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新文章講話

五十嵐力筆

緒論 其の一

  此の頃、我が國の文章、廣くいへば文藝全體の上に一大革新が起こつて來て居る。外ではない、在來の文章に附き物であつた、否、殆んどこれが無ければ文章でないとまで信ぜられた、しつッこい、持つて廻つた、ひねくれた、拵へたやうな、くッ附けたやうな、わざとらしい修飾を斥けて、素直に、自然に、あつさりと、巧まずに、平たく、事そのまゝ、物そのものを寫すといふ傾向である。他の言葉でいへば、語句の上の技巧たくみを去つて素通しに赤裸々に内容を見せやう、言葉といふ方便に重きを措かずに思想といふ目的物をむねと寫さうといふ傾きである。文章本來の趣意からいへば、在來の文には主客顚倒の嫌ひがあつた、媒介者たる語句が邪魔になつて本尊の思想が拜まれず、仰山な、込み入つた文句のあやを、やう〳〵おしひらいて見れば、内容は單純無價値の子供だましといふ趣があつた。譬へば、動物園へ行つてをりの内の珍らしい動物を見やうとするに、太い金網が邪魔になり、或は蔽ひの硝子に模樣があつて、肝腎の動物がはつきり見えぬといふが、昔の文章の弊であつたが、新式の文章の趣意とする所は、此の金網を細くし、硝子は模樣なしの素通しにし、成るべくは空氣の外一切の蔽ひなしにして、動物の正體を有りのまゝに見せやうといふにある。

  槪していふと、舊式文章の特色は典據的、技巧的といふ點に在り、新式文章の特色は現實的、自然的といふ點に在る。典據的といふは由來づきの雅言を用ゐ、昔風の句法、體制に據るの意、之れに對して現實的とは現在活用の語を用ゐ、現在の事實を寫すに適した新句法、新體制を取るの意、技巧的とは人工的修飾を多く用ゐるの意、自然的とはわざとらしい修飾を避けて、事物の有りのまゝを穩かに自然に顯はすの意である。
 まづ個々の語の選擇に關しては雅馴なる語、由來づきの語を用ゐるといふが舊式文章の理想であつた(無論多少の例外はあるが)。近道ちかみちといふよりは捷徑、夕方といふよりは黄昏、逃げ路よりは活路、「うろつく」よりは徘徊、「づう〳〵しい」「恥知らず」よりは厚顔無恥、「際どい」よりは間一髪、これが舊式文章家の言語選擇の標準であつた。同じ國語のうちでも、一日ひとにち一晩ひとばんといふよりは「ひねもす、夜もすがら」、安坐あぐらよりは歌膝、乞食よりは「かたゐ」、火藥、辨當よりは火藥くすりだま腰餉こしがれひ、「縛る」よりは「いましむる」、「ひどい」よりは「いみじき」、「煙たい」よりは「いぶせき」、「くだらぬ事」よりは「やうなき事」、「無茶な事」「聞こえぬ事」よりは「わりなき事」、「逢ひたい」「見たい」よりは「床し」「懷かし」、「雨だれ」よりは軒の玉水、「此の畜生!」よりは「いみじき盗人ぬすびとかな」、是れが同じく舊式文章家の狙つた所である。彼等は振假名の場合にまでも此の趣意を擴張して、準備と書いて「ようい」と振り、凡庸と書いて「よのつねのもの」と振り、日月、風雨と本字は漢文式に熟させて振假名は「つきひ」「あめかぜ」と倒まに施す等の細工をした。かやうに、舊式の文章家は槪して由來づきの雅言を選んだが、新式の文章家は之れに反して、現在活用のいき〳〵した、ぴん〳〵した語を使はうとする。暫らく例を小說に取ると、初めは對話にだけ俗語を用ゐたのが、段々地の文にも切り込んで、今は總體俗語仕立といふ方に近づいて來た。古語雅言は今の文章に於いて日に〳〵其の權威を失ひつゝある。

おい〳〵、お賴ん申しますぜ。僕の言ふ事を理想と聞くやうぢや、君も餘程よつぽど燒きが廻つてる。僕は事實を言つてるんです。へえ、是れは事實でございます。はゞかんながら活動してる人間だ。理想なんぞと、そんな骨董品めいたものを玩弄ひねくつてるひまはねえ!」と何やら大氣燄で、「君はそんな事をいふけど、まあ、考へて見給へ、理想た何だ?古本の精ぢやないか……おッとッと、何もう驚くことはない、それに違ひないさ、あゝ理想は古本の精さ。其樣そんな古本の精なんぞに取憑とつつかれて、目を明いて始終しよつちう夢を見てるもんだから、君は、お氣の毒ながら、う死んでますよ。理想は生きながら人を殺すから、何が恐ろしいと云つて、是れほど恐ろしい者は世の中にない。活きた仕事を仕やうといふ人間がう死んでちや駄目だ。早く其の理想りそうを棄てつちまひ給へ、あゝ惡い事は言はないから、早く棄てつちまひ給へ。(長谷川二葉亭『其面影』)
頭腦がぐら〳〵して天地が廻轉するやうだ。胸が苦しい。頭が痛い。脚のふくらはぎの處が押し付けられるやうで、不愉快で、不愉快で仕方がない。やゝともすると胸がむかづき相になる。不安の念が凄じい力で全身を襲つた。と同時に、恐ろしい動搖がまた始まつて、耳からも頭からも種々の聲が囁いて來る。此の前にもかうした不安はあつたが、これほどでは無かつた。天にも地にも身の置き處が無いやうな氣がする。(田山花袋氏『一兵卒』)

是等は殆んど現今活用の言葉を其のまゝに用ゐたもので、新式文章の代表と見るべきものである。

  章句の組立に關しては、奮式の文章家は成るべく技巧の妙を盡くして姿致橫生の趣あらしめるを理想とした。故に彼等は頻りに修辭上の詞藻を用ゐて、譬喩を引く、古事古語を引く、掛詞を用ゐる、擬人法を用ゐる、反覆する、誇張する、對句を構へる、其の結果、修辭の跡が如何にも目に立つやうになつて來た。いはば修辭の厚化粧で、言ひ廻しや、抑揚、頓挫、波瀾、照應、襯染等のわざとらしい細工が鼻について、素直なおのづからな味はひが少ない、是れが舊式文章の長所でもあり、同時にまた短所でもあつた。例へば仇討の事を書けば、直ぐに「豫讓が劍を橋下に磨き、忠光が眼を魚鱗に覆ふ。」といふやうな對句の引事が出る。或は十八九の田舎小僧が友の急を救はうとする時の詞に「轍の鮒に水をば飼はず、日を歷て枯魚を市に訪ふとも、亦何の益やはある。」といふが如き由來づきの名句を使はせる。或は「巫山の神女雲となり雨と容好なりよし振も好し。」「世にうき事の數そひて、身の痩せ見ゆる三重の帶、めぐりもあはず圓塚の、野火もろ共に消えて行く。」といふ如き秀句を巧む。さらぬも

いづれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひ給ひける中に、いとやむごとなき(きは)にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり。初めより我れはと思ひあがり給へる御方々、目ざましきものにおとしめそねみ給ふ。同じほど、それより下﨟の更衣たちは、ましてやすからず……(『源氏物語』)

といふが如く、巧みに言ひ廻した文句を書く。而してこれが高じては譬喩の爲めに譬喩を用ゐ、文句の爲めに文句を弄ぶやうになつた。左に揭ぐる數篇はいづれもよく技巧式文章の長短兩面を示して居る。

岡部の里邑さとを過ぎて遙かにゆけば、宇都の山にかゝる。此の山は山中に山を愛するたくみの削りなせる山なり。碧岸の下にいさご長うしていはほをたて、翠嶺の上に葉おちてつちくれをつく。ひぢせなにおひ、面を胸にいだきて、漸くにのぼれば、汗肩袒けんたんの肌に流れて、單衣たんえかさぬといへども、懷中の扇を手にうごかして、微風の扶持可なり。かくて森々たる林をわけて、峨々たる峯を越ゆれば、貴名きめいの譽れは此の山に高し。おほかた遠近をちこちの木立に心をわけられて、一方ならぬ感望かんぼうに思ひみだれて過ぐれば、朝雲ちよううん峰くらし、とら李將軍がすみかをさり、暮風谷寒し、鶴鄭大尉が跡にすむ。已にして赤羽せきう西に飛び、眼にさへぎるものとては、檜原槇の葉、老の力こゝを疲れたり、足に任するものはこけの岩根、蔦の下道、嶮難にたへず。しばらくうち休めば、修行者一兩客、繩床そばに立てゝ又休む。(源光行『海道記』)
春過ぎ秋來たれども進みがたきは出離の道、花を惜み月を詠めても起こり易きは輪廻の妄念なり。罪障の山にはいつとなく煩惱の雲あつくして佛日の光り眼に遮らず、生死の海にはとこしなへに無常の風烈しくして眞如の月宿る事なし。生を受くるに隨つて苦に苦を重ね、死に歸るに隨つて暗きより暗きに趣く。六道の街には迷はぬ所なく、四生のとぼそには宿らぬ住家もなし。生死の轉變をば夢とやいはむ現とやいはむ。これを有りといはむとすれば雲となり煙と消えて空しき空に影を留むる人なし、無しといはむとすれば又恩愛離別の嘆き心の内にとゞまりて腸を斷ち魂を迷はさずといふ事なし。彼芝蘭の袂に屍をば愁歎の㷔に焦がせども、紅蓮大紅蓮の氷は解くる事あるべからず、鴛鴦の衾の下に眼をば慈悲の涙にうるほせども、焦熱大焦熱の㷔はしめる事なかるべし。いたづらに歎きいたづらに悲しみて人も迷ひ我れも迷はむよりは、早く三界苦輪の里を出でて程なく九品蓮薹の都に詣るべし。こゝに苦惱の娑婆はたやすく離れがたく、無爲の境界は等閑にして到る事を得ず。たま〳〵本願の强緣にあへる時、急ぎ勵まずしては何れの生をか期すべき。他力の稱名は不思議の一行なり、彌陀超世の本願は凡夫出離の要道なり。身を忘れて信樂し、聲に任せて唱ふべし。(一遍上人、法語)
雲井のよそにへだち侍るものから、御名は鳴る神の音に聞き渡り侍りつ。……今よりは玉章の便たよりからさざらむを、武藏野の草のゆかりもおもほして、あのの松原つばらに聞こえおこさせ給ひねかし。(橘千蔭「本居宣長に送れる」)
頃は六月みなづき二十一日、昨日もけふも乾蒸からむし㷔熱ほてりをわたる敷瓦は、凸凹うねりひまなく波濤なみに似て、下には大河滔々たる、こゝ生死いきじにの海にる、溯洄ながれは名に負ふ坂東太郎、水際の小舟楫を絕えて、進退旣にきはまりし、敵にしあればいかでわれ、繋ぎ留めむとむさゝび樹傳こづたふ如くさら〳〵と、登り果てたる三ぢゆう屋背やねには目柴翳まぶしさすよしもなく、かたみに透を窺ひつゝ、疾視にらまへあうて立つたる形勢ありさま、浮圖の上なるこうの巢を巨蛇おろちねらふに似たりけり。廣庭には成氏朝臣、橫堀ふひと在村等の、老黨若黨圍繞ゐにようせし、床几に尻を打ち掛けて、勝負いかにと見上げたる、亦た只だ閣の東西には、身甲はらまきしたる許多あまたの士卒、鎗長刀をきらめかし、或は箭を負ひ、弓杖突き立て、組んで落ちなば擊ち留めむとて、うなじらして之れを觀る。しかのみならず外面とのかたには、綿連として杳かなる河水かはみづ遶りて砌を浸せば、たとひ信乃武事長け膂力ちから衰へず、よく現八に捷ち得るとも、墨氏が飛鳶を借らざれば、虛空を翔るべくもあらず、魯般が雲梯くものかけはしなければ、地上に下るべくもあらず。渠れ鳥ならずもあみに入りぬ、獸ならずも狩場に在り、三寸息絕ゆればことみなまむのがれ果てじと見えたりける。(曲亭馬琴『八犬傳』)

 新式の文章家はかやうな修辭をば成るべく取り去つて、平易通俗なる活きた語で内容の事實をそつくりそのまゝ傳へやうとする。彼等は之れを呼んで無技巧の技巧(artless art)といふ。無論一切の修辭を斥けるのでない、唯だ前に擧げたやうな、人工の見え透くわざとらしい修辭を斥けるのである。例へば

親讓りの無鐵砲で子供の時から損ばかりして居る。小學校に居る時分、學校の二階から飛びりて一週間程腰を拔かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出して居たら、同級生の一人が冗談に、いくら威張つても、そこから飛び降りる事は出來まい。弱蟲やーい。と囃したからである。小使に負ぶさつて歸つて來た時、おやぢが大きな眼をして二階位から飛び降りて腰を拔かす奴があるかと云つたから、此の次ぎは拔かさずに飛んで見せますと答へた。(夏目漱石氏『坊つちやん』)
渠れは步き出した。銃が重い、背嚢が重い、脚が重い。アルミニューム製の金椀が腰の劍に當たつてカタ〳〵と鳴る。其の音が昂奮した神經を夥しく刺擊するので、幾度かそれを直して見たが、うしても鳴る、カタ〳〵と鳴る。もういやになつて了つた。病氣は本當になほつたのでないから、呼吸いきが非常に切れる。全身には惡熱惡寒が、絕えず往來する。頭腦が火の樣に熱して蟀谷こめかみが烈しく脉を打つ。何故なぜ病院を出た、軍醫があとが大切だと言つてあれほど留めたのに何故なぜ病院を出た?かう思つたが、渠れはこれを悔いはしなかつた。敵の捨てゝ遁げたきたない洋館の板敷、八疊位の室に、病兵負傷兵が十五人、衰頽おとろへと不潔と呌喚うめきと重苦しい空氣と、それに凄じい蠅の群集、よく二十日も辛抱して居た。麥飯の粥に少許の食鹽、よくあれでも飢餓を凌いだ。渠れは病院の背後うしろの便所を思ひ出してぞつとした。急造きうごしらへの穴の掘りやうが淺いので、臭氣が鼻と眼とを烈しく撲つ。蠅がわんと飛ぶ。石灰の灰色に汚れたのが胸をむか〳〵させる。(田山花袋氏『一兵卒』)

舊式の文章に見るやうな、わざとらしい鼻につく修飾は殆んど無くして、事實を有りのまゝに寫したといふ趣があり、又修飾は無いながらに自然、淸新、活躍の妙味がある。新式文章の生命は此處にあるというてよい。但し、本論の旨意は、新式文章が當今最も進歩した、勢力のある傾向だといふので、これが現時唯一の文章だといふのではない。

  「無技巧」といふ語が新式文章の合言葉あひことばになつた所から、其の意義を誤解して修辭無用論を唱ふる者もあるが、これは甚だ謂はれなき說である。「無技巧」は舊式の技巧、わざとらしい文飾を排する意味で、一切の技巧が文章に不要だといふのでは決してない。修辭無用論は幾世紀前からの古い思想であるが、いづれも、時弊矯正の對症療法として唱へられるか、或は奇激なる反抗論として現はれたものである。文章が一の藝術なる限り、藝術に材料の選擇整理の必要ある限り、人心に嗜好といふものの存する限り、文章修辭の硏究の廢るべき筈がない。修飾を去らうとする、已に一の修辭ではないか、技巧を現はすまいとする、已に少なからぬ技巧を要するではないか。
 新式文章家の作にわざとらしい舊式の修辭の少ないのは事實である、けれども彼等の作にも一種の修辭が無いとはいはれぬ。啻だに舊式の技巧を除き去らうとする所に修辭の跡の見えるばかりでなく、舊式の文章眼から見て修辭と見るべきものも少なくない。試みに、自然主義の代表者として修辭無用論者に推重さるゝ人々の文章に就いて修辭の有無を調べて見やう。

  修辭學者が最も單純なる修辭と見るは語義の轉化を利用した修飾、謂はゆる轉義(trope)であるが、此の修飾は彼等の作に擧げ盡くせぬ程多く用ゐられて居る。例へば「十八番おはこ」といひ、「水臭い」といひ、「齒にきぬきせぬ」といひ、「白羽の矢が立つ」といひ、「胸が早鐘をつく」といひ、「一盃喰はされた」といひ、「御幣をかつぐ」といひ、「故郷に錦を飾る」といひ、「平仄の合はぬ話」といひ、「こくり〳〵と船を漕ぎ出した」といひ、「ダルヰン跣足はだしの學者」といひ、「同情の念が湧いた」といひ、「文句ばかり云つて居る」といひ、「ひとの賽錢で鰐口をたゝいた」といふ類ひで、而も是等はほんの一端に過ぎぬ。論者は或は之れを修辭と認めることを拒むかも知れぬけれども「得手」或は「得意の藝」といふ只言たゞごとを用ゐずして「十八番おはこ」といふ由來づきの語を用ゐ、「隔てがましい」「居睡りした」と云ふ普通語を用ゐずして「水臭い」「船を漕ぎ出した」といふ兩義を含蓄した語を用ゐたのは、已に立派な修辭的技巧である。妥貼な語を選み出すのは最高なる修辭的努力の一つとされて居る。彼等が「つくろはぬ」「飾らぬ」「小豆あづきつけぬ」「齒に衣きせぬ」等の同義語の中より特に「齒に衣きせぬ」の一句を選り拔き、「欺かれた」「瞞された」等の同義語を捨てゝ、「一盃喰はされた」を取り「厄介な役目を仰せつかつた」「貧乏籤にあたつた」等の同義語を捨てゝ「白羽の矢が立つた」を取り、「人の犢鼻褌ふんどしで角力をとる」といふ下品な同義の譬喩を捨てゝ「ひとの賽錢で鰐口」の上品な譬喩を取つたのは、取りも直さず、妥貼な語を選んだので、此のぴたりと嵌まつた語を用ゐるといふ事が、轉義の方面を外にしても、其の事だけで優に一種の修辭と見做さるべきものである。

  次ぎに在來の修辭學の要部を占めた詞姿(figure)に就いて見ると、此の點に於いても、新式文章家の用ゐた修飾が必ずしも少ないとは云はれぬ。

あによめ談話はなしは兎角廻りくどい方で、雷門の事を言ふにも先づ新橋あたりから始めるといふ風だから、聞いて居る弟の方では最早もう辛棒が仕切れなくなつた。(島崎藤村氏『壁』)
靑木は死ぬ、岡見は隱れる、足立は任地を指して出掛けて了ふ、市川、菅、福富は相繼いで學問とか藝術の鑑賞とかいふ方へ向いた。連中は共同の事業に疲れて來た。斯う成ると、恰も長い戰争に疲れた軍人のやうに、互に言ひたいことを言ふやうに成る。(島崎藤村氏『春』)
新芽の發生につれて古葉の凋落するやうな苦痛は常に力强く其の胸を襲つた。(田山花袋氏『生』)

是れは正しく從來の修辭家の直喩といつた譬喩の一種ではないか。舊式の文章に比較すれば、自然で、落ちついて、わざとらしくない、譬喩の爲めに譬喩を弄ぶ嫌ひがないといふ所はあらうが、譬喩たることは疑ひなく、又此の譬喩の爲めに文の面白味の加はつたことも爭はれぬ。

二人ふたりは忽ち戀の奴隷やつことなつて了つたのです。僕は其の時初めて戀の樂しさと悲しさとを知りました。二月ばかりといふものはまるで夢のやうに過ぎましたが、其の中の出來事のお安價やすくない幕を談すと先づこんな事もありましたつけ。(國木田獨步『牛肉と馬鈴薯』)
女は突伏つツぷして大泣きに泣いた。さすがに聲は立て得ないから背を波打たして苦しさうであつた。(獨步『少年の悲哀』)
戀愛は剛腹な靑木を泣かせた程の微妙みみような音樂であつた(『春』)

是れが修辭家の謂はゆる隱喩ではないか。

岸本は默って、くびを垂れて、兄を畏れながら坐つて居た。彼れの坊主あたまと墨染の法衣ころもとは、千百の饒舌おしやべり辯解いいわけにも勝つて、過ぐる月日の間の事を語るかのやうに見えた。(『春』)
梧桐あをぎりは始末に畢へない奴だ、奇麗に根の處を掃いた時分に、大きなやつをがさりと落してよこす。(『春』)

是れは謂はゆる擬人法である。

「さうでせう、箕浦君には僕も感心してます。あの人は書物を積み重ねりや天國へ届くと思つて、迷はないで書物の塔をきづいてるんですからね、しかしわたしには紙の踏薹は險呑でなりません。」と、健次は唇のあたりに微笑を湛へ、パツチリした澄んだ目には博士の胸の底の紙魚しみあとまで映つてゐる。(正宗白鳥氏『何處へ』)

謂はゆる皮肉法の中に屬するものである。

男の書生の卒業とは違つて學校を出れば直ぐに丸髷に成る人もあらう。(『春』)

謂はゆる提喩である。

凡そ欠伸あくびに數種ある。其の中尤も悲しむべく憎むべきの欠伸が二種ある。一は生命に倦みたる欠伸、一は戀愛に倦みたる欠伸、生命に倦みたる欠伸は男子の特色、戀愛に倦みたる欠伸は女子の天性、一は最も悲しむべく、一は最も憎むべきものである。(獨歩氏『牛肉と馬鈴薯』)

謂はゆる對句である。

つめたい風が吹いて來た。彼れは其の風が品川の海の方から吹いて來ることを知つた。軈て舊いしばゐの書割でも見るやうな光景が彼れの眼前めのまへひらけた。暗い陰氣な牢獄ろうやのやうな空氣が町中まちなかに溢れて居て、それを祭禮おまつりらしい色彫いろどりで無理に花やかに見せてある。軒先の暖簾の影には一人づつ男が立つて、手招きと御辭儀と、卑下ひげした言葉とで、烟草を勸める婦女をんながあることを示した。別に案内を營業としてる家もある。滑稽と洒落しやらくとを裝ふやうな人達は宵闇よひやみに紛れて徃つたり來たりして居た。(『春』)

品川の遊里をそれと斷らずに霞めて寫した所が花で、朧寫法ともいふべきもの。

雪に濡れながら西京の學校へ着いて、寄宿舎の應接間にある火鉢のそばで、岸本は始めて峰子に逢つた。峰子は同情おもひやりの深い、母親おつかさんらしい溫床あたゝかみのある女であつた。岸本よりは三つほど年長うへねえさんで、だ何處へもかたづかずに、女の生徒を敎へて居た。恐らく峰子は弟のやうに岸本のことを考へたのであらう。そのねえさんらしくひかつて居る間は至極無事であつた。辻に車夫くるまやから「奥さん」と言はれて、顔をあかめた頃のだ無事であつた。岡見のいもうとの名を賞めて、凉子とはい名だ、峰なんていふのはありふれて居て面白くない、斯う言つて、笑つた頃の眼は未だ無事であつた。岸本の爲めに旅の着物を縫ひながら、「わたしがもし男なら、貴方と御一緒に旅でも何でもするんですけれど――女の身體からだといふものは左樣さう思ふやうにいかないことが有るんですから。」と言つた頃の眼はだ〳〵無事であつた。急に其の眼は不思議な光を帶びて來た。どうかすると淚に濡れて、獨棲ひとりずみ寂寞さびしさを嘆くかのやうに見えた。しまひには物を言ふやうに成つた。もうねえさんらしい眼ではなかつた。(『春』)

謂はゆる漸層法である。

  組織、趣向の方面に於いても同じ事である。新式の文章には、唐宋八大家風や近松、馬琴風等の段取こそ無けれ、やはり自家一流の工夫はある。起承舗叙過結と無理に拵つたやうな組織法は顧みぬにしても、一種の秩序あり、聯絡あり、統一あるものでなければ立派な文章とは云はれぬ。さらりと筆を着ける新式の文體は「夫れ」「抑〻」「古語に曰はく」と事々しく起こした古文の體制に對して、やはり一種の組織法であらう。突然事件の中途に筆を起こして事未だ終はらざるに筆を收むる新式は、仰〻の起原から說き初めて芽出度し〳〵の結末に終はる舊式以上に擬つた結構であらう。要するに、昔風の組織、體制が行はれぬといふだけで、一種の組織、體制が依然として新式文章に存在するは疑ひなき事實である。

  詮ずる所、舊式の文章と新式の文章との相違は趣味の相違、樣式の相違で、技巧有無の相違ではない。昔の修辭のわざとらしかつたのに對して今の修辭は自然である。昔の文章に於いては文句が内容を離れて遊んで居たのに對して、今の文章は文句をば内容にしッくり調和させやうとする。畢竟、拵はぬ自然、有りのまゝの内容を活き〳〵と見せやうといふのが新式文章の努力で、泰西修辭學者の謂はゆる「術を隱すは術の至れる也。」といふ修辭の三昧境が其の理想である。
 前にもいうた如く、人間に趣味といふものの在る限り、文章が一の術である限り、語句選擇の必要のある限り、技巧の必要なる事は爭はれぬ。從つて人間社會に思想傳通の必要ある限り、文章修辭の學は儼然して存在の權利を有して居る。

 
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