息を傳へた言葉である。例へば、「私や悲しいというて泣いて袖を濕した。」といふは過ぎて及ばざる文である。悲しからぬに泣く筈なく、袖を濕したとあれば、泣いたことは解つて居る。「泣きに泣いた」「袖もしとゞ」など、簡短なる方が却つて多く言ふに優る妙味があらう。「一筆拜呈貴君愈〻御淸穆」といふ如きも、貴君へやることの解り切つた手紙に、貴君と斷るには及ばぬ。「貴君の令弟」は令弟だけで十分、「小生の愚弟」は愚弟だけで澤山である。「世の中に戀しきものは父母のほかにあらじと思ひしものを。」「さきはひのいかなる人か黑髪の白くなるまで妹が聲をきく。」の歌に、男女の戀、妻を失つた悲しみを現はしたならば、何等の餘韻もなき凡作となるに違ひない。或は一斑を示して全豹を察せしむるもの、チヨン髷を結うた天保老人をチヨン髷の一語に寓して「チヨン髷がかう〳〵した。」といひ、高襟ハイカラをつけた生意氣男を高襟の一語で表はして「かの高襟の言ふ所を聞け。」といふ如き、亦此の原理によるものである。正面からいふべきを裏面うらからいひ、定めて云ふべきを疑ひにするなども、此の原理によるものというてよい。ブルータス等が國を奪ふ野心家としてシーザーを殺害した時、マーク、アントニーがシーザーを辯護して其の德を列擧し「かくてもシーザーが野心家と見ゆるか。」と問うたは、定めて言ふべきことをわざと疑問にして、結論を聽衆の想像に任せたのである。愚者を嘲りて「お利巧な方だ。」といふは裏面から云うたのである。小人物を譏りて「井の中の蛙天下の大を知らうや。」といふは似よつた餘處事よそごとを擧げて當の事實を察せしむる筆法である。漢字の書法に骨微くして肉ばかり多いのを黑瀦というて卑しんで居る。文章に於いても有りたけの材料を並べ、隙間なく言葉を敷きつめるのみが能ではない。謂はゆる疎々密々、密なるべきは密にし疎なるべきは疎にするが、一面の極意で、此の消息に土臺を置くのが存餘の原理である。擧隅法、反語法、斷叙法、設疑法、接離法等は此の原理に基ける詞姿である。

 一〇 第五、融會ゆうえの原理 とは讀者の心の裡に入り易く言ひ表はすと云ふ意味、即ち已知より未知に、近きより遠きに言ひ及ぼし、我が趣意が讀者の心にとろけ込んで易々と會得さるゝ樣にするの意である。例へば、「天下を平かにせむと欲する者は先づ身を修む。」といはゞ、聞く人、事の意外なるに驚いて目を圓くするであらう、けれども、「天下を平かにせむと欲する者は先づ國を治む、國を治めむと欲する者は先づ家を齊ふ、家を齊へむと欲する者は先づ身を修む、故に修身は平天下の本なり。」といへば、序次整然として已知より未知に移り進む段取りに隙間なき故に、讃む者一句一句に頷きながら易々と合點する。突然として「情は人の爲めならず。」といへば、人の爲めならぬ情があらうかと驚く人でも、先づ、汝に出づる物の汝に返つた例を列擧して後に此の斷案を下さば、何人も成程と會得するであらう。「國民は國家の爲に死すべし。」と唐突に言つては、不合理と見られぬまでも感服の出來ぬ敎と疑はるゝであらうが、立言を漸進して、「國民の安らかに生を送るは國の御蔭故、國の爲めには出來るだけ盡くさねばならぬ、一旦緩急あらば家產を抛つて國恩に報ぜねばならぬ、危急の場合には身命をも抛たねばならぬ、國と共に生くるは大いなる名譽である、國の爲めに死ぬる命惜しからうや。」といへば、第一句は第二句の爲めに道を爲し、第二句は第三句の爲めに道をなし、互に助け合ひ準備し合うて進む故に、讀者の心組織の間に融會して苦もなく呑み込まれる。かく密に組み合ひたる語、滑らかに目安く移り行く立言は、吾等の心性の聞くを好み讀むを喜ぶ所、從つて斯樣な文に接すれば、謂はゆる心ゆく思ひがする。融會の原理は此の心性に基きて存するもの、漸層法、序次法、連鎻法等之れに屬する。

 一一 第六、奇警の原理 とは言寄にして人を警する意、思ひもかけぬ立言によつて人を驚かし荒膽を拔くをいふ。此の原理は融會の原理の反對で、其の要求する所も互に相反して居る。融曾の原理は、讀者の心に入り易いやうな膳立を要求し、奇警の原理は讀者の見た事も聞いた事も無い珍妙不思議の物を並べて食へるものか食へぬ物かと吃驚びつくりせしむることを要求する。但し、一旦は驚かしながら篤と見れば食へぬ物ではなくして一種の珍味だ、不道理らしいが銳く眞理を穿つて居ると悟らしむるのが、此の原理の精神である。元來、此の融會奇警の二原理は心理學に謂ふ統覺作用に關係して居る。統覺作用とは人の心の中に已に成り立てる心念のかたまり、即ち觀念團と云ふものがあつて、それが新たに接する外物を或は取り入れ或ははね退けることを云ふ。例へば、農夫には農夫の觀念團あり、學者には學者、詩人には詩人、政治家には政治家の槪念團がある、從つて同一物に對しても見樣がそれ〴〵に違ふ。同じ秋の田を見ても、農夫は収穫の多少を心配し、植物學者は稻の莖葉花實の植物學上の性質を研究し、詩人は黃金萬頃の景色にこれは〳〵と眺め入る。同じ星を見ても恒星か衞星かと思案の首を捻るもあり、かくばかりの金剛石ダイアモンドを得てしがなと羨むもあり、戀人の凉しきまなざしを偲ぶもある。此の差異は皆統覺作用によつて起こるもので、彼等はそれ〴〵に自己の觀念團に近づきの部分を吸ひ取つて疎遠なる部分を捨てるのである。さて、讀者の觀念組織に入り易く文句を整へて易々と理解せしむるが融會の原理の敎ふる所、實は其の觀念組織の中に入り得べきものを、わざと入り得ぬものらしく言ひ做し、傾首一番、一汗かいて後に甘味を感ぜしむるが、奇警の原理の敎ふる所というてよい。二者相反して而も相合する所あり、それぞれに特得の趣味効力がある。親交に遭ひ、解し易き文を讀むは人の喜ぶ所、此の人性に投ずるが融會の原理である。舊交は珍らしからず、整ひ過ぎた文章は讀むに張合が無い、此の人情に投じて珍らしい張合のある物を供へるが奇警の原理である。前者は豆腐の御馳走を供し、後者は炒豆の御馳走を進める。二者共に可、唯だ用ゐる場合を愼まねばならぬ。例へば「商人利を得る祕訣は安く買うて高く賣るにあり。」といふは融會の原理に合うた文で、讀む者何の苦もなく理解する、但し理解する所は有り難いが、苦も無い代はり張合がない、面白味がない。之れに對して面白いは「大利を得むと欲せば高く買うて安く賣れ。」と言つた豪商の言である。安く買うて高く賣つてさへ思ふ樣には儲からぬものを、高く買うて安く賣る、儲かる氣遣ひのあるものかと、正面からは、かう非難のあるべきであらう。けれども是れは眞理に合うた部分を文字の裏に隱したのである。「物價の低落した時に人よりは値を高くして澤山買ひ込め、而して物價の騰貴した時に人よりは安くして一度に賣り拂へ、これ大利を得る祕訣。」といふが隱れた寳とすれば解釋に骨折れるだけに深き意義趣味があるというてよい。謎々なども此の原理によるものである。「四國の刀アゾ?麻絲あさいと。心は波、岐、豫、佐の片名」、二度吃驚(びつくり)する所に面白味がある。老莊を初めとして側面的立言を好む學者論客の文には此の原理によれる詞姿が多い。警句法、奇先法など、此の原理に屬する。

 一二 第七、順感の原理 とは人の感情に順應するの意、其の言ふ所が、口調よく見よく聞きよく考へよく感じよく、言ひ換ふれは、肌ざはりよく、口づきよく、目ざはりよく、耳ざはりよく、心ざはりよくして、人の感官感情を滑らか動かすやうにするをいふ。例へば同じ事でも「善くなき人」よりは「善からぬ人」といふ方口調よく、「議論するより證明」といふよりは「論より證據」の方聞きよく、「ごろ〳〵さつしやる雷樣」よりは、「鳴る神のおどろおどろ」とある方讀み心地がよい。「が町の岳院のの木にがつた、たゞもがらず子抱いてがつた。」という文の耳ざはりよく面白きはの字の頭韻が踏んである爲めである。「お前百までわしや九十九まで、共に白髪の生ゆるまで。」といふ歌の口調よきは句脚に韻を踏んだためである。優美なる事物は優しい語であらはし、剛强なる事物は强い語で表はせば、文の形式内容よく調和して、人の心を氣持よく動かす。和歌に例を取れば、「行き暮れて木の下かげを宿とせば花や今宵の主ならまし。」「ほの〴〵と明石の浦の朝霧にしまがくれゆく舟をしぞ思ふ。」の如きはこゝろことば共に優なるもの、「武士の矢なみつくろふ籠手の上に霰たばしる那須のしの原。」「底ついはねつきつらぬきて普陀洛や奈落におつる那智の大たき。」の如きは情詞共に强きものである。語句のめでたく續いた姿、對偶をなした姿も亦快く人の心を動かす。「淸貧は恒に樂しみ、濁富は恒に愁ふ。」といひ、「松根に依つて腰をづれば千年の翠手に滿つ、梅花を折つて頭に挿めば二月の雲衣に落つ。」といふ文の如きは、語句の對をなして快感を與ふるもの、謠曲中妙句の一たる

花咲かば、つげむといひし山里の、使は來たり馬に馬の山の雲珠櫻、たをり枝折をしるべにて、奧も迷はじ咲きつゞく、木陰に並み居ていざ〳〵花をながめむ。(「鞍馬天狗」)

の如きは鞍、鞍と上授下承して尻取文句を成し、接續の美によりて快感を動かすものである。音調の美、語句配合の調和、内容形式の調和、之れに接して快感を催すは人の性情の自然である。順感の原理は人性の此の方面に基して存するもの、頭韻怯、脚韻法、對偶法、避板法等、主として之れに屬する。

 一三 第八、變性の原理 とは本來人の感情に逆らふものでも、用ゐ樣により、用ゐらるゝ場合によつて、其の性を變じて順なるものとなるといふこと、手短に云へば醜なる要素も場合によつて美となると云ふ原理である。音樂に於いて程よく雜音を交ふることが却つて曲全體の調和を高むるが如く、文章に於いても、わざと口調わるく耳ざはりわるき語を用ゐ、或は聯絡無く筋の通らぬ文句を用ゐて全體の趣味を加ふることが往々ある、而してさる場合に於いては、其の口調惡しく耳觸惡しく聯絡なく筋の通らぬ所が、却つて相應はしく面白く讀まれる。例へば吃者どもりを寫す場合、饒舌の滑辯家を寫す場合には、口調惡しき文句を用ゐる方が却つて相應はしく、「此の客ァ異な客柹ふ客だ。」「菱、鹿尾菜ひじき、姬百合、日廻り、日向ぼこり。」などいふ文句を連呼するなども、舌の廻る趣を見せるにはなか〳〵に面白い。山中源左衞門の辭世「わんざくれふんぞるべいか今日ばかり、明日は鳥がかツかじるべい。」などは、迫促の話ながらに俠客を寫すには言ひ知らぬ味はひがあり、「我が戀は障子の引手嶺の松火うち袋に鶯の聲。」「井戸の蛙が天から落ちて泳ぐ樣知らねで燒け死んだ。」等の歌は、無意義の歌として意を成さぬ所に妙味がある。謂はゆる無心所着の歌の味はひも一面はこゝにあらう。激した場合、慌てた場合なども同じことで、例へば、「足下はかく〳〵の事實によつて慥かに露探め!」といふ文は、初めは冷靜に「慥かに露探たることが證據立てられた。」といはうとしたが、相手の態度の面憎さに、急に二人稱に改めたものと見れば、却つて其の文脈の整はぬ所に妙味がある。

はてさて餘り早まつて年寄のうろたへた。のうそれはさうと、今日はいかう日和がよい、孫共はまめなか、必ず寢冷えさしやるなと、何をいふやら、わけもなし。(巢林子『鎌田兵衞名所盃』)

の如きは、老人のうろたへた所を寫したものとしては、とんちんかんな所に面白味がある。法格を破つて而も名文と稱せらるゝものに此の類ひが多い。此の原理に基く詞態は異常の事物思想を寫す場合に權道として許さるべきもの、變態法、遮斷法、超格法等之れに屬する。

 一四 以上八種の詞態原理、之れを約して客觀的にいへば、寫す所の事物思想の異なるに從つてそれ〴〵相應なるあやなし方を用ゐるといふに歸し、主觀的にいへば、人の性情心理の働き工合を見て之れに投合一致せしむるといふに歸する。あらゆる人事、吾等の心理作用を離れて存するものはない。宗敎家が其の抽象的空想を具現して形ある佛、活きたる神を見るやうに、無形の事に形體を賦與して現實あり〳〵と見たいと思ふが吾等の心性の傾向、而して此の傾向に基礎を置くものが結體の原理である。但し感を惹くことの激しきものは、人其の結體具現するを欲せずして寧ろ其の稀薄化せられむことを欲する、此の心傾向に基礎を置くものが朧化の原理である。人間が若し必要事以外を口にせぬ者ならば、吾等の生涯は嘸殺風景なものであらう。吾等は言ふべき事の言はるゝのみならず事物の相應はしく美はしい裝飾に纒はれて言ひ表はさるゝことを欲する。此の欲望に應ずるものが增義の原理である。知れ切つた事をくどく言はるゝは人の聞くに堪へざる所、吾等は想像を以て容易に補塡し得ることは寧ろ言はずに省かるゝを喜ぶ、此の傾向に基礎を置くものが存餘の原理である。吾等は己が心組織の中に入り易き語を以て會得し易く書かれた文を見ることを欲する、此の欲望に應ずるものが融曾の原理である。吾等はわが心組織に入り易きは、文を喜ぶのみならず、同時に一見奇怪、熟考して後に眞義を知り得る底のごたへある文をも喜ぶ、此の性に應ずるものが奇警の原理である。吾等は目耳心にあたりよき語及び叙述を喜ぶ、此の性に應するものが順感の原理である。鷄鳴狗盜の徒も場合によつて用あるが如く、本來感情を害すべき事物も、特殊の事情の下には却つて文の情趣を助けて快感を與ふる、此の特殊の事情に基礎を置くものが變性の原理である。次ぎに說く所の數十の詞態が文章に趣致を添へ人に快感を與ふる所以は、悉く、此の八方面より見て解釋することが出來る。但し詞態の各〻が此の八原理中の一種のみに屬するといふのではない。詞態の中には一原理に屬するものもあり、或は數原理に兼ね屬するものもある。例へば、譬喩法の如きは、無形の事理に形を與ふる點より見れば結體の原理に屬し、當の事柄を隱して譬喩のみを揭ぐる場合についていへば、時に朧化の原理、時に存餘の原理に屬し、當の事柄以外に喩義を加ふる點より見れば增義の原理に屬し、手近き譬喩によつて難解の義理を會得し易からしむる點より見れば融會の原理に屬し、奇想天外の妙譬喩を引く場合につきて云へば奇警の原理に屬し、調子よき譬喩によつて心情を氣持よく動かす點について云へば順感の原理に屬し、特別の必要あつて醜穢なる譬喩を用ゐる場合には變性の原理に屬する。かく一詞態にして數原理に籍をおくものは他にも少なくない。以下章を改め詞態の各〻について說明する。

備考一 詞姿はfigureフイギユーアを譯したので、詞藻、詞態、詞品ともいふ。詞姿と相並んで轉義的修飾tropeトロープ)と稱せらるゝものがある。轉義とは語が本來有した意義と異なる意義に轉用される事で、例へば太閤を秀吉の意に、丹靑を繪畫の意に、犬を探偵、破鏡を離緣、關ケ原を決勝點の意に用ゐる類ひをいふ。詞姿と轉義とは昔から紛らはしいものとされて、或は二者を區別して說く者もあり、或は詞姿の中に轉義を含めて說く者もある。古代の修辭家は、多くは、二者を區別したもので、クィンチリアンの如きは隱喩、提喩、換喩、諷喩、擬聲等の諸法を轉義に屬せしめ、設疑、咏歎、反覆、漸層、對偶等の諸法を詞姿に屬せしめた。またプレーア其の他の修辭學者は詞姿を語姿(fidures of words)及び想姿(figures of thought)の二種に分かち、語の詞姿即ち轉義と說いて居る。けれども近世の修辭學者は多く此の分類を無用として、詞姿の名目の下に轉義を取り入れるやうになつて居る。要するに轉義は單語に於ける文飾、詞姿は思想上、組立上の文飾で、廣義に於いては詞姿の中に二者を攝することになるのである。本書も亦、別に轉義の名目な立てずに、凡てを詞姿の中に取り入れることにした。

備考二 詞姿の分類も人によつて違ふ。クィンチリアンは思想上の詞姿(figures of thought)言語上の詞姿(verbal figures)の二種に分けて、設疑法、咏歎法、活喩法、招呼法、直喩法等を前者に屬せしめ、漸層法、省略法、對偶法等を後者に屬せしめて居る。或は文字上の詞姿、語性上の詞姿、組織上の詞姿、修辭上の詞姿(figures of orthography, etymology, syntax, rhetoric)の四種に分けるものもある。或は類似、聯想、對照(resemblance, association, contrast)の三方面より分類して、所屬不分明なるを「雜」とするものもある。或は知力的、情緖的、意志的(intellectual, emotional, volitional)の三種に分けるものもある。或は幻想、排列、矛盾(imagery, arrangement, contradiction)の三種に分けて、所屬不分明なるを「雜」とするものもある。或は譬喩、化成、布置、表出の四種に分けるものもある。分類の點に於いては十人十色で、共通の點を擧げ難い。
 本書は是等と異なる立場から觀察して全く新たなる分類法を取つた。其の要旨は、人心の働き具合を根據として文の美の存する所を明らかにするにある。詳しくいへば、文の美は讀む者を喜ばす所に存する、然らば如何なる文章が人を喜ばすか、人の心が本來如何なる文章を見て喜ぶやうに出來て居るか、といふ事を調べて、喜ばせ方の各方面から文の美を說明せむとするにある。在來の分類には多く表面的、形式的に流れる弊があつた。例へば、上に擧げた類似、聯想、對照の三分法は、坪内逍遙氏もその美辭論稿に於いて取つて居られるものであるが、各詞姿所屬をば大體左の如くに定める。

直喩法(Simile)
隱喩法(Metaphor)
一、類似を本としたる修飾法 活喩法(Personification)
諷喩法(Allegory)
 等

提喩法(Synecdoche)
換喩法(Metonymy)
二、聯想を本としたる修飾法 誇張法(Hyperbole)
引用法(Allusion)
擬聲法(Onomatopoeia)
 等
對偶法(Antithesis, Parallels)
漸層法(Climax)
三、對照を本としたる修飾法 警句法(Epigram)
設疑法(Interrobation)
咏嘆法(Exclamation)
 等

問答法(Dialogue)
現寫法(Vision)
四、雜 反覆法(Repetition)
頓呼法(Apostrophe)
 等

一寸面白い分け方ではあるが、これでは分類が確實でもなく、又文章の修飾を根本的に說明したものともいはれぬ。例へば、「光陰は矢の如し。」といふ直喩は光陰の速かなる事が矢の速かなるに似て居るといふ類似の點からも見られるが、又光陰の速い事に聯ねて矢の速い事を想ひ寄せたといふ點から見て、第二なる聯想の方に屬せしめることも出來るであらう。「血は流れて海を成す。」といふ誇張法は、血の多いのを見て海を聯想したと說明し得ると同時に、血の流れる有樣に對して海との類似を感じたとも見られるであらう。愚人を指して「お利巧な方だよ。」といふ反語法は、裏を表に言ひかへた對照とも見られるが、之れと同時に一端を見て他の一端を聯想したものとも說明されるであらう。他の詞姿も皆其の通りで、類似、聯想、對照の何れにも屬さすれば屬させ得るやうなものである。また除外例の「雜」を設けるなども立派な分類とはいはれぬ。殊に慊らぬは其の說明の皮相的、表面的なことである。其の說明を見ると、單に直喩、隱喩は類似に基いた詞姿である、提喩法、誇張法は聯想を本にした修飾法である、といふに止まつて、類似に基き、聯想を本とした修飾が、何故に、又如何に人を感ぜしめるか、何故に、又如何に文の美を成すかという處までは踏み込んで居らぬ。(他の分類法も槪ね此の嫌いがある)。是れでは文章の修飾を眞實に根本的に說明したものとはいはれまいと思ふ。本書は此の點に着眼し、此處まで踏み込んで、文の修飾を心理的に說明しやうとしたのである。此の點に於いてえらいは流石に希臘のアリストートルで、吾等の硏究は二千數百年前にアリストートルの試みた事を、今風に日本文に應用して新たに考案を立てたものと云はれる

備考三 詞姿の數も頗る多い。希臘羅馬この方說かれたのを一々擧ぐればかれこれ三百種にもなるであらう。近世になつても、詳しきを好んで六百七十種を擧げる學者もあれば、敎科書などには略して十二三種に止めるものもある。又重きを措かれる詞姿も、必ずしも一定して居らぬ。クィンチリアンは大體實用上の價値によつて、思想上の詞姿をばinterrogation(設疑法),anticipation, doubt, communication, permisson, simulation, exclamation(咏嘆法), licentia, prosopopoeia(擬人法)等と次第し、言語上の詞姿をばparenthesis, addition, regression, dialysys(斷叙法),climax(漸層法)等と次第して居るが、近世の修辭書に見る順序とは著しく異つて居るのみならず、今日では殆んど忘却されたものさへある。是れ一つは古の修辭家が筆寫の文章を標準とせずして、口述上の効力の上から次第した爲めであらうが、とにかく、時代により人によつて輕重の一定せぬ事は明らかである。
 試みに近世の修辭學書に現はるゝ主要なる詞姿を擧ぐれば

直喩法(Simile or comparison)
隱喩法(Metaphor)
諷喩法(Allegory)
活喩法(Personification, Propopoeia, Animation)
誇張法(Hyperbole)
現寫法(Vision, Imagery)
對照法(Contrast, Antithesis)
引用法(Allusion)
提喩法(Synecdoche)
換喩法(Metonymy)
省略法(Paralipsis, Ellipsis, Omission, Abbreviation, Apophasis)
反語法(Irony)
設疑法(Interrogation)
咏嘆法(Exclamation)
倒裝法(Hyperbaton)
漸層法(Climax)
警句法(Epigram)
反覆法(Repetition)
對偶法(Parallel or Antithesis)
擬聲法(Onomatopoeia)
問答法(Dialogue)
招呼法(Apostrophe)
斷叙法(Asyndeton, Diarysis)

等で、尙ほ細かしいのを擧ぐれば

Example, Emphasis, Euphemism, Sarcasm, Epanodos, Epanorthosis, Epiplexis, Epiploice, Epistriphe, Hypallage, Litothes, Anticipation, Periphrasis, Pun or Peronomasia, Dimunitive, Oxymoron, Anti-climax, Bathos, Praeter-expectantum, Anaphora, Aposiopesis, Interruption, Mimesis, Archaism, Aphaeresis, Prosthesis, Syncope, Apocope, Paragoge, Deaeresis, Synaeresis, Tmesis, Pleonasm, Syllepsis, Enallage, Autonomasia, Catechresis, Metalipsis, Doubt, Communication, Permission, Simulation, Dissimulation, Topographia, Repenting, Enumeration.

ど、枚擧に遑なきほど多くある。本書には是等の中の要を取つて數十の詞姿を說いてあるが、其の定義は必ずしも先人のと同じくない。

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